福島県立大野病院事件

福島県立大野病院事件 平成18年 (2006年)

 平成18年2月18日、福島県警は福島県立大野病院で診察中だった産婦人科医・加藤克彦医師(38)を業務上過失致死、異状死体の届け出義務違反の疑いで突然逮捕した。逃げも隠れもせず、警察の取り調べに素直に応じていた医師を、まるで凶悪犯と同じように逮捕したのだった。この事件が起きたのは、逮捕の1年以上前の平成16年12月17日のことである。帝王切開の手術を受けた経産婦(29)が前置胎盤、癒着胎盤による大量出血で死亡し、このことが刑事事件となったのである。

 この事件は従来の医療事故とは違う、日本の医療そのものに関わる大きな問題を含んでいた。前置胎盤とは「胎盤が子宮の出口を覆う状態」で、全分娩の0.2から1%の頻度でみられ、胎盤が子宮の出口をふさいでしまうので、500mlの濃厚赤血球を用意して帝王切開になった。手術は産婦人科医が執刀、外科医が助手、麻酔科医が麻酔をかけ、看護師4人がついて行われた。手術は順調に進み、帝王切開で胎児は無事に生まれたが、胎盤が子宮から剥離せず(癒着胎盤)、剥離しようとして大量の出血をきたしたのである。すぐに輸血を行い13分後に胎盤剥離に成功したが、その間、蛇口をひねるような大量の出血があった。追加の輸血が約40分後に到着、輸血を行いながら子宮全摘術を開始。1時間後に子宮摘出に成功したが、子宮摘出から30分後に心停止となった。

 平成20年8月20日の裁判で、福島地裁は加藤医師に無罪判決を下し、検察は起訴を断念して無罪が確定した。第1審の裁判で無罪が確定したことは、逮捕、起訴そのものが間違っていたのである。

 癒着胎盤の確率は全分娩の0.02%と極めてまれで、しかも癒着胎盤のすべてが大量出血をきたすわけではない。癒着胎盤を予測することは不可能で、どれだけ出血するのかも予測できない。「出産時に大量の輸血を準備すべきだった」との意見があるが、それは不可能である。200mlの輸血の値段は6000円、今回の癒着胎盤による出血が12000mlならば輸血の値段は36万円になる。輸血を準備していても、使用しなければ輸血は破棄され、破棄された輸血の費用は病院のもち出しになる。万が一という言葉があるが、万が一に備え大量の輸血を準備することは物理的にも金額的にも不可能であった。

 癒着胎盤による大量出血を経験したことのある医師の話を聞いてみた。その医師が勤めていた病院では5人の産科医、10人の他科の医師が呼び出され、注射器で血液を押し込めるように輸血を繰り返し、手術でやっと救命したのだった。起訴された加藤医師は癒着胎盤で出血が続く血の海のなかで、子宮全摘の手術を行ったのである。多くの産婦人科医は加藤医師が逮捕されたことに驚いた。もし自分が同じ立場だったら、同じように逮捕されると思ったからである。多くの産婦人科医は加藤医師に同情的で、血の海のなかで子宮全摘の手術を行ったことを腕のよい医師と高く評価していた。この不幸な事故は、癒着胎盤による大量出血という不可抗力がまねいたといえる。同じ状況下で何人中何人の産婦人科医が救命できただろうか。

 加藤医師は逮捕されたが、加藤医師は罰を受けるほどの罪人だったのか。加藤医師に悪意はなく、患者を助けようと最善を尽くした。刑法35条には「正当な業務による行為は、罰しない」、刑法38条には「罪を犯す意思のない者は、罰しない」とある。医療過誤とは医療事故を起こした医師が、医師の平均的治療より明らかに劣っている場合をいう。加藤医師がそれに相当するとは思えない。

 欧米では医師が民事で訴えられても、刑事訴訟は極めてまれである。医療事故が起きた場合、欧米では医療事故を調査する第三者機関があり、専門家が調査し、医師免許取り消しなどの処分を行が、日本にはこのような第三者機関はない。医療に関して素人の警察が逮捕し、同じ素人である司法が判決を下す。また今回の加藤医師の逮捕は福島県の「事故報告書」によるものだった。福島県が加藤医師に責任を押しつけたのは、加藤医師や病院が加入している医賠責保険から賠償金を出すには、医療ミスであることが必要だったからである。しかし福島県の事故報告書はあまりにいい加減な内容なので、裁判の証拠としても採用されていない。

 医療は、医師が医学知識に従って最善の治療を尽くすことで、病気を治すことを約束していない。しかし患者は病院に行けば、それで治ると思っている。そのため症状が悪化すると医療ミスではないかと疑うことになる。医師が故意に患者を傷つけた場合は刑事訴訟も当然である。患者の承諾のない治療は独断的治療と非難されてもよい。しかし医師の法的責任は、患者の死そのものにあるのではなく、死に対する過失の程度である。大野病院の加藤医師は妊婦を助けようと必死で戦った。「血よ、止まってくれ」と泣きたい気持ちだったと思う。医師の使命は病人を助け、病気を治すことであるが、治療には不確実性、不可抗力の部分がある。病気をもつ患者の身体は、単純な機械の集合体ではなく、複雑で説明困難な生命体である。日本産科婦人科学会、日本医師会など100を超える医療団体や学会が加藤医師の逮捕、起訴に対し批判声明を出したが、このような批判声明は異例のことで、この逮捕の不当性を全国の医師が訴えたのと同じであった。

 起訴された加藤医師は福島県立医大から派遣され、大野病院で唯一の産婦人科医師として年間230件のお産を行い、10人の入院患者、30人の外来患者を毎日1人で診ていた。さらに出産後の新生児の治療まで行っていた。平成17年、日本全体で出産を扱う医療機関3056施設うち46%、1401施設が大野病院と同じように産婦人科医が1人である。お産には常に危険がともない、産婦人科医1人では医師は365日24時間拘束され、患者が急変しても十分な対応はできない。

 県立大野病院に隣接した人口35万人のいわき市では年間3000件以上の分娩があるが、この事件後、3つの病院が産科を廃止、出産を扱う病院は1つになった。しかも正常分娩だけで異常分娩は扱わない。また分娩を扱う開業医は12医院から1医院になった。医療事故はあってはならないことであるが、理不尽な逮捕は医療を萎縮させるのである。

 医師法21条では、異状死体の届け出を医師に義務づけている。しかし今回の「異状死体の届け出義務違反」という罪状も納得できない。医師法21条は明治7年に設定された法律に遡るもので、本来、犯罪捜査に協力する観点からつくられたものである。今回の事故は癒着胎盤による出血死は明白で、このことは警察にも報告し、事情も説明している。正当な医療行為が不幸な結果を生んだとしても、因果関係が明確なものがなぜ異常死なのか。これでは「死亡のすべてを警察に報告しろ」というようなものである。

 福島地裁の裁判長は「診療中の患者が、診療を受けている疾病によって死亡した場合は、異状死の要件を欠く」と述べた。この解釈は、正当な診療行為に関連した死亡を「異状死」に含めないとする考えであった。

 福島県警は逮捕の情報を事前にマスコミに流し、犯人扱いにされた加藤医師が手錠をかけられ、連行される姿を大々的にテレビで放映させた。そして新聞には「医療過誤、手術ミスで医師逮捕」の大見出しの記事が掲載された。加藤医師は警察の主張を認めなかったため1ヶ月間拘留され、妊娠中の加藤医師の妻は、加藤医師の立ち会いもなく出産した。

 さらに保釈から無罪の判決が出るまで、加藤医師は接見禁止という処分を受けた。接見禁止とは事件の関係者、つまり福島医大の産婦人科教授や医局仲間、大野病院の関係者と電話もできず、自宅謹慎と同じ処分を受けたのである。有罪、無罪が確定していないのに、無罪判決が出るまで接見禁止としたのは、国家権力による不当な処分といえる。医師は人間であり、神に近づこうと努力しても、医療の限界の前には無力である。それを逮捕し、拘留し、起訴し、接見禁止という極悪人同様の扱いに日本の医師たちは強い怒りを覚えた。

 加藤医師を逮捕した富岡署は「職権乱用」に匹敵すると思うが、富岡署は医師逮捕の功績により福島県警から表彰を受けていた。刑事責任は明らかな犯罪行為や常識からかけ離れた医療行為に限定するべきで、懸命に救命を行った医師に手錠をかけることが社会正義とはいえないであろう。