対応困難症候群

対応困難症候群
 医師は悩みの多い職業である.眉間にシワを寄せた苦悩のポーズが良く似合う職業である.
 とは言うものの,医師が悩んでいるのは世間が想像するような病気についてではない.診断は医師国家試験の問題を解くようなもの,診断が決まれば治療はシュミレーションゲームである.医師は診断や治療に迷うことがあっても悩みという言葉には相当しない.病気を前に悩むのは患者であって医師ではない.
 医師が悩むのは病気ではなく患者の背景についてである.そしてその多くは患者への対応に関したことである.特に対応困難な患者が問題になる.医師のエネルギーの半分以上がこのような患者のために消費され,医師のストレスの9割以上の原因となっている.
 困った患者は限りなく多い.そして辛いこともたくさんある.その最大級は暴力団であろう.日本には暴力団員は8万人,家族,友人を含めれば50万の数になるであろう.そうすると日本人200人に1人の割合となるから,ベット数200の病院には暴力団関係者が常にひとりは入院している計算になる.
 彼らは,暴力が職業だから存在そのものが恐怖である.また難癖の名人だから,理屈を言われたら対応は困難になる.ほめ殺しにあった総理大臣,総会屋の脅しに屈した大企業をみれば,世間知らずの医師が彼らに勝てるはずはない.確信犯に常識など通用しないのである.情けないことであるが,医療行為は善意で成り立っていること強調し,恩義を暗示させながら嵐の過ぎ去るのを待つしかない.彼らの目的は金銭オンリーであるが,病院を強請っても商売にならないことを知っているので解決は意外に早い.
 その他にも恐怖を伴う対応困難な患者がいる.すぐ怒鳴る患者,突然キレル患者,チンピラ患者,刺青患者,酩酊患者,覚醒剤使用の患者,精神科を受診しない精神病患者などである.世の中に彼らが存在する限り,患者として病院を受診する.医師法はすべての患者は弱い立場の善人と想定してつくられているので,このような想定外の患者に対しても診療拒否はできない.彼らが暴力を振るうことはまれであるが,とにかくアドレナリンが枯渇するぐらい疲れるのである.医師は狼の中に放り出された小羊となる.
 不定愁訴の患者,好訴妄想の患者,術後の不調を訴える患者,人生相談を持ち込む患者,病気でもないのに症状を訴える患者.これらも外来の限られた時間においての対応は難しい.何とかしろと言われても,何とかなるものではない.冷たく突き放すことも出来ず,クスリで様子をみましょうとなる.しかし,病気でない症状にクスリが効くはずはない.治せない医師が悪いような雰囲気になり,逃げ出したくなる.精神科や心療内科へ紹介状を書いても多くは時間稼ぎにすぎない.患者が自覚症状に慣れてくれるか,症状が自然によくなるのを待つしかない.
 対応困難は患者だけではない,その家族も含まれる.これは東海大学附属病院で起きたカリウム静注事件が象徴的な事件といえる.事件当時,このケースが安楽死に相当するかどうか,安楽死の方法としてのカリウム静注の是非についての話題ばかりが集中し,ほとんどの医師のコメントはカリウムを静注した医師への非難ばかりであった.しかし,1時間ごとに主治医を呼び出し,眼を吊り上げて怒鳴る家族の主治医になったことを想像すれば,主治医の行動も我が身に置き換え可能である.あの家族が普通の家族だったならば,あの事件は起きなかった.また看護婦の正義感が平和にすんだ問題を表面化させたのである.家族から楽にするように強要された医師が,家族から罪を押しつけられた悲劇である.そして誰もが不幸になった事件であった.
 裁判所は安楽死の定義を言うが,判例による言葉の定義など現実にそぐわない.法律で裁けないものを法律に持ち込んだことに無理がある.誰もカリウム静注医師をかばわないが,私的には悲運の医師の味方である.患者はカリウム静注によって死亡したのではなく,死ぬ瞬間に偶然カリウムを静注されただけと思いたい.なぜ彼が有罪で,京都・京北病院ミオブロック安楽死事件が不起訴処分なのか.弁護士が無能だったのだろうか.
 医師と患者の関係を論じる場合,非難を受けるのは常に医師であって患者ではない.しかし,患者にも問題がある.インフォームドコンセントも良いだろう,癌の告知も良いだろう,しかし医師が腰を低くして世間に伺いをたてている間,威丈高の患者が増えていることも事実である.権利とわがままを混在させた患者が着実に増えている.今は赤ひげ医師が怒鳴りちらすご時世ではない.怒鳴るのはいつも患者である,患者性善説を信じ,じっと耐えるだけである.
 医師にとって,患者を思う純粋な気持ちが何よりも大切である.そして医療の基本も慈愛である.修行が足りないと言われれば,そのとおりである.しかし,何とかならないものだろうか.精神安定剤を自分に処方するしか方法はないのだろうか.
 常識の無い連中,言葉の通じない患者,医学の範疇にない患者,彼らはまれであるが,どうすれば良いのか分からない.みんなが困っているのに名案が浮かばない.これは医学だろうか,それとも社会学,心理学,宗教,政治の分野なのだろうか.病気のガイドラインを作ることも大切だが,それ以上に対応困難な患者や家族へのガイドラインを作ってほしいと願っている.
 きれい事ばかりが世の中ではない.誰も書かないから,敢えて書くことにした.汚れた事実も直視すべき現実である.