患者置き去り事件

患者置き去り事件 平成19年 (2007年)

 平成19年9月21日、大阪府堺市のS総合病院の職員4人が入院中だった全盲の男性患者(63)を車で連れ出し、大阪市西成区の公園に放置する事件が起きた。置き去りにされた男性は、約7年前に糖尿病のため他の病院から転院し、病状は安定していたが退院を拒否、病院は転所先の施設を探したがそれも拒否。入院費185万円を滞納し、暴れては病室の備品を壊し、看護師に暴言をはき、大声をあげ6人部屋を1人で占有していた。病院職員は男性を退院させようと、大阪市住吉区内の前妻宅を訪ねたが、前妻は男性の引き取りを拒否。断られて頭が真っ白となった職員は、トラブルの絶えない男性を病院へ戻せないと判断、西成区の公園のベンチに男性を座らせた。公園の近くに病院があったので、職員はここなら大丈夫と思い、「公園で男性が倒れています。目が見えないようだ」と携帯電話で119番通報。数分後に救急隊員が駆けつけ、男性を搬送するのを確かめ、職員は公園を後にした。

 この事件が発覚すると、大阪府警西成署は職員4人を保護責任者遺棄容疑で書類送検にした。患者を置き去りにした職員が一方的に悪者にされたが、退院が可能でも行き場のない患者がいるのである。またモンスター患者という言葉が流行語になっているのに、実際には病院が批判されるのが現実で、このような複雑な問題をこの事件は提示している。

  身寄りがいない、受け入れる施設がないので退院できない。このような「社会的入院」は病院にとって大きな負担になっている。かつては「社会的入院は日本の医療の最大の無駄」とされ、その対策として長期入院患者の診療報酬を極端に安く設定し、長期入院患者がいれば病院が赤字になるようになった。つまり病院の経営上の理由から、社会的入院患者を病院の努力で排除するように誘導したのである。たとえば1泊1万円のホテルに連泊すると宿泊費が安くなり、10泊目以降の宿泊費を半額、3ヶ月以降は1割にしたのと同じようなことである。厚労省がこの仕組みをつくったため、病院は患者に早期退院をせまるようになった。しかしこの診療報酬の仕組みを知らない患者は、「なぜこの状態で退院なのだ」と病院に不満をぶつけるようになった。

  入院日数が短ければ入院基本料が高く、入院が長ければ安くなる。この仕組みは急性期病院も同じで、そのため急性期病院の平均入院日数は16日前後になっている。病院はベッドを常に満床にして、ベッドの回転率を上げ、収益を上げるようになった。入院日数の短縮のため、検査、診断、治療が流れ作業のように行われ、患者は入院と同時に退院までの説明を受けるようになった。入院日数の短縮は、一見、効率的と思われるが、合併症を持った患者、回復の遅い高齢者には不向きである。自動車ならば数日の車検は可能であるが、20年以上使用した自動車が壊れた場合に、それを数日で直せないように、部品交換のでき人間を機械のように治すことはできない。

  医師の使命は患者の病気を治すだけでなく、治せない病気でも患者のために最善をつくし、退院後の生活まで責任をもつことである。しかし早期退院は国の命令で、中途半端でも退院をせまるようになった。脳梗塞で歩けなくても、癌で治療法がないことを理由に、強引に退院をせまるのである。また平均入院日数が長くなると、病院全体の収入が減る仕組みをつくったため、入院の長引きそうなお年寄りを入院させず、軽症患者を数日入院させる現象が生じた。入院が1ヶ月を超えると、主治医が呼び出され、患者を早く退院させるように注意を受けるほどである。医師が全人的医療を目指しても、効率化という言葉がそれを阻害した。

 患者をモノのように置き去りにした病院に批判が集中し、院長はマスコミの前で謝罪した。しかし入院費を払わない患者、病院が転院先を探してもそれを拒否する患者、問題行動の多い患者に、病院はどのように対応すればよいのか。行き場のない患者の退院は患者の生命に関わるが、長期入院は病院経営を悪化させ、病院が倒産になれば、職員は路頭に迷うことになる。この事件は、病院職員の悩んだ末の結果だった。入院の必要がなければ退院は当然なのに受け皿がない。社会的入院が悪としても、慢性期病院や介護施設の多くは満床で入れず、たとえ病院が受け皿を見つけても、患者が拒否すれば退院に至らない。平成10年3月、橋本元総理が母親を国立国際医療センターに3年間入院させていたことが発覚、マスコミは地位を利用した不公平と叩いたが、今回の患者は7年間入院していた。退院させたくても家族がいない、家族がいても受け入れを拒否すれば、病院は患者と心中になる。社会的入院は約28万人とされているが、その受け皿をつくって欲しい。

 今回の事件では、ソーシャルワーカーが解決のカギであった。ソーシャルワーカーは患者側に立ち、医療費や退院後の生活の相談に乗り、生活保護、年金、医療、介護などを探り、支援をしてくれる。しかし病院にソーシャルワーカーを配置する法的義務がないので、ソーシャルワーカーがいる病院は少ない。家族と連絡が取れず、連絡がとれても引き取りを拒否する家族。また自分で生活のできない独り住まいの患者が多くなっている。さらに看護師に暴言をはく、夜中に大声を出す、ナースコールを頻繁に押すなどは、病院が個別に対応しているのが現状である。医師や看護師は多くの患者を診ているが、1人の患者のために精神的に追いつめられている。行政は病院と患者の問題としているが、病院内に福祉事務所を設置し、地域とのネットワークを築くことが解決策である。またそれ以前のこととして、行政が中心になって医療、介護、さらにはその狭間を埋めてもらいたい。