古代ローマ

古代ローマ美術

 紀元前509年、都市国家のひとつであったローマは共和制を樹立し、周辺都市国家を征服しつつ紀元前4世紀にはエトルリアを支配下に置くが、独自の美術を生み出すには至っていない。紀元前3世紀に入るとサムニウム戦争や第一次ポエニ戦争などの勝利により、戦利品として南イタリアのギリシア植民都市から大量の美術品が持ち込まれた。ギリシア美術に触れ、その成熟された美しさに魅了され、ローマでギリシア美術ブームが起きた。これにより従来のエトルリア美術と「外来」のギリシア美術が社会に氾濫することになった。

 ローマ人の需要に応ずるように、創造性には欠けるが様々な彫刻を制作する一派が形成され伸張した。この影響で「アウグストゥスの平和の祭壇」や「プリマポルタのアウグストゥス」といった高度な写実性を有する、洗練された古典主義的な美術品が数多く制作されている。

 建築分野では、紀元前1世紀前半よりローマ固有の建築様式を生み出していった。厳格な左右対称性やコリントス式柱頭の多用、内部空間の重視などがローマ建築の特徴である。紀元前2世紀前半に建設されたバシリカや紀元前1世紀前半に建築されたコロッセウムなどは、代表的な建造物として取り上げられる。

 また建造物の壁面に描かれる装飾物についても、神話的風景画などが描かれた。さらに帝政期に入ると皇帝の偉大さを誇示するような作品が制作され、現代ではトラヤヌス帝の記念柱やコンスタンティヌス帝の凱旋門などが知られている。

 

 神話的な情景をモチーフとしていた古典主義は衰退し、現実の情景を記した写実主義がもてはやされた。さらに2世紀ごろからは主要人物をより強調して表現する傾向が顕著となり、その影響は肖像彫刻などの他ジャンルへも波及した。