ドビュッシー

ドビュッシー 悲劇の恋愛-不倫と自殺未遂の果て
 女性に人気のクラシック作曲家といえば、ショパンかドビュッシーかといわれるほど、ロマンティックで透明感溢れる曲を数多く残したドビュッシー。
本名:アシル・クロード・ドビュッシー
出生地:フランス
生年月日:1862年8月22日
結婚歴:1回目 1899年10月19日(37歳) / 2回目 1908年1月20日(46歳)

 9歳の時からピアノのレッスンを始め、着々と実力を伸ばしていったフランス青年。もともと裕福の家庭に生まれたわけではなかったドビュッシーは、美しい年上のピアノの先生に大変かわいがられ、当時、チャイコフスキーの謎の金持ち愛人フォン・メック夫人(チャイコフスキーの文通相手で、実際には一度も会うことのないまま14年間支援し続けた
)、からも随分と贅沢をさせてもらった。そのような青年期を過ごしたドビュッシーは1880年代の終わりにガビュリエル・デュポン、通称「緑の眼のガビー」と出会い、9年間一緒に暮らした。

亜麻色の髪の乙女~ガビー
 ガビーは亜麻色の髪と緑色の眼をした、とても美しい女性で、彼の「プレリュード第1集:第8番“亜麻色の髪の乙女”とは、このガビーをモチーフにしていた。ドビュッシーはガビーを愛しただけなのか、人々が集まるような場所には連れていくことはせず、家に残して家事をやらせるだけだった。ドビュッシーが30歳を迎えるころ、浮気を繰り返し、そのためガビーはピストル自殺を図った。幸い一命はとりとめ、退院後も数年一緒に暮らしたが結局は別れた。

夜想曲~リリーに捧ぐ
 ガビーと別れた直後から、ドビュッシーは金髪の美しいマリー=ロザリー・テクシエ(通称リリー)と付き合う。リリーは、ピストル自殺を図った例のガビーとも友達であった。リリーと出会ってから1年後、リリーとドビュッシーは結婚した。『夜想曲』の署名入り楽譜には「この楽譜は私のいとしいリリー=リロのものである」と記されている。しかし、またドビュッシーは浮気を繰り返えし、リリーも浮気苦しみ、かつての恋人ガビーと同じようにピストル自殺を図った。彼女も一命はとりとめたが、二人の仲は続かなかった。

喜びの島~子供の領分
 リリーが自殺未遂を図る前後に出会ったのがエンマ・バルダックである。リリーを棄ててエンマと駆け落ち旅行をして作ったのが「喜びの島」である。 このエンマは裕福な家庭に育った知的な女性だったが、ドビュッシーとの駆け落ち生活で、親族からの援助が絶たれ、二人は厳しい生活を強いられた。二人の間に娘クロード=エマ(通称シュシュ)が生まれ、エンマとドビュッシーは結婚した。そのころの曲は、ピアノ曲集「映像 第1集」である。また、娘シュシュをドビュッシーは溺愛し、「子供の領分」も愛娘のためにかかれたピアノ曲集である。 エンマとの仲は最初のうちだけで、数多くのスキャンダルを生んだドビュッシーは、音楽界や友人から非難され経済的にも大変厳しく、そのうち夫婦仲も冷め切ってしまった。そして、ドビュッシーは56歳で他界する。