遺伝子治療

遺伝子治療  平成7年(1995年)

 平成7年8月、北海道大病院小児科でADA(アデノシン・デアミナーゼ)酵素欠損症の男児(4)に日本初の遺伝子治療が開始された。ADA酵素欠損症とは、免疫系のADA酵素を産生する遺伝子が先天的に欠損している病気で、免疫機能が弱いため、感染症にかかりやすく、長生きできないとされていた。

 この遺伝子治療は、まずマウスのウイルスにADA酵素を産生する遺伝子を組み込み、患者の血液から血液幹細胞を含む白血球を取り出し、ADA酵素遺伝子を組み込んだウイルスを患者の血液幹細胞に感染させる。患者の白血球の遺伝子にADA酵素の遺伝子が組み込まれると、その白血球細胞を培養して患者の体内に戻すのである。

 平成9年3月、男児の体内に戻された白血球細胞がADA酵素を産生、感染への免疫力が認められ治療は終了し、日本初の遺伝子治療が無事成功した。この遺伝子欠損症のADA酵素欠損症への遺伝子治療は、世界的では平成2年から行われていたが、ADA酵素欠損症は世界中で100人程度のまれな病気であった。つまり遺伝子欠損症への遺伝子治療は、その対象疾患が限られていた。

 そのため遺伝子欠損症だけでなく、エイズやがんの治療にも遺伝子治療が応用されることになった。遺伝子治療とは病的細胞の持つ遺伝子に、何らかの遺伝子操作を加えて治療することで、人間のDNAを操作することに倫理的問題、技術的困難が伴うが、医学の進歩により治療対象疾患を広げようとした。エイズやがんに遺伝子治療は大きな期待が持たれたが、ADA欠損症の遺伝子治療ほど順調ではなかった。

 平成9年には、エイズ感染者の発病予防と遅延効果を狙った遺伝子治療が熊本大付属病院で承認されたが、先行して行った米国でこの遺伝子治療が無効であることが分かり中断となった。

 平成10年、東京大医科学研究所で腎臓がんへの遺伝子治療が始まった。手術で取り出したがん細胞にGM-CSF遺伝子を組み込ませたウイルスを入れて培養し、それをがんワクチンとして患者に接種する方法である。

 平成11年3月、岡山大は非小細胞肺がん病巣に、がん抑制遺伝子p53を注入する治療を行った。アデノウイルスに結合させたがん抑制遺伝子p53をがん細胞に入れれば、がん細胞は増殖せずに死滅するという理屈である。がん抑制遺伝子をいわば抗がん剤として用いたのである。結果としてがんは縮小したが、治癒までには至っていない。欠乏している遺伝子を注入することは比較的簡単であるが、がん細胞はすでに遺伝子が変異しているので、治療成績は良好とはいえなかった。

 現在、世界では600以上の疾患に対し、遺伝子治療の研究や臨床応用が進められているが、いずれもそれほどの成果を上げていない。ヒトはマウスとは違い遺伝子の導入効率が悪く、また技術面が確立しておらず、安全性が大きな壁となっている。そのため、マウスではなくサルを用いて実験が進められている。遺伝子治療は素晴らしい可能性を持っているが、未知の部分が多く、まだ期待される実用には至っていない。