哀しき介護殺人事件

哀しき介護殺人事件 平成18年(2006年)

 平成18年2月1日未明、京都市伏見区の桂川の河川敷の遊歩道から60メートルほど行ったところで、血まみれの男女が倒れているのを通行人が発見。車椅子に乗った老婆はすでに死亡しており、男性はわずかに息があった。京都府伏見署は母親(86)を絞殺したとして、無職の長男(54)を殺人容疑で逮捕した。長男は「母親を殺して、自分も死のうと思ったが、死にきれなかった」と容疑を認めた。長男は犯行前日、アパートを掃除して、テーブルに遺書を置くと、母親と思い出のある京都の繁華街で時間をつぶした。早朝、自宅近くの桂川河川敷で母親の首をしめて殺害。自分も包丁で首や腹を刺したが、自殺は未遂に終わった。

 母親の認知症は、平成7年に父親が80歳で亡くなったころからがはじまった。母親と長男は2人暮らしで、母親の認知症は次第に悪化し、深夜の徘徊を繰り返した。母親は真夜中に15分おきに起き出し、長男は介護のために昼夜逆転の生活が続き、仕事をやめて介護を続けた。自宅で介護しながら仕事を探したが見つからなかった。やがて失業保険の給付が終わり、アパートの家賃6万円が払えなくなり、カードローンも25万円の限界まで使い、経済的に行き詰まった。

 長男は生活苦を訴え京都市保険福祉局へ行ったが、働けるのに働いていない、親戚に援助を求めていないことを理由に、生活保護は受けられなかった。西陣織の職人の子として生まれた長男は、父親から「他人に迷惑をかけるな」と躾けられ、親戚に頼ることはしなかった。そのため母親と心中するしかなかった。認知症の母親を抱え、介護疲れと生活苦による殺害だった。当日の長男の所持金は7000円だった。

 母親はデイサービスを受けていたが、デイサービスは深夜の徘徊には対応していない。認知症対策は医療と介護の狭間に落ち込み、無策に近い状態だった。またデイサービスを受ければ1割の自己負担があるため、長男は経済的にも介護を受けることができなかった。終わりのない介護、介護による家計の圧迫、誰にも相談できず、責任感と絶望のなかで追い詰められていった。この事件は日本の生活保護行政、介護保険行政の欠陥が招いたといえる。

 親族による介護殺人、心中事件はこの10年間で350件以上発生している。介護を巡る殺人は新聞に掲載されないことが多いが、その背景には食事の世話、糞尿の処理、徘徊の保護などの過酷な介護疲れがある。そして介護殺人の半数以上が、殺害後に自分も死のうとしている。

 今回の事件は、長男は母親に対して献身的に介護を行っていて、殺人という罪名はあまりに酷である。長男が母親を思っての介護心中と呼ぶに相応しい事件であった。平成20年の犯罪統計では、茨城県土浦市のJR荒川沖駅での殺傷事件、秋葉原での殺傷事件などの通り魔事件が印象に残るが、通り魔事件は計13件、死傷者数42人、死亡11人である。一方、65歳以上の高齢者による親族間の殺人は108人で、21人が老老介護による殺害や心中であった。このように介護殺人は、通り魔事件の約2倍の犠牲者を出している。このことからも介護の深刻さが痛感される。

 日本には昭和48年まで尊属殺人という罪名があった。尊属殺人とは両親や祖父母などを殺害した場合、通常の殺人罪より罪が重くなる刑罰である。このように本来ならば親殺しは重罪であるが、この事件の判決は懲役2年6ヶ月、執行猶予3年であった。温情判決を下した東尾龍一裁判官は「結果は重大だが、母親は決して恨みを抱いておらず、被告が幸せな人生を歩むことを望んでいると推察される」として罪名を承諾殺人とした。認知症の母親が本当に殺害を承諾したのかは疑問はあるが、裁判では承諾の合法性には触れなかった。裁判長は長男の母親への献身的な介護、心身ともに疲労困憊の状況に、長男が母親を殺害したのではなく、行政の不備がこの事件を起こしたとしたのである。まさに人間の情を知る裁判長であった。

 介護の辛さを示す例として、タレント清水由貴子さん(49)の介護自殺がある。平成21年4月21日、清水由貴子さんは母親を車いすに座らせ、父親の墓前で自殺した。母親の介護につかれ、あれほど明るかった清水さんが自殺したのだった。頑張っても先が見えず、追いつめられてのことであった。介護の辛さは本人にしか分からない。絶句するとともに、介護の辛さを改めて教えてくれた。清水由貴子さんのデビュー曲の歌詞は「お元気ですか、幸せですか」である。可哀想と思うと同時に涙が出てくる。