うつぶせ寝新生児死亡

うつぶせ寝新生児死亡 平成7年(1995年)

 平成7年1月5日、東京都目黒区の東邦大付属大橋病院で井上湧介ちゃんが誕生した。生後3日目の1月8日早朝、当直だったK看護師(28)が新生児室の湧介ちゃんにミルクを与えたところ、少しミルクを吐いたが、K看護師はそのまま湧介ちゃんをうつぶせに寝かせた。

 湧介ちゃんを寝かせると、K看護師は新生児集中治療室に移動して検査をしていた。K看護師は1人で15人の新生児を看護していた。約30分後、朝の授乳のために母親の立子さん(31)が湧介ちゃんのそばにいくと呼吸が停止していた。すぐに心臓マッサージなどの救命措置がとられたが、低酸素脳症から重度の脳性マヒになり、約7カ月後の8月9日、湧介ちゃんはミルクをのどに詰まらせ死亡した。

 両親である舞台俳優の井上達也さん(31)と妻の立子さん(32)は、湧介ちゃんが死亡したのはうつぶせ寝が原因として、東邦大に6900万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。うつぶせ寝によって敷布団が鼻や口をふさぎ窒息させたのは、看護師が乳児を観察する注意義務を怠ったからとした。一方、病院は湧介ちゃんの死因は乳幼児突然死症候群(SIDS)によるもので責任はないとした。

 平成10年3月23日、東京地裁の福田剛久裁判長は病院側の責任を認め、東邦大に約4800万円の支払いを命じる判決を下した。「乳児をうつぶせ寝で寝かせる場合は、鼻や口を圧迫しないような寝具を使い、継続的に観察する注意義務がある」と判決理由を述べ、うつぶせ寝が危険であることを法的に指摘した。病院は控訴したが、平成13年10月17日、東京高裁は控訴を棄却。このように民事事件として病院は敗訴したが、この事件は刑事事件としても訴えられた。

 平成12年8月7日、時効(5年)2日前のことである。東京地検は同病院のK看護師(33)を業務上過失致死罪で起訴。うつぶせ寝による看護師の責任が、刑事事件として問われるのは初めてのことであった。同年10月23日、東京地裁で初公判が行われ、K看護師は「過失があったとは考えていない。看護師として精いっぱいやった」と無罪を主張した。

 しかし平成15年4月18日、東京地裁の山崎学裁判長はK看護師に「安全に看護すべき注意義務を怠った」として罰金40万円(求刑禁固8月)の有罪判決を言い渡した。新生児をきちんと監視するか、あおむけに寝かせていれば事故は避けられたとした。

 この判決は医療関係者を驚かせた。当直勤務中だったK看護師は、仕事を怠っていたわけではない。15人の新生児を1人で看護していたのである。病院は看護定数を満たしていたので責任はないとしたが、病院の当直体制の不備、あるいは看護定数を法的に定めている国の責任の方が重いと思えたからである。

 事件当時、うつぶせ寝は寝つきがよく、頭の形がよくなるとされ全国的に普及していた。当時の日本では、赤ちゃんの約2割がうつぶせ寝で、うつぶせ寝を危険とする認識はなかった。そのような世相の中で、K看護師はうつぶせ寝を理由に罰せられた。

 この事件で病院は「乳幼児突然死症候群(SIDS)が死亡の原因」と主張し、この聞きなれないSIDSが話題になった。SIDSは元気だった乳児が、何の前ぶれもなく突然死亡する疾患で、乳児死因の第3位になっていた。SIDSの原因は不明であるが、乳児は呼吸の調整機能が未熟なため、突発的な無呼吸状態から死亡するとされていた。SIDSの発生頻度は出生1万人に約3人、平成7年の統計では全国で579人にすぎなかったが、SIDSの概念がはっきりしていないこと、うつぶせ寝がSIDSを引き起こすという報告もあり、議論がかみ合わなかった。

 多くの看護師は、K看護師が有罪になったことに驚き不満を持った。この事件判決後、看護師の医療保険加入が急増したことからも、この事件の影響がいかに大きかったかが分かる。