絶世の美女

美人とは

 日本画には美人画という分類があるが、西洋美術にはない。しかし多くの欧米の画家たちは古くから美女をモチーフに描くことを当然としていた。ギリシャ神話のヴィーナスは美の神として、聖母マリアは美の象徴として描かれてきた。さらに理想化された女性像として、あるいは実際に美人をモデルに描いてきた。美を追求する画家が、女性に求める美とはどのようなものなのか。

 絵画の歴史をみると、ギリシャ時代には美の神話があり、キリスト教以降は聖母マリアが美の象徴であり、18世紀までは美人をより写実的に、あるいは理想的美を創造することが画家の腕であった。しかし1850年になると、写真機の普及が絵画の世界に大きなインパクトを与えた。いかに写実的に描いても、写真に勝る写実はあり得なかったからである。

 そのため絵画を見た者の心に、いかに印象として残るか、その印象の重みが絵画の目的になった。見た目の美人よりも、味のある女性、心に残る女性を描くことが画家の評価になった。その意味では、美神ヴィーナスよりも印象派の女性の方が、より印象的かつ魅力的である。「美人は三日で飽きるが、ブスは三日で慣れる」と俗に言われるが、「永遠に見飽きない魅力的な女性」「見た目より、内面から湧き出る魅力」をいかに創造するかが目的なった。

 美女の基準は、国や時代によって違っている。今日でいう日本の美女とは、二十歳前のスマートで瑞々しい女性であるが、欧米の絵画に見られるモデルは小太りの熟女である。日本のテレビに出演する女性は30歳前であり、その年齢以上の女性は「おばさんと」呼ばれ、女性の枠外に分類される。欧米の事情は知らないが、平均寿命の短かった絵画の時代、飢餓でやせ細っていた時代は、「小太りの熟女」が富の象徴として憧れだったのであろう。何を持って美とするのか、何を持って美人というのか、これは個人的趣味による部分があるので、美人の強要はしないが、一般的な美人について知っておくことも無駄ではないだろう。


ヴィーナス(アフロディーテ)

 ヴィーナスは「愛と美の女神」である。正確にはギリシャ神話に出てくるのがアフロディーテで、ローマ神話に出てくるのがヴィーナスであるが、両者は同一視されているので、ヴィーナス=アフロディーテ=「愛と美の女神」と考えてよい。
  ヴィーナスの誕生は、紀元前700年頃の古代ギリシアの詩人ヘーシオドスの叙事詩「神統記」に記されている。ゼウスの祖父ウラノスはクロノスに性器を切り落とされ、ウラノスの男性器が海に落ち、漂っているうちに乳白色の泡がまとわりつき、その泡から生まれたのがヴィーナスである。
 女神ヴィーナスは生まれた時から成熟した体だった。貝殻に乗り、西風の神ゼピュロスに吹かれてキプロス島の岸に辿り着く。この誕生シーンがボチェチェリのビィーナスの誕生に描かれている。

 ヴィーナスは美ししく恋多き女神である。キリスト教の戒律から、絵画では裸の女性はギリシャ神話の女神か、アダムとイブのイブのみであった。このことから、1746年にゴヤが「裸のマハ」とで初めて生身の女性の裸を描き大問題になったが分るであろう。

ヴィーナスの誕生

1483年頃  172.5 cm × 278.5 cm
ウフィッツィ美術館(フィレンツェ)

この絵画は、ギリシア神話の「愛と美の神ヴィーナス」が成熟した女性として、海の泡から誕生する様子を描いている。ヴィーナスは繁殖力の象徴であるホタテ貝のうえに立ち、豊かな黄金の髪をなびかせ、右手で胸を、左手で陰部を隠しながら、恥じらいのポーズをとっている。
 画面左にはヴィーナスに息を吹きかける西風の神と妻のフローラが描かれている。西風の神とフローラは愛や結婚の象徴なので、愛と美の神ヴィーナスの誕生を祝福していることを表している。また西風に乗って、海から岸へ吹き寄せられているのがわかる。
 画面右には、季節の女神であるホーラが、生まれてきたばかりの恥じらいのポーズのヴィーナスに、花で覆われた布を差し出している。
 この「ヴィーナスの誕生」は、絵画史上初の全裸像である。キリスト教が広まり異教とな ったギリシャ神話の裸婦は排除された。しかし当時フィレンツェを支配していたメヂィチ家がギリシア哲学に傾倒し、ルネサンス(=再生) の流れの中で、古典文化の再生を目指すようになり、ボッティチェリの傑作が生まれた。
 ヴィーナスの描き方は、ダ・ヴィンチやラファエロに見られるものとは違っている。それはヴィーナスの首が現実にはあり得ないほど長く、解剖学的にあり得ないほどのなで肩である点である。この描写は絵画において写実性よりも、美を強調するためのものである。

ヴィーナスの誕生
1879年 カンバスに油彩 71.8 cm × 122.9 cm 
オルセー美術館(パリ)

ウィリアム・アドルフ・ブグロー作

「ヴィーナスの誕生」は海からの誕生したのではなく、完熟した女性として、海からキプロスのパフォスまで、貝殻にのって移動したのである。ミロのヴィーナスと同様に古代ギリシアの女性美を表現している。
 画家ブグローは、1879年のサロンのために製作し、この作品によってはローマ大賞を受賞している。この作品は国家が買い上げリュクサンブール美術館に購入された。現在はパリのオルセー美術館に保存されている。
 絵の中央には、ヴィーナスがホタテガイの貝殻の上で裸で立っているが、その貝殻をイルカがひっぱっている。天使をふくむ15人のプットと、精霊とケンタウロス(首から下が馬の半人半獣)がヴィーナスの到着を喜んでいる。ケンタウロスのうち2頭は巻き貝とトリトンのほら貝を吹奏して彼女の到着を知らせている。
 ヴィーナスの頭部は片方に傾き、そして顔の表情は穏やかで、自分の裸に満足しているようである。両腕を上に挙げ、大腿部までの褐色の髪をととのえ、身体は優雅にS字カーブをなし、女性らしい曲線を強調している。ヴィーナスは女性美と見なされ、女性美が絵のなかに示されている。

アフロディテ
1870年頃 | 鉛筆・水彩・紙 | 24.4×14.7cm |
フォッグ美術館

ギュスターブ・モロー作

 波間から浮かび上がったビ−ナスが、優美な仕草で濡れた髪を絞る姿は「海から上がるアフロディテ」と呼ばれ、多くの芸術家たちが絵画や彫刻にした。しかし、この作品は水彩の名手モローならではの軽快で繊細な筆遣いでである。微妙な濃淡の海と空の蒼によって、彫刻のようなにみえ、女神は乳白色の肢体を優雅にくねらせている。さらりと描かれているが、詩情と聖性に19世紀画壇の常識とは一線を画した幻の美を感じさせる。

 

海から上がるビーナス

1807年

ドミニック・アングル作

  1807年頃、ペンによる最初の素描がなされ40年もの歳月をかけてじっくりと仕上げられた。水平線を背景に優美なポーズを取ったヴィーナスの裸体を画面いっぱいに描いている。微笑をこちらに投げかけた女神は、左側の髪をかき上げるのにわざわざ反対の右腕を掲げ、鑑賞者を誘惑しているようである。
  理想化された人形のようであるが、生々しさをも秘めている。これをモローは「こんなものはただのモデル習作であって芸術作品じゃない」と批判し上図「アフロディテ」を描いた。

ビーナスの誕生

1862年 

アモリー・デュバル作

海から上がるビーナス

1836年

テオドール・シャセリオー作

37歳で夭折した早熟の天才シャセリオーが19歳のときに描いた作品。 描かれているのは、風に運ばれて海を渡ってきた女神が乗ってきた帆立の貝殻を捨てて初めて陸地を踏んだ場面である。明け方の澄んだ光の中、足首にまで届きそうな金髪を高々と掲げて絞りあげ、雫を滴らせるその姿は無垢な清らかさに満たしている。女神の誕生を讃える賑やかしはないが、そのシンプルさが神聖な静寂をもたらしている。シャセリオーは裸婦像制作の際はほっそりした柳腰の女性を斜め45度の角度で描き、今回のように両腕を上げて脇腹の美しい曲線を強調している。

髪を束ねるヴィーナス
1897 プライベートコレクション

ジョン・ウィリアム・ゴッドワード作


カバネル「ヴィーナスの誕生」(1875)
 アカデミズム絵画の最高傑作と謳われ、アカデミー主催の官展で絶賛され、フランス皇帝ナポレオン3世が買い上げた。アカデミズム絵画とは、フランス画壇 の最高権威である芸術アカデミーを支配した古典重視の保守派閥である。聖書・神話が題材ならば、裸を描いても「神聖な美」と認められる伝統があった。

 ヴィーナスが泡から誕生した瞬間を、天使たちがほら貝を吹いて祝福している。ヴィーナスの美しく透き通るような白い肌と、金色に輝く髪が美しく、装飾や飾り立てがなくても、この神秘的瞬間が見事に演出されている。カバネルがアトリエの中で女性を描き、後から海を合成したため、ヴィーナスが波に対してどのように寝ているのか不可解になっている。

 印象派とは表現も思想も正反対であるが、この絵画は印象派の殿堂ともいえるオルセー美術館に所蔵されている。


 小椅子の聖母
1514年 直径71cm | 油彩・板 |
ピッティ美術館(フィレンツェ)

 ラファエロの作品で最も人気の高い傑作「小椅子の聖母」。メディチ家の旧蔵で、数多くの模写が確認されている。美しく豪華な額縁の中、こちらを見つめ微笑みを浮かべる聖母子像を描いたトンド(円形画)形式による作品である。本作品の聖母マリアの母性に溢れた表情やモデルについては諸説唱えられている。伝説によれば、ラファエロがローマの街を歩いていると、赤子を抱きかかえ、そばに子供が立つ、仲睦ましいる親子を見かけた。それを近くに落ちていた古いワイン樽の蓋に描いたとする話ある。またラファエロの愛人と二人の間に生まれた子供とする説がある。本作品の聖母マリアと幼子イエス、洗礼者幼児聖ヨハネは、やや円形の画面内へ押し込まれるように配されるが、美しく高潔でありながら、幼児の愛らしさと聖母の若々しい女性美は圧巻であり、特に聖母マリアの観る者へと向けられる視線の魅力は当時から観る者の目を惹きつけた。

ダナエ
1907-08年77×83cm | 油彩・画布 |
個人所蔵

クリムト作

 この絵は有名なギリシャ神話をテーマにしている。父アルゴス王アクリシオスによって美しい娘ダナエは青銅の塔に閉じ込められる。しかし主神ゼウスは黄金の雨に姿を変え塔に入り、ダナエと愛の契りを交わす。そして生まれたダナエの子がペルセウスである。この絵の中で、ダナエの両脚の間を流れる黄金の雨はゼウスの象徴である。
 ほぼ正方形の画面の中へ蹲るような姿態のダナエの股間部に、まるで精子を思わせるような円と線、そして鉤状の形をした黄金の雨に姿を変えた主神ゼウスが流れ込み、その情景はあたかも主神ゼウスによるダナエへの愛撫を連想させる。ダナエはゼウスの激しく愛撫を受け、頬は紅潮し恍惚の表情を浮かべている。あまりの快楽ゆえなのだろうか、右手は乳房へと置かれ、己の敏感になった感覚を掻き毟るかのように爪を立てている。薄透した黒布の装飾的な文様。ダナエの姿態の大部分を占める大きな左大腿部で隠れているが、ダナエの左手は性器へと向けられているようであり、古くからダナエは自慰行為をおこなっているとされている。ダナエはルネサンス期ヴェネツィア派の巨人ティツィアーノを始め、コレッジョ、レンブラントなど過去の偉大なる画家た ちも描いてきた、神話の中でも最も一般的な主題であるが、ここまで露骨に性と快楽を表現した作品は他にない。

真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女)
    制作年代:1665年 - 1666年頃
    技法:カンヴァス、油彩
    サイズ:44.5×39cm
   オランダ・バーク・ マウリッツハイス美術館

姉妹達
1868年 | 油彩・画布 | 106.7×106.7cm |
個人所蔵(ロンドン)




ゴダイヴァ夫人
ジョン・メイラー・コリア
1850~1934