絵画理解のための旧約聖書

 「旧約聖書を旧訳聖書」と思い込んでいる人が多いが、「旧約」とは翻訳の古い新しいの意味ではなく、約とは「神と人との契約」ということである。旧約聖書はユダヤ教の神との契約であり、キリスト教徒にとって「旧約聖書は古い約束」であって、「キリストとの新しい約束」のことではない。

 紀元1世紀頃に生まれたキリスト教は唯一絶対の仰ぐ1神教を特徴とし、「キリストとの新たな神との契約を新約聖書」と呼ぶのである。このことはイスラム教も同様で、イスラム教にとっても旧約聖書は「古い契約」であって新たな神との契約はコーランに書かれていることである。つまり現在の旧約聖書はユダヤ教(ヘブライ語聖書)だけのものである。

 キリスト教、イスラム教はユダヤ教の神への理解を引き継いだもので、ユダヤ教は古代ユダヤ人(ヘブライ人)の民族宗教で、その戒律に普遍的要素を与えたのがイエスであり、アラーである。

 旧約聖書はユダヤ民族の歴史・詩歌を綴っていて、この旧約聖書から派生したのがキリスト教でありイスラム教である。混乱しやすいので、わかりやすく書けば下記のようになる。


ユダヤ 教=旧約聖書+ユダヤ教口伝律法
キリスト教=旧約聖書+新約聖書
イスラム教=旧約聖書+新約聖書(4福音書)+コーラン

 

 世界にはキリスト教が約21億人、イスラム教が約13億人、ユダヤ教が約1500万人いるが、この3つの宗教は、同じ聖典から発した宗教なので、「姉妹宗教」と呼ばれている。奉ずる神は同じで、神はユダヤ教ではヤハウエ、イスラム教ではアッラーと呼び名は違うが同じ神を意味している。

 温暖な農業国の日本、和をもって尊しとする日本、八百万の神を信仰する日本人には、一神教の苛烈さは理解できないであろう。たとえば一神教のイスラム教は聖書の存在を認め、モーゼもイエスも預言者として認めているが、それはモーゼやイエスがアッラーの言葉を伝えたと考えるからである。イスラム教の信仰はアッラーであって預言者ムハンマドではないのである。ムハンマド以前にも預言者はいたが、最後の預言者ムハンマドの言葉が正しく、ムハンマドの言葉が書かれている「コーラン」が正式な神の言葉を伝えているとしている。いづれにしても聖書は世界中で最も愛読された書物であり、西洋美術を理解するには聖書の内容を知ることが必須である。

 


【天地創造】

 ヒエロニムス・ボス作「悦楽の園」の扉の天地創造三日目の大地、海、植物の創造時の図。

星の創造。ミケランジェロ作

システィーナ礼拝堂の天井画

 天地創造とは神の手による世界のはじまりの物語で、旧約聖書の冒頭に書かれている。天地創造はユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通していて、以下のことが書かれている。


 1日目 暗闇の中、神は「光あれ」と言われ、光と闇に分けた。 光を昼と名づけ、闇を夜と名づけた。


    2日目 神は空(天)をつくった。


    3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物がはえた。


    4日目 神は太陽と月と星をつくった。


    5日目 神は魚と鳥をつくった。


    6日目 神は、神に似せた人を造り、人に海の魚と、空の鳥と、家畜と、すべての獣と地のすべての這うものとを治めさせた。 


    7日目 天と地と、その万象が完成した。 神はすべての作業を終え第七日に休まれた。
これが天地創造である。

 

 

 

 【安息日】 ヘブライ語で休みのこと。週の7日目の日で金曜の日没に始まり、土曜の日没に終わる。キリスト教ではイエスが復活した日曜日、イスラム教ではムハンマドがメッカを脱出した金曜日をいう。

 


アダムの創造(バチカン システィーナ礼拝堂)


 

【アダムとイヴ】

 神は天地を創造し、6日目に粘土で自分をかたどったアダムを創り命を吹き込んだ。やがて寂しそうなアダムに、彼のあばら骨の1本をとって妻イヴを創った。ヘブライ語で粘土をアダマ、命をエバという。二人は死の存在しない楽園で暮らしていたが、神は「この園にある全ての樹の実を食べて良いが、知恵の実だけは食べてはいけない」と言った。

「エデンの園」

(1805~1900) エラストォウス・ソールズベリー・フィールド作

アメリカ

人間の堕落

Cornelis van Haarlem 1592年
アムステルダム国立美術館

楽園を追放されるアダムとイブ

 (美術史美術館 ウィーン)

 ある日、エデンの園を歩いていたイヴは、狡猾な蛇にそそのかされて禁断の木の実(善悪の知識の木の実)を食べてしまった。イヴは怖くなってその半分をアダムに与え、アダムも食べた。

 すると2人は自分たちが裸であることに気づき、恥ずかしさのあまり体をイチジクの葉で隠した。これを人間が最初に犯した罪なので、原罪という。

 

 神は約束を守らなかった罪(原罪)により、二人を楽園から追放した(失楽園)。

 楽園にもう一つの重要な木があった。それは命の木で、神は智天使ケルビムを派遣し、回る炎の剣を置いて、二人がその木の実を食べないよう用心した。そのため彼らは死すべき定めを負い、生きるには厳しすぎる環境の中で苦役をしなければならなくなる。

 女には産みの苦しみが与えられ、アダムは苦労して地を耕さなければ食料を得ることができなくなった。

 

 その後アダムは930歳で死んだとされるが、エバについては記述がない。
 17世紀のイギリス人作家ジョン・ミルトンは、この物語をモチーフにして「失楽園」を書いている。

 

 

 【リンゴ】 

 古くから「知恵、豊饒、美」のシンボルとして神話や伝説に登場する。 日本人がイメージするリンゴは赤いリンゴであるが、ヨーロッパで禁断の果実とするのは青リンゴである。聖書には木の実としか記されていないが、後世、なぜかリンゴリンゴとされた。  またホメロスの叙事詩イリアスでは、黄金のリンゴを巡る3人の女神の争いからトロイ戦争に発展する。



 

 

カインアベル

アベルを襲うカイン
サンタマリア・デラ・サルーテ教会の天井画 ツィツィアーノ作 ヴェネツィア

 イヴは楽園を出てまもなく2人の息子カインとアベルを産む。アダムと性の営みによって生れた初めての人間である。長男のカインは土を耕す者に、次男アベルは羊を飼う者になった。ある日、カインは土からの収穫物を、アベルは羊の子を神にささげた。神はアベルの羊の子の供物を喜び、カインの供物には関心を示さなかった。

 神への捧げものが受け入れられないことは、神から家長失格と言われたに等しかった。奪われたら奪い返すのが「正義」であった。

 長男カインは嫉妬で怒り、次男のアベルを野に連れ出して殺してしまった。神がアベルのことをカインにたずねると、「何も知り ません。私は弟の番人ではありません」と答えた。カインは弟を殺したばかりでなく、神に対しても嘘をついたのである。

 神は「何ということをしたのか。弟の血が地の中から叫んでいる。おまえが土地を耕しても、も はや何も収穫できない。おまえはあてどなく地上をさまよいのだ」と言ってエデンの東のノドの地に追放した。

 殺されることを恐れたカインに対し、神は「カインを殺す者は、7倍の復讐を受けるであろう」といい、カインを保護する印をつけた。やがてカインは、妻を娶り、エノクという子供をもうけた。

 アダムとイブは二人の息子を失い、100年間喪に服した。



洪水

ミケランジェロ・ブオナローティ画、システィーナ礼拝堂蔵

アルメニア側から見たアララト山
手前の建物はホルヴィラップ修道院

 

【洗礼】 洪水は神が人間を裁く象徴であり、ノアの洪水の物語が洗礼の儀式へと発展した。パプテスマ(浸す)は、水に体を浸し清めをする儀式である。

【ノアの箱舟】

 イヴはもう一人の息子セトを産んだ。アダムから数えて10代目の子孫がノアである。彼には三人の子供がいて、その名をセム、ハム、ヤペテといった。

 その頃、地上には悪が満ち、神は人間の堕落した様子を見て怒り、人を造ったことを後悔していた。そして地上の全てのものを洪水で滅ぼすことを決意した。

 神はただひとり神に従順なノアに言った。「巨大な箱舟を造りなさい。そして、あなたの家族とあらゆる動物を2頭(オスとメス)連れて箱舟に避難しなさい」

 ノアが箱舟に移ってから7日後に洪水が始まり、水は40日間地上を覆った。箱舟に避難したノア一族と動物以外は全て滅んだ。150日後には水が減り始め、箱舟はトルコ東部にあるアララト山に漂着したが、箱舟の外に出られなかった。

 四十日後、ノアの家族は鳩を飛ばした。しかし鳩はすぐに戻ってきた。乾いた土地が見つからず、休む場所がなかったからである。一週間後、もう一度鳩を飛ばした。しばらくしてまた鳩を放すと、鳩はオリーブの葉をくわえて戻り、地上から水がひいたことを知らせた。

 ノアたちは箱舟から出ると、祭壇を作り神に生贄を捧げた。神はそれを認め、2度と生き物を滅ぼさないと約束した。そして、その契約のしるしとして大きな虹をかけた。

 

洪水の後、ノアはワインを造る方法を見つけた。ある日、ワインを飲みすぎて、裸のまま寝てしまった。息子ハムは他の兄弟を連れてきて父親を笑った。しかしセムとヤペテは父親の裸を見ないように、後ろ向きに歩いて父親に近づき、着物をかけてやった。父親のノアは、ハムの無礼な行為を怒り、ハムに対して「お前の兄弟の奴隷達の奴隷として仕えろ」と呪いをかけた。



バベルの塔(ウィーン美術史美術館)

ピーテル・ブリューゲル作 1563年

チョガ・ザンビールのジッグラト

バベルの塔 

 ノアの洪水の後、人間はみな同じ言葉を話していた。ノアの子孫はどんどん増えシナルの平原に住んでいた。人間は石の代わりにレンガをつくり、漆喰の代わりにアスファルトを手に入れた。こうした技術の進歩は人間を傲慢にした。ある日、彼らはレンガを積み上げて天まで届く塔を作り始めた。

 神はその驕りを怒り、「彼らは一つの民で、皆が同じ言葉を話しているからこのようなことを始めたのだ」と考えた。神は人々がそれぞれ違う言葉を話すようにした。

  塔の建設現場では、いくら話しても言葉が通じなくなり、建設は中断せざるを得なかった。人々は塔を破壊し世界中に散らばっていった。こうして、世界各地にいろんな言葉を話す人々が住むようになった。この塔のあった町の名がバベル。バベルとはバビロンのことで、混乱(バラル)が語源である。

 バベルの塔は、バビロンにあったジッグラトと考えられている。ジッグラトとは古代メソポタミアで建設されたレンガ作りの聖塔のことで、シュメールの時代から建てられ、いくつかのジッグラトが発掘されている。最大規模の遺跡はエラム王国のチョガ・ザンビール遺跡(イラン)である。



アブラハム生誕の地に建つモスク

(シャンルウルファ トルコ)

1502 Fresco、Strozzi Chapel,

S. Maria Novella, Florence

アブラハムとサラと天使

1465-1520板、油彩|56×75|

パリ:ルーヴル美術館

【カナン Canaan】 地中海とヨルダン川・死海に挟まれた地域。聖書には「乳と蜜の流れる地」と記されている。神がアブラハムの子孫に与えると約束したことから、約束の地とも呼ばれる。

【アブラハム】 

 ノアの息子セムから数えて10代目で、イスラエルの初の族長となったのがアブラハムである。アブラハムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信じる民の始祖で、ノアの洪水の後、神の意志に対する人間の信念の化身として崇拝されている。

 アブラハムは「信仰の父」と呼ばれ、メソポタミアのユーフラテス川の河口近くに生まれ、サライと結婚、ハラン(現トルコ)に移り住んでいた。

  BC1700年頃のある日、神は「私が示す地に行きなさい」とアブラハムに指示した。アブラハムは妻のサラや甥のロトとともに旅立った。
 一行がカナンに入ると神が現れて、「あなたの子孫にこの地を与える」と言った。しかしカナンは飢饉に襲われ、一行はエジプトに避難した。アブラハムの妻のサラは絶世の美人だったが、美人ゆえに妻が危害をもたらすことを恐れ、妻サラに自分の妹であると偽らせた。 

 サライの評判を聞きつけたエジプトの王ファラオは彼女を娶り、その褒美としてアブラムには莫大な富を与えた。しかし神は怒りファラオたちに度重なる災いを下した。サライがアブラムの妻であることを知った王ファラオは、サラをアブラハムに返して一行をカナンに送り出した。
 アブラハム一行は多くの牛や羊の群れを連れていたため、アブラハムはカナンに、いとこのロトはヨルダン川流域のソドムに移り住んだ。
  ロトの住むソドムが略奪にあいロトも捕らえられた。アブラハムは80歳になっていたが、自らの民を武装させ、敵を追い払い、略奪品や捕虜のすべてをソドムの王に返した。ソドムの王は返された略奪品を彼に与えると言ったがアブラハムは断った。 

 その夜、神がアブラハムに語りかけた。
「ここから広がる土地すぺてを、あなたとあなたの子孫に永遠に与えよう」。しかしアブラムには子がいなかったので、「主よ、私には子がいません」と言うと、神は「私はあなたと契約を結ぼう。あなたの子孫にこの土地を与えよう。エジプトの川から大河ユーフラテスまでの土地だ」と言った。

 アブラムは85歳、妻のサライは75歳である。サライはアブハムに女奴隷のハガルに後継ぎを生んでもらうように言った。女奴隷ハガルは身ごもったが、女主人サライを見下すようになり、サライの命じに従わなくなり、ハガルは逃亡しイシュマルを生んだ。

 再び神がアブラムに現れ、「あなたの妻サラが生む子は王になる」といった。サラは老女である。「サラが子を生むのでしょうか?」と訊くと、「そうだ、その子とわたしは契約を結ぶのだ」といった。
 ある日、三人の人物がやって来た。見知らぬ客をもてなすため、アブラハムとサラは食事を用意した。すると客の一人が言った。「春になったら、あなたの妻サラは赤ん坊を持つでしょう」そして、その通りサラはイサクを生む。

 サラは90歳、アブラハムは100歳であった。サラは先に生まれたイシュマルが邪魔になり、母親のハガルとともに砂漠へ追い出した。しかし神はイシュマルをアラブ民族の族長とし祖先とした。