宇和島腎移植事件

宇和島腎移植事件(平成18年)

 平成18年2月、「知人に頼まれて腎臓移植で腎臓を提供したのに、500万円を返してくれない」と、女性から愛媛県警に電話がかかってきた。この妙な電話が、我が国初の臓器売買事件のきっかけになった。

 訴えられた男性は、平成16年から慢性腎不全で宇和島徳洲会病院の泌尿器科部長・万波誠の診察を受けて人工透析を受けていた。男性は、平成17年に万波誠医師から腎臓移植を持ち出され、内縁の妻が腎臓を提供する予定だった。しかし医学的理由から内縁の妻の腎臓は使用できず、腎臓移植は取りやめになった。すると男性は200万円を借りていた女性に「腎臓を提供してくれたら300万円を上乗せして返す」と提案し、女性は患者の妻の妹と偽って腎臓を提供することになった。

 平成18年9月、女性の腎臓が男性へ移植されが、男性患者と内縁の妻は現金30万円と150万円相当の新車を女性に渡しただけであった。女性は約束が違うとして、警察に相談したのだった。臓器移植での臓器売買は法律違反であり、この日本初の事例に愛媛県警幹部は慎重に対応することになった。

 女性は腎臓提供に金銭の約束があったと訴えたが、金銭の約束そのものが違法行為であることを知らなかった。移植を受けた男性は約束したのは謝礼としての車だけと主張した。平成18年10月1日、宇和島徳洲会病院に愛媛県警の捜査員約20人が家宅捜索に入ったが、病院は「腎移植はすべて万波医師に任せていて無関係」と繰り返した。泌尿器科長・万波医師(66)は600件以上の腎移植手術を手掛けていたベテランで、男性、内縁の妻、ドナー女性との関係を知らず、「だまされた」と関与を否定した。

 臓器移植の施行規則によると、患者への同意と説明は文書で残すことになっていたが、万波医師は患者へ同意説明は口頭のみであった。万波医師は「患者との信頼関係が重要で、じっくり話し合えば十分で、形式的な文書に意味はない」と述べたが、それは国が決めた施行規則を無視する発言だった。また第三者が腎臓を提供することは、倫理委員会があれば可能であったが、宇和島徳洲会病院に倫理委員会はなかった。万波医師は「親族でも金銭の授受がないとは限らない。背後で何が起きているか、さっぱり分からない」と述べた。

 腎移植を希望する患者が多いが、腎臓の提供者は少なく、腎移植は低迷していた。腎移植の8割以上が健康人からの腎臓提供で、腎臓の生体移植は善意と倫理だけに任されていた。平成9年に施行された脳死にともなう臓器移植法では、その手続きは厳格であったが、腎臓の生体移植は法的拘束力のない倫理指針だけであった。そのため不正を見抜くことは出来なかった。

 この事件は謎が多いが、移植を受けた男性、内縁の妻は臓器売買が犯罪であることを知っていたが、提供した女性はそのことを知らなかった。犯罪の決め手は、提供した女性の「金銭授受の証言」の信用性にかかっていた。

 愛媛県警は男性と内縁の妻を臓器移植法違反(売買の禁止)で逮捕し、臓器を提供した女性を書類送検とした。臓器売買を万波医師が事前に知っていた疑惑はあったが、万波医師は全面的に否定した。平成18年12月、愛媛地裁松山支部において、「移植医療に対する社会の信用性を揺るがした影響は大きい」として、男女ともに懲役1年、執行猶予3年(求刑・懲役1年)、腎臓を提供した女性は罰金100万円、追徴金30万円、乗用車没収となった。

 宇和島腎移植事件はこれで終結するはずであったが、さらなる展開を迎えた。万波医師が、平成16年から2年間、腎臓移植に病気のため摘出した腎臓を移植していたことが明らかになったのである。いわゆる病気腎は尿管狭窄が3件、腎臓がん3件、動脈瘤2件、良性腫瘍2件、ネフローゼ1件で、10人に移植されていた。

 万波医師が文書で病気腎移植を患者に説明したのは3件で、腎臓を提供する患者への説明はなかった。病気腎、特に腎臓がんで摘出した腎臓を移植したことについて、その是非が問われることになった。日本移植学会副理事長の大島伸一は「がんに侵された腎臓を移植することは論外、かなり高い確率で再発する」と断言した。厚生労働省の臓器移植法の運用指針では「がん患者は臓器提供者にしない」となっていた。がん以外の病気腎については、賛成する専門家が多かったが、「摘出する必要がない腎臓まで取ったのではないか」と述べる専門家もいた。万波医師が実験的に病気腎移植を行ったとする批判と、病気腎移植が臓器不足の現状を改善するとの擁護論があった。

 万波医師への批判は倫理指針違反が主であって、病気腎移植そのものについては医学的データが少なかったため、その是非については議論が空転するだけであった。病気腎移植は脳死、生体腎に次ぐ第3の臓器移植万波医師の行為を評価する医師もいた。このようの状況の中で万波医師を支援する患者たちが支持を訴えデモ行進を行うなどの擁護運動がなされた。

 万波医師を独善的と批判する者、腎移植の後退を心配する患者、万波医師の保険医登録を取り消そうとする行政、万波医師を批判した学会幹部への名誉棄損訴訟など、多くの混乱があった。厚生省は平成19年に病気腎移植を禁止としたが、臨床研究としては実施を認め、結局は万波医師が中心となってその後も病気腎移植は行われている。