SARS

 SARSは重症急性呼吸器症候群(Severe Acute Respiratory Syndrome)の略である。当初、SARSのウイルスは不明のまま、感染力が強く、急速に重症化し、しかも致死率が高いことから世界中が注目した。
 平成15年(2003年)のSARSの世界的感染は、中国広東省広州市の病院で肺炎の治療に当たっていた医師(64)からであった。医師は自分がSARSに感染していることを知らず、親戚の結婚式のため2月21日に香港のメトロ・ポール・ホテルの9階に宿泊。この医師の痰や嘔吐物などがトイレや部屋の床に飛散し、部屋を清掃したホテル従業員が同じ器具で別室を清掃し、別室の宿泊者が感染し世界に広がったとされている。
 ホテルで症状を悪化させた広東省の医師はプリンス・オブ・ウェールズ病院に搬送されたが、3月4日に死亡。その後、同病院から50人以上の院内感染者が出た。特に同病院で人工透析を受けていた男性がSARSに感染し、この男性が親族のマンションに宿泊し、そのマンションでSARSが集団発生して41人が死亡した。また医師と同じホテルの9階に宿泊していたシンガポールの女性が帰国して100人以上が感染した。
 SARSが世界で最も早く注目されたのはベトナムのハノイであった。香港のメトロ・ポール・ホテルの9階に宿泊していた中国系アメリカ人男性が、香港からハノイに飛行機で向かい、2月26日に高熱と呼吸苦をきたしハノイのフレンチ病院に入院。男性の胸部レントゲンはすりガラス様で、それは肺全体の炎症を意味していた。呼吸状態が悪化したことから気管内挿管、気管切開による呼吸器管理となった。
 主治医は世界保健機構(WHO)の感染症専門医師カルロ・ウルバニ(46)に相談、カルロ・ウルバニ医師は従来のものとは違う新しい感染症の可能性が高いとWHOに報告した。男性患者は家族の希望で、3月5日にハノイから香港の病院の感染症科へ転院となったが死亡した。
 男性患者が香港へ移送された翌日、フレンチ病院では男性と接触のあった20人以上の医師や看護師が次々に発熱を訴え10人が入院した。カルロ・ウルバニ医師はWHOにSARSの名称で報告、さらにSARSが飛沫感染によるものと判断して病棟を隔離した。しかしカルロ・ウルバニ医師もSARSに感染し、3月11日に死亡。翌12日、WHOが世界へSARSの警報を出した。これが初めてSARSを世界に知らせることになった。SARSの症状は38度以上の発熱、呼吸困難などであった。
 WHOの感染症専門家たちは、中国からSARSが広がったとした。中国政府はそれを指摘されるまでSARSの流行を隠していたが、平成14年11月頃から中国広東省でSARSは流行していた。この中国のSARSの情報隠しについて、中国政府は謝罪とともに保健相と北京市長などを解任した。
 平成15年4月、台湾でSARS治療にたずさわっていた医師(26)が観光目的で日本に来ていたことが判明。帰国後にSARSだったことが明らかとなり、厚生労働省は日本の立ち寄り先を発表、それらの施設を消毒するなどの事態へ発展したが、幸いにも日本でのSARS発症はなかった。
 平成15年7月11日、台湾で最後の症例が隔離され、潜伏期の2倍に当たる20日が過ぎても新たな症例の発生がなかった。そのためWHOは世界的な流行は終息したと宣言。また同日、WHOは全世界のSARS発症者は8069人、死者は775人、その半数以上が中国での感染であったことを発表した。
 平成17年から現在に至るまで、新たなSARS感染者の報告はない。SARSはウイルス感染であることから有効な予防法も治療法もない。SARSが自然に沈静化してくれたのは、人類にとって最大の幸運であった。