介護保険制度の問題

介護保険制度の問題 平成12年(2000年)

 平成12年4月1日、新たな社会保障制度として介護保険制度が始まった。介護保険の理念は、介護が必要な高齢者を社会全体で支えることで、発足当時は、高齢者が安心できる介護、家族の介護地獄からの解放という大きな期待があった。

 高齢者が増え、1割の利用者負担で9割が保険で運用される介護保険制度は、まさに国が儲けを保証するビジネスチャンスだった。企業が続々と参入し、福祉関係の大学や専門学校が次々に創設され、若者は希望をもって介護士を目指した。しかし介護保険制度には大きな欠陥が隠れていた。

 まず介護保険は健康保険と同様に、「保険証1枚で必要な介護を十分に受けられる」と多くの国民は思い込んでいたが、それは幻想にすぎなかった。国民皆保険制度は、「必要な医療を、必要な時に十分に受けられる制度」であるが、介護保険は、介護サービスに上限が設けられ、上限を超えた部分は、我慢するか全額自己負担になっていた。しかも必要なサービスを決めるのは本人ではなく、サービスを認定する市町村で、国の指導で市町村がサービスをカットできる仕組みになっていた。しかも認定されるサービスだけでは不十分で、カットされた部分は全額自己負担になることから、多くの利用者は限られた介護になった。また必要と認定されても1割の自己負担があるため、低所得者はそれが重荷となり利用しづらくなった。

 介護保険制度はそれまで市町村が行っていた福祉からの撤退であった。それまでは市町村が特別養護老人ホームやデイサービスなどを福祉として運営し、利用者は公費で安く利用していた。貧困や高齢者救済という福祉の考えが基礎にあったが、介護保険制度になってサービスが同じなのに料金が跳ね上がった。特別養護老人ホームや老人福祉施設の建設は、それまでは国が建設費の半分を補助していたが、平成16年に補助金が廃止され、新たな建設が困難になった。運営補助金が削減され、介護報酬が下げられ、介護事務所は経営難になり、介護士を確保できなくなった。

 約40万人が入所している特別養護老人ホームの待機者が40万人になり、老人福祉施設(約35万人)も同様で、入所するには入所している老人の死を待つことになった」。また入所できれはよいほうで、待機者の多くが入所を前に死亡していた。介護保険制度は老後をバラ色とするイメージとは間違っていた。

 発足当時、病院の社会的入院が大きな問題になっていた。介護保険は増大する高齢者医療費の財源対策という大きな目的があり、入院患者を病院から介護施設、あるいは自宅へと促す意図があった。つまり介護保険制度は老人福祉が目的ではなく、財政削減のため患者を病院から在宅へ移せば費用が安くなる、施設より在宅のほうがより安くなる、このような動機によるものだった。しかし、介護保険制度が発足した平成12年の国民医療費は前年度より5%減少したが、翌年から増加し、国民医療費プラス国民介護費は予想以上に増大し、当初の目論見がはずれたのである。

 発足当時、お年寄りにとって「介護保険制度を利用しないと損」とする雰囲気があった。取りあえず介護資格を取って、必要がないのにヘルパーを家政婦代わりに利用しようとする者、保険料を払っているのだからサービスは当然とする心理があった。また利用者の介護度が改善すれば介護報酬が減るため、事業所に介護改善の動機が生じず、介護する者が初心者でもベテランでも介護報酬は同じなので介護の質が低下した。

 求められる介護は人それぞれで違っている。100人の利用者がいれば100通りの介護が必要であるが、介護度区分によって介護サービスが杓子定規に決められ、利用者に不公平感が出てきた。市町村の裁量で決められる介護度区分は地域差、個人差を生じさせ、介護する家族の有無、家族が80歳の場合、病気がちの場合など、支える家族の評価がまちまちであった。

 徘徊などの問題行動の多い認知症は、24時間の介護が必要なのに身体機能が保たれているので軽く認定され、症状にむらがある認知症は適切な認定は困難だった。このように介護度の認定区分が利用者の実情を反映しないケースが出てきた。利用者や家族にとってどれだけの介護を受けられるのか分からず、安心から不安の介護になった。

 介護保険の背後にあるのは、官から民への流れだった。介護に市場原理を導入して、サービスを充実させることだった。しかし介護サービスをビジネスとしたため、儲けがなければ介護は成り立たない構図になった。介護事務所の経営が悪化すればサービスを提供できず、介護事務所は経営のためには人件費を減らす以外に方法がなく、そのためヘルパーは安い給料と過酷な労働を強いられ逃げだしたのである。介護をビジネスと捉える介護事務所は、架空請求、虚偽申請、人員基準違反などにより、8年間に500カ所以上の事務所が取消処分を受けている。

 政府は世論の反発を避けるため、保険料を半年間凍結し、次の1年を半額にして、1年半後から全額徴収とした。この行政テクニックにより政府は新制度の導入に成功したが、増大する高齢者に対応する財源を先送りにした。そのため介護財源が不足し、保険料は改定ごとに増え、利用者のサービスは削減され、利用者は自己負担増に耐えられず、利用を控えるようになった。介護報酬を増やせば利用者の負担増を招き、介護報酬を減らせば介護事務所の経営難からヘルパーの給料が減る、この介護保険制度の欠陥が表面化した。

 発足当時、介護保険財源にまだ余裕があった。しかし利用者が増えたため、平成15年、18年に介護報酬がそれぞれ2.3%、2.4%引き下げられ、そのため介護事務所は赤字になった。介護報酬と介護財源は連動していて、利用者が増えれば介護財源を増やさなければいけない。しかし逆に介護財源を抑制したので、介護制度が危機的状態になったのであった。介護認定と介護区分のハードルを高くて、利用者のサービスを少なくし、介護人の給料を減らしたため、介護保険制度は機能不全に陥った。

 社会全体で高齢者を支える、この介護理念を堅持するには、介護財源を確保すれば解決するが、財源を出し惜しんだことが介護を悪くした。80歳の妻が80歳の夫を介護する老老介護、70歳の病弱な娘が90歳の親の面倒をみる病病介護、24時間目が離せない認知症介護。仕事や結婚をやめてしまう家族たち、独り暮らしの老人の孤独死、このような悲惨な状況が現実になっている。介護保険は「保険あって介護なし」、「負担あって介護なし」の状態といえるが、これを言い換えれば、介護負担をケチっての介護危機であり、財政難の国が介護負担から逃げ出した結果といえる。