北陵クリニック筋弛緩剤事件

北陵クリニック筋弛緩剤事件 平成13年(2001年)

 平成13年1月6日、宮城県警は仙台市泉区高森の北陵クリニック(二階堂昇院長)に勤務していた准看護師・守大助(29)を殺人未遂容疑で逮捕した。守大助の逮捕は、平成12年10月31日、腹痛で入院していた小学6年の少女A(11)に筋弛緩剤を混入させた点滴を行い殺害しようとした容疑であった。少女Aは点滴を受けている最中に顔色が悪くなり、容体が急変、すぐに蘇生が行われたが、低酸素脳症で意識不明の重体となっていた。

 北陵クリニックは少女Aの急変の原因が分からず、半田郁子副院長が法医学の専門家に相談、筋弛緩剤が使用された可能性を指摘され、北陵クリニックが宮城県警に連絡したのだった。守大助の逮捕は、少女Aから筋弛緩剤(マスキュラックス)の主成分が検出されたことが決め手となった。

 1月6日、守大助は「病院への不満から殺意を持って筋弛緩剤を投与した」と犯行を認め、さらに北陵クリニックに入院していた別の患者にも筋弛緩剤を混入していたことを認めた。このためマスコミは一斉に守大助を犯人とする報道を行った。

 1月7日、二階堂院長が記者会見で、筋弛緩剤の保管場所にカギはなく、管理者もいなかったと謝罪した。二階堂院長は「自分は事件を、昨日知った」と他人事のようであったが、二階堂院長は雇われ院長で、半田郁子副院長が実質的責任者であった。後の記者会見で半田郁子副院長は守大助が点滴を行った直後に急変した患者が過去にもいたと説明、守大助が勤めてから筋弛緩剤が不自然に減っていたと述べた。

 薬剤の管理体制の不備以上に、なぜ人命を救うべき准看護師がこのような連続殺人を行ったのか、多くの国民は不気味な戦慄を覚えた。

 守大助が勤務していた過去2年間だけで、約20人が守大助から筋弛緩剤の混入した点滴を受け10人が死亡したとされている。死亡した患者はいずれも火葬されていたため、立証の関係から殺人1件、殺人未遂4件について守大助は起訴された。起訴となったのは、少女A(11)のほかに、平成12年2月2日に急変した1歳の女児(仙台市立病院に転院後に回復)、平成12年11月13日に急変した4歳の男児(気管内挿管後に回復)、平成12年11月24日に急変した89歳の女性(死亡)、平成12年11月24日に急変した45歳の男性(酸素投与にて回復)であった。

 この事件をめぐりマスコミ報道が連日のように騒ぎだし、守大助の悪魔のイメージが先行した。マスコミは守大助が当直のときに急変する患者が多かったことから「急変の守と呼ばれていた」と報道したが、北陵クリニックには既婚者の看護師が多かったので、独身男性の守大助の夜勤が多いのは自然のことだった。また守大助は給料が安いことに不満があり、半田郁子副院長を困らせようとしたと報道されたが、北陵クリニックは全体に給料が安く、守大助だけが不満だったわけではなかった。守大助は月20万円以上の給料をもらっていて、北陵クリニックの看護師の中では多い方だった。犯行の動機として、急変対応のできない半田郁子副院長の腕を試そうとしたという噂も流れた。

 北陵クリニックは平成3年、機能的電気刺激(FES)治療の権威である半田康延・東北大教授が実質的な経営者として、その妻である半田郁子医師を副院長として開業。開業の目的は最先端技術を応用した治療と研究で、東北大医学部のサテライト研究室とされた。国から20億円、宮城県などから30億円以上が研究に投入され、著名な地元の名士たちが協力をした。守大助は半田郁子副院長の夫である半田康延・東北大教授に引き抜かれて北陵クリニックに就職し、半田郁子副院長にも気に入られていた。

 北陵クリニックには2つの疑問があった。1つは巨額な資金がありながら、赤字経営だったこと。さらに半田郁子医師が医師として未熟だったことである。気道確保ができず、救急車を呼び、救急救命士が蘇生させていたことが明らかになっている。

 守大助が逮捕直後に犯行を自白したのは、少女Aが死亡したとき、部屋にいたのは守大助と、彼の恋人の看護師2人だけだったので、恋人の看護婦を守るためだったと解釈できた。守大助は犯行を自白したが、自白から数日後から一貫して容疑を否認している。守大助は7月11日から始まった仙台地裁の公判でも無罪を主張した。

 弁護団はうそ発見器を用いて誘導尋問をしたこと。具体的な筋弛緩剤混入の量、日時、場所、方法が特定されていないこと。筋弛緩剤の成分を検出した鑑定方法に科学的根拠がないこと。殺害の動機がないことを指摘した。さらに守大助を犯人としたのは見込み捜査で、医療事故などの病院のミスを隠す意図があったと主張した。一方、検察側はカルテや看護記録、職員の証言などを積み上げ、守大助以外に筋弛緩剤の混入はできないとした。弁護団は冤罪を主張し、検察側と激しくぶつかった。

 守大助は500mlの点滴へ筋弛緩剤を混入したと自白したが、筋弛緩剤は静注で使用するもので、短時間で血中から排泄される(排泄半減期は11分)。そのため点滴への筋弛緩剤混入では、筋弛緩剤は希釈され患者急変はあり得ないことであった。

 点滴開始後5分で急変したとされているが、三方活栓からの注入では薬剤の即効性から5分後の急変では遅すぎ、筋弛緩剤を三方活栓から上方のチューブに逆流させて点滴をしなければ説明がつかなかった。しかしこのような方法を守大助が思い付くのか疑問であった。

 平成15年11月28日、仙台地裁で検察側は守大助に無期懲役を求刑。犯行動機については守大助が患者を急変させ、得意な救急措置を生かして活躍したかったこと。あるいは医師や看護師が対応に追われ、慌てる様子を見たかったとした。

 守大助と弁護団は患者に筋弛緩剤が投与された事実はないと冤罪を主張した。しかし平成16年3月30日、仙台地裁は、「故意に筋弛緩剤を注入した」として、立証された5件すべてを守大助の犯行と断定し、求刑通りの無期懲役の判決を下した。これに対して弁護側は「守被告は公私ともに幸福で、患者とも親しかった。犯行に及ぶ動機は一切ない」として即日控訴した。

 平成18年3月22日、仙台高裁は守大助の控訴を棄却して一審の無期懲役を支持。守大助は法廷で「絶対に私はしていません」と発言し、裁判長から退廷を命じられた。守大助は即日最高裁に上告したが、平成20年2月25日、最高裁は上告棄却の決定を下し無期懲役が確定した。

 この事件は医療行為を装った前代未聞の凶悪犯罪といえる。もし守大助が10人以上の死亡に関与しているならば、日本犯罪史上最大級の凶悪犯になる。しかし守大助が本当に犯人だったのか、冤罪ではなかったのか。その真実は本人にしか分からないが、なぜかすっきりしない。 平成14年3月31日、事件の舞台となった北陵クリニックは多額の負債を抱えて閉鎖。事件発覚のきっかけとなった少女Aは意識不明の状態が続いている。かつての恋人は、急変の現場にいた自分を助けるための自白だったと今も信じ、守大助は獄中で無罪を訴えている。