竜岡門クリニック事件

竜岡門クリニック事件 平成10年(1998年)

 平成10年10月14日、警視庁薬物対策課と池袋署は東京都文京区湯島にある竜岡門クリニック所長の鈴木寛済(ひろなり)(64)ら7人を医師法違反(無免許医療)の疑いで逮捕した。逮捕されたのは鈴木寛済のほか鈴木寛済の長男と二男、さらに同診療所の女性検査技師(49)と女性栄養士(50)で、彼らは医師免許がないのに学生たちから血液を買い、「抽出したリンパ球液で免疫力を高める」と言ってがん患者に投与していた。

 竜岡門クリニックとクリニックを経営するシービーエス研究所などが家宅捜索を受けた。この事件は、警視庁薬物対策課が未承認の薬剤をがんに効くとして製造していた製薬会社役員らを薬事法違反容疑で書類送検し、その事件の捜査過程で鈴木寛済らのリンパ球液投与を知り、聞き込み捜査をしていたのだった。リンパ球液は医薬品と見なされ、製造と販売には厚生大臣の承認と許可が必要だった。

 警視庁の調べでは、売血していた学生らは延べ3000人以上であった。早稲田、慶応などの大学生が含まれ、主に体育会系の部員が集められ、投与された患者は1000人以上に及んでいた。

 昭和59年から平成10年4月まで、鈴木寛済らはアルバイトとして雇った男子大学生から血液400ccを2万円で採取、リンパ球液を抽出してパックに詰め、がん患者に1パック8万円で投与していた。竜岡門クリニックはリンパ球療法によってがんが消えた、若い人のリンパ球液を投与すれば免疫力が高まる、副作用はまったくないと宣伝していた。がん患者を集め、年間平均売り上げは約6500万円で、総額10億円を超す荒稼ぎだった。

 リンパ球は白血球の1種で、体内に入ったウイルスや細菌などを攻撃する免疫機能を持っている。リンパ球にはウイルスに感染した細胞を直接攻撃するT細胞、未知の異物と戦う抗体を分泌するB細胞の2種類に分けることができる。竜岡門クリニックで行っていたリンパ球療法は、買い上げた血液からリンパ球を抽出し、がん患者らに点滴をして、患者本人の免疫力を活性化して治すと説明していた。

 リンパ球療法として、「自己血のリンパ球を培養して抗原を認識させて体内に戻す治療」は今日でも行われているが、他人のリンパ球を患者の体内に入れるのは危険だった。他人のリンパ球が、患者の身体を異物として逆に攻撃する移植片対宿主病(GVHD)を引き起こして死に至らせる危険があったからである。竜岡門クリニックでは、血液提供者の梅毒、B型肝炎、C型肝炎などの検査が行われていなかった。そのためウイルス感染の危険性も高かった。

 鈴木寛済は医師ではなかったが、がんの治療法として「末期がん患者に他人のリンパ球を投与する新リンパ球療法」を唱え、3冊の本を出版して「がんが消えた」などと広く宣伝していた。自ら本を書いてそれを宣伝に利用することは、民間療法のよくやる手法である。本屋に行けば民間療法に関する本が並び、新聞の第1面の広告には怪しげな本の宣伝が掲載され、本や新聞といった権威を利用した宣伝は「バイブル療法」と呼ばれているが、鈴木寛済も同じ手法をとっていた。

 竜岡門クリニックは、95歳の寝たきりの医師の名義を無断で借り、末期がん患者に他人のリンパ球を投与していた。竜岡門クリニックは販売ルートを全国に広げ、小包や宅配便などでリンパ球を郵送し、約40の医療機関で患者に投与していた。それぞれの患者が持ち込んだリンパ球を各病院の主治医が投与していたのだが、いずれも安全性を考慮していなかった。副作用はなかったとされているが、危険性はきわめて高かったはずである。

 医療機関の中には5つの国立大付属病院が含まれ、富山医科薬科大付属病院は胃がんの患者に4回投与していた。山形大医学部付属病院は卵巣がん患者に25回投与、肺がん患者に2回投与していた。金沢大医学部付属病院、浜松医科大医学部付属病院、名古屋大医学部付属病院でもがん患者に投与していた。

 厚生省は「リンパ球液投与」の全国実態調査を行い、その結果、竜岡門クリニック以外にリンパ球療法を行っていた都道府県は29で、リンパ球液を投与していた医療機関は103カ所、投与患者数は1万1169人であったと発表した。リンパ球液の入手方法は、患者や家族が直接購入したものが82件、医師が仲介したものが15件、自院で調整投与したものが7件であった。

 投与された患者1万729人のがん患者のうち7091人はすでに死亡していたため、感染症や副作用の有無は不明のままであった。

 リンパ球液療法を行っていた医療機関が予想以上に多かったことから、厚生省は、「リンパ球液の投与について」の通知を各都道府県に送付した。その通知には、「有効性、安全性が確認されていない薬事法上の未承認薬の投与に当たっては、患者の病状、診療上の必要性、期待される効果、可能性のある副作用などすべての事情を十分考慮し、その取り扱いについて慎重に検討すべき」と指摘している。さらにリンパ球液を買い集めることを、買血行為として新たに禁止した。

 薬事法上無許可で製造されたものであっても、すがる思いの患者に懇願されれば、医師はむげに断るのは困難である。丸山ワクチンと同じ感覚だったのだろうが、根拠のない治療は無意味である以上に危険性を伴うのである。しかも他人のリンパ球を投与することは輸血と同じ行為で、投与した医師に責任がないとはいえない。

 平成10年11月、東京地方検察庁は竜岡門クリニックの経営者らを医師法違反罪で起訴、さらに薬事法違反容疑で再逮捕した。東京地裁(今崎幸彦裁判長)で鈴木寛済ら4人は起訴事実を認め、鈴木寛済は懲役2年の実刑判決を受けた。鈴木寛済は控訴したが「患者の必死の思いに付け込み、治療の名のもとに高額な利益を上げた責任は重大」として控訴は棄却された。鈴木寛済以外の容疑者の判決は執行猶予の付く実刑であった。また法人としてのシービーエス研究所も罰金200万円、追徴金7080万円の判決を受けた。

 シービーエス研究所は後に東京国税局の税務調査を受け4年間で総額約1億3000万円の所得隠しを指摘されている。シービーエス研究所が隠していた所得の一部は、鈴木社長と親しい女性のマンション購入費に充てられていた。この竜岡門クリニック事件は患者の必死の思いに付け込んだ、金儲けを目的とした卑劣な犯行であった。

 この事件で考えさせられるのは、もし逮捕された鈴木寛済が医師であったならば、偽装した治療成績を三流医学雑誌に掲載していたら、どのような経過になっていたであろうか。他人のリンパ球を利用する治療法として、白血病への骨髄移植という治療法が認められていることから、金儲けのインチキ療法であっても、自由診療であれば万が一にも合法とされることを危惧するのである。