聖マリアンナ医科大麻酔薬乱用事件

聖マリアンナ医科大麻酔薬乱用事件 平成12年(2000年)

 神奈川県川崎市の聖マリアンナ医科大病院で、3人の麻酔科医が麻酔薬中毒で死亡していたことが公表された。3人は手術に使うべき麻酔薬を自分に用いて死亡したのである。

 最初に死亡したのは外科医(大学院1年生、28歳)Aであった。Aは平成4年の医師国家試験に合格した後、研修医として第2内科に勤務、平成6年より第3外科の大学院生となり、4月から麻酔科で研修を始めていた。

 平成6年5月14日の日曜日、当直明けで午前中に帰宅したが、午後に出席するはずの友人の結婚式に欠席。翌日になっても出勤していないことを友人が心配し、16日午前10時頃Aの自宅を友人が訪問、死亡しているAを発見した。Aの口元には血液約100mlを吐いたビニール袋があり、部屋には麻酔薬フォーレンの空瓶1本、イソゾール、セボフレン、注射器などがあった。発見時の状況から吸入麻酔薬による中毒死とされた。麻酔薬の入手経路は不明だが、手術室から持ち出したと考えられた。

 Aは死亡する1カ月前、自宅の風呂場で意識を失っているのを家人に発見され、呼ばれた友人医師が腕に駆血帯を巻いて朦朧(もうろう)としているAを見ている。そばにはイソゾールと書かれた注射器が落ちていたことから、使用した麻酔残薬を持ち帰って注射したと考えた。意識が回復したAは同僚らに不眠のため麻酔薬を静注したと告白した。Aは以前にも手術室で麻酔中に朦朧としていたことがあり、吸入麻酔薬らしい瓶をかいでいるのを目撃されていた。麻酔科医であるAが、病院から麻酔薬を持ち出すことは簡単なことで、Aは麻酔薬を常用していたのだった。

 2番目の事故はその5年後の平成11年4月3日に起きた。同病院中央手術部の男子トイレで麻酔科医師B(大学院3年生、29歳)が心肺停止の状態で発見され、心肺蘇生が開始されたが回復せずに死亡が確認された。Bの白衣のポケットからドルミカムと書かれた注射器が見つかった。聖マリアンナ医科大法医学教室で死体検案が行われ、尿の検査でベンゾジアゼピン系薬物、バルビツール酸系薬物による中毒死とされた。Bが使用した麻酔剤ドルミカムは、事故2日前にBが麻酔をかけた患者に使用しており、麻酔後の残量を自分に使用したとされている。

 聖マリアンナ医科大東横病院麻酔科に勤務していたBは、平成8年11月頃、病院内の男子用トイレで点滴を腕に付けたまま意識喪失しているのを発見され、同病院麻酔科医師の手当てを受けていた。平成9年10月にも同様なことがあり、麻酔科の青木正教授が事情を聴取したがBは薬物使用を否定。Bは出向したN病院で、平成11年3月28日、トイレの個室に長時間閉じ込もることがあった。友人の医師が青木教授にこのことを報告、青木教授はBの事情聴取を予定していたが、その直前の死亡であった。Bの遺体検案で左肘窩、左手背部、左手根部に陳旧性の注射痕を認めたことから、以前から薬物を使用していたと推測された。

 平成12年6月23日、聖マリアンナ医科大病院の麻酔科医師C(大学院4年生、29歳)が出勤しないことから、友人医師がC宅に電話をすると、C宅の家政婦が寝室で意識を失っているCを発見。医師がC宅に急行、心肺蘇生を施行しながら同病院救命救急センターに搬送したが午後1時46分に死亡した。Cの尿からベンゾジアゼピン系薬物が検出され、部屋には全身吸入麻酔薬セボフレンの空瓶4本が置かれてあった。東海大医学部で司法解剖が行われ、麻酔薬の吸入による中毒死とされた。Cの自宅から発見された吸入麻酔薬のセボフレンは、ロット番号から同病院に納品されたものではなかった。

 平成11年12月頃から、Cは病院から注射器、注射針、点滴セットを持ち出し、医局で自己注射をしているのを、また机の周りに使用済みの注射器があったことが目撃されている。同病院麻酔科医師が青木教授に報告、青木教授はCから事情を聴取したが、Cは全面的にこれを否定。さらに「薬物乱用の疑いをかけた出張病院に対し訴訟も辞さない」と述べた。青木教授はCのX病院での勤務をやめさせ研究業務に当たらせ、医療業務に従事することを禁止した。平成12年5月8日、青木教授はCに精神科医のカウンセリングを受けるよう説得し、Cは週2回精神科を受診していた。

 この3件の麻酔科医師中毒死事件が発生してから、聖マリアンナ医科大は事件を公表し、その対策を発表した。まず使用済みのアンプル数を看護師が1日2回数えること。薬品庫に監視カメラを設置し管理体制を厳重にすること。注射痕を隠すために夏でも長袖の白衣を着る医師に注意すること。麻酔科医22人全員の薬物検査を実施することであった。この事件はアルコールや覚醒剤と同じような視点で論じられたが、この事件の背景には麻酔科医の過重労働があった。

 死亡した3人の麻酔科医に共通することは、ほとんど寝る時間もなく働いていたことである。中には当直が月に17回の医師がいた。当直ではほとんど寝ることはできず、手術中はその場を離れられず、手術がなくても麻酔科医は手術室で待機していなければいけなかった。このことから拘束によるストレスが大きかったといえる。さらに3人は無給の大学院生で、大学の激務に加え、アルバイトで生活費を得なければいけなかった。

 麻酔科医が自分に麻酔をかけるという奇異な事件は、聖マリアンナ医科大だけの問題ではなかった。以前から各地の麻酔科で指摘されていたが、事故が起きても個人的な問題として片付けられ、表沙汰にならなかった。

 日本の人口10万人当たりの麻酔科医の数は欧米の3割程度で、麻酔科医の絶対数不足が麻酔科医の過重労働をまねいている。ストレスから逃れるため、不満や不安などから、手元にある麻酔薬を使用し薬物依存になったのである。さらに少しでも時間があれば眠りたい心理的圧迫が麻酔薬中毒を引き起こしたといえる。

 聖マリアンナ医科大は3人目の死者が出て、ようやく本格的な調査委員会を設置。この3人がかかわっていた手術は計1053件で医療事故は起きていないと発表した。聖マリアンナ医科大、日本麻酔科学会は3人の麻酔科医を麻酔薬乱用者として犯罪者のように扱った。3人の死はあくまでもモラルの欠如によるものとした。

 確かにそうであろうが、3人の麻酔科医を死亡させた過重労働、無給での勤務という大学病院の現状の中で、3人の麻酔科医への哀悼の気持ちがまったく伝わってこなかったのが残念である。もちろん過重労働をまねいた管理者としての謝罪の言葉はなかった。