豊島産廃公害事件

豊島産廃公害事件 平成12年(2000年)

 香川県小豆郡土庄町に属する豊島(てしま)は、瀬戸内海の小豆島の西方に浮かぶ人口1500人ほどの小さな島で、昔から稲作が盛んで、豊かな島であることから豊島と名付けられていた。

 瀬戸内海国立公園内に浮かぶこの美しい豊島に、昭和53年から12年間、50万トンもの産業廃棄物が不法に投棄されていた。不法投棄は豊島開発によるもので、島の西側に公害に匹敵するほどの大量の産業廃棄物を持ち込んでいたのだった。豊島総合豊島開発はその会社名とはイメージがまったく違う産業廃棄物の処理を行う会社会社名である(以下豊島開発と略)。

 平成2年に兵庫県警が豊島開発を廃棄物処理法違反で摘発し、平成3年1月23日、豊島開発の経営者が逮捕され、同年7月に神戸地裁姫路支部は経営者に有罪判決を下した。しかし、大量の産業廃棄物はその場に放置されたままとなった。

 昭和50年代初頭、豊島開発が有害産廃物を島に持ち込もうとしたとき、豊島の住民は反対運動を行い、香川県に事業を認めないように働き掛けた。住民は「豊島住民会議」を結成し、住民の大部分(1425人)が処置場建設中止を訴え、署名簿を香川県議会に提出し、さらに515人の住民が香川県庁にデモを行った。

 しかし香川県は「ゴミ処分場は必要であり、法の要件に従えば安全である。豊島開発にも生きる権利があり、反対するのは事業者いじめである」として豊島開発の事業を許可したのだった。当時の前川忠夫知事は、「反対住民の心は灰色だ」と、住民の気持ちを逆なでする発言をしていた。

 豊島開発は無害な製紙汚泥、木くず、家畜の糞をミミズに食べさせ、土を土壌改良して販売する「ミミズ養殖業」を名目にしていた。しかしミミズ養殖は偽装であり、最初からシュレッダーダストに廃油をかけて燃やしていた。シュレッダーダストとは、廃棄された自動車や電化製品などを粉々にして、鉄などを回収した後に残るプラスチック、ガラス、ゴムなどの破片のことである。

 その結果、国内最大級の産業廃棄物(50万トン)が豊島に不法投棄されることになった。多くがシュレッダーダストで、プラスチック、ゴム、コンピュータの基盤などが運び込まれ、野焼きの煙は悪臭を放った。シュレッダーダストには、水銀、鉛、カドミウムなどの重金属や有機溶剤が含まれ、放置された有毒物質はそのまま土壌を汚染した。さらに廃油などさまざまな有害廃棄物が運び込まれ、豊島の住民の間では喘息様の症状が蔓延し、海水は汚染されていった。

 住民はそれまで豊島開発の処理場に入ることができなかったが、不法投棄から13年後の兵庫県警の摘発によって、豊島開発の実態が明らかになった。捜査員が処理場に入ると、廃棄物が山積みにされ、ドス黒い廃液が大きな水たまりになっていた。浜辺は黒く変色し、黒い水が瀬戸内海に流れていた。その量は1日120トン、3日でプール1杯分に相当した。

 豊島開発は摘発される日まで、兵庫県・姫路港からシュレッダーダストを同社所有の第三豊松丸(460t)で豊島に運び、廃油をかけて燃やしていた。最盛期には、関西圏の廃車シュレッダーダストの3分の2が豊島へ運ばれていた。保管と称して積み上げられた廃棄物は、豊島開発の焼却処理能力の30年から100年分に相当していた。

 豊島の産業廃棄物の不法投棄は、兵庫県警に摘発され中止になったが、豊島開発は産廃物を撤去する費用を負担できなかった。そのため廃棄物はそのまま放置された。当初、香川県は廃棄物の量を17万トンと公表し、そのうちの1000tを撤去し、「残された廃棄物は、周辺環境に影響はない」として、残りの産廃物撤去の必要性を否定した。

 しかしこの残された産業廃棄物の撤去求めて、平成5年11月11日、島民の98%に当たる549世帯が、公害紛争処理法に基づく調停を総理府に申し立てた。民事上の時効は摘発から3年である。調停申請は時効5日前のことだった。

 公害調停申請を受け19年間の記録が詳細に調査された。豊島開発は香川県に、豊島で行っているのは「有価金属の回収業であって、廃棄物の処理ではない」と申請し、香川県も「廃棄物ではなく有価物」としていた。しかしこの悪知恵は、香川県の豊島開発への助言によるものであった。「シュレッダーダストそのものは廃棄物だが、豊島開発が有償で買い取れば廃棄物に該当しない。シュレッダーダストを金属回収の原料として買い取ったことにすればよい」と香川県はアドバイスしていたのである。

 豊島開発はシュレッダーダストを1トン当たり300円で買い取り、運搬費として2000円を受け取っていた。つまり差額の1700円が利益になっていた。香川県は118回に及ぶ立ち入り調査をしていたが、豊島開発の実態を知りながら、それを黙認して住民の訴えを圧殺していたのだった。

 香川県は豊島開発の実態を知りながら、偽装のためのミミズ養殖の許可を与え、さらに不法処理を金属回収業の名目で許可していた。このような極めて悪質な不法投棄が、香川県のお墨付きで行われていた。さらに、昭和63年に姫路海上保安署が豊島開発を摘発したとき、参考人として呼ばれた香川県の担当者は、高松地方検察庁に「シュレッダーダストは廃棄物とは言い難い」と述べていたことが分かった。

 豊島事件の判決は、「香川県は立ち入り調査で、違法を認識しながら不適切な指導にとどまり、犯行を助長せしめた責任がある」とした。豊島事件は、いわば香川県が関与した事件だった。事件発覚当初、香川県は豊島開発の営業内容について徹底的に解明すると約束したが、不法行為に県が関与していたことが分かると、一変して香川県に法的責任はないと主張するようになった。県職員は単に豊島開発が怖くて指導ができなかったとしている。

 平成7年、公害等調整委員会は、以下の結果を明らかにした。

 <1>残された産廃物は、香川県が当初説明していた17万トンの3倍に相当する51万トンである。

 <2>その大部分が産廃物埋め立ての有害基準を大きく超過している。

 <3>野焼きが原因と思われる高濃度ダイオキシンの存在が確認された。

 <4>汚染は直下の土壌や地下水にまで及んでいた。

 このように公害調停が進む中、平成9年に住民と香川県との間で「中間合意案」が交わされた。その中で香川県は、「適切な指導監督を怠ったことが深刻な事態を招いた。廃棄物が搬入される前の状態に戻す」ことを約束した。しかし香川県知事からの謝罪はなく、それどころか平成10年に新しく就任した真鍋武紀知事は、豊島の住民運動を「カネ欲しさの運動」と批判した。

 平成11年8月、香川県は豊島への不法産業廃棄物投棄問題に当たって、産廃物を隣の「直島」へ移して処理すると突然提案してきた。直島町も処理プラントを建設し、総額300億円を超える処理案に同意した。香川県は、廃棄物と汚染土壌を平成28年度末までに豊島から搬出し、直島に建設する施設で焼却すると説明した。

 平成12年4月、公害調停が再開され、6月6日に豊島小学校体育館で公害調停が開かれ、「香川県による産廃物の撤去」と「豊島住民への香川県知事の謝罪」で合意をみた。調停の席には、中央に公害等調整委員会、右に香川県、左に豊島住民が座わり、会場には豊島住民600人とマスコミ関係者約100人が集まった。その中で真鍋武紀知事が涙ながらに謝罪、次ぎに住民会議の安岐登志一議長と、真鍋知事が握手を交わした。

 全国最大の産業廃棄物事件は、香川県が処理業者に許可を与えてから22年ぶりに、住民が香川県を相手取って公害調停を申請してから6年半後に、やっと解決へ向かった。真鍋知事の謝罪はあったが、処理に必要な300億円には公費が使われ、ツケは国民に回されたのである。豊島の不法投棄事件は、豊かな社会の裏側で進む環境破壊の実態、自治体の無責任な官僚体質を露呈させた。

 人間の生活や産業活動では必ず廃棄物が出るが、廃棄物の処理対策は遅れていた。豊島産廃公害事件は、ごみをいかに減らすか、ごみ処理の監視、被害の補償について大きな教訓を残した。工場や建設現場などから出る廃棄物は、昭和60年は2億トンで処分地は不足していた。廃棄物を出す方は「引き取ってくれれば、どこでもいい」というのが実情で、廃棄物業者は「引き受ければもうかる」との計算があった。

 警察白書によると、昭和63年に不法投棄で摘発された件数は1255件で、その多くが山野に捨てられていた。今回の豊島の事件を受けて、平成3年に廃棄物処理法が改正され、罰則が強化されたが、それでも不法投棄の罰金は最高で50万円である。これでは不法投棄で利益を上げる違法な業者が減るはずはい。

 豊島の不法投棄事件は、産業廃棄物が環境を破壊し、その対策には膨大な費用を要することを国民に教えてくれた。豊島の不法投棄事件で住民とともに戦った中坊弁護士は、それまでにも森永ヒ素ミルク中毒事件、豊田商事事件などで活躍し、市民派弁護士として日本弁護士連合会会長にもなった。「平成の鬼平」の異名を持ち、旧住宅金融債権管理機構(整理回収機構)の社長となり、バブル期の不良債権処理でマスコミにもてはやされた。

 しかし平成13年、住宅金融債権管理機構の社長時に行った大阪府堺市の土地売却をめぐり、詐欺容疑で東京地検特捜部に告発され、本来ならば立件されるはずだが、中坊公平が弁護士を廃業したため、東京地検特捜部は情状酌量から起訴猶予になった。末路を汚した中坊公平の弁護士人生も教訓として記憶すべきである。