毒グモ騒動

毒グモ騒動 平成7年(1995年)

 平成7年11月、大阪府高石市に住む昆虫好きの会社員が、高石市内の工場敷地で日本にいるはずのない毒グモを見つけた。これが毒グモ騒動のきっかけであった。

 この毒グモ「セアカゴケグモ」は高石市だけでなく、大阪府南部の堺市、泉大津市などでも大量に生息していることが分かった。さらに、三重県四日市市で70匹、関西空港で54匹が見つかり、各地に警戒網が敷かれた。日本で見つかったセアカゴケグモは、船に紛れて入り込んだとされた。

 セアカゴケグモは、オーストラリアを中心に熱帯・亜熱帯に生息し、ヒメグモ科ゴケグモ属に分類される。ゴケグモは交尾のあと雌が雄を食い殺すことがあり、また通常雌が多いことから、この黒っぽい背中に赤い帯状の色がついているクモは、セアカゴケグモ(背中の赤い後家蜘蛛)と命名されていた。

 体長は4〜10ミリで猛毒を持ち、かまれると死に至ると報道され大騒動になった。「かまれると死ぬかもしれない」という恐怖心から、駆除のためのクモ探しが全国的に行われた。しかし、かまれると死ぬというのは誤報であり、素手でつかんでかまれることはあっても、毒性は低く死ぬことはない。12月5日、セアカゴケグモの毒性を調査していた大阪府は「性格はおとなしく、毒性は弱いため人間が死ぬほどの影響はない」と安全宣言を出した。

 セアカゴケグモは、花壇の縁石や墓石のすき間、側溝の中などに巣をつくって生息する。日本では、セアカゴケグモが沖縄の八重山諸島で見つかった記録があるが、人間を襲った事例はない。外国では死亡例が報告されているが、それは何度もかまれ、アナフィラキシーショックで死亡した例であった。

 セアカゴケグモは1800匹以上見つかったが、これは天敵がいないために帰化した可能性があった。この騒動でクモ探しが全国的に始まり、平成7年12月、日本国内に生息してないはずのハイイロゴケグモ数匹が、横浜市中区本牧のコンテナ置き場で見つかった。ハイイロゴケグモは、セアカゴケグモより毒性の弱いクモで、性格もおとなしく人をかむことはない。厚生省横浜検疫所職員がコンテナ置き場のベンチの下から見慣れないクモ数匹を見つけ、国立科学博物館に鑑定を依頼しハイイロゴケグモであることが判明した。

 ハイイロゴケグモは、セアカゴケグモと同じヒメグモ科ゴケグモ属のクモで、中南米やアフリカなどに生息する。体長は約10ミリで茶色の背中に斑紋があり、材木やバナナなどの船の積み荷に紛れ込んで上陸し、繁殖したとされている。暖冬が繁殖を助けたらしい。

 クモは餌の昆虫をかんで毒液を注入し、動けないようにして食べる。このことから昆虫にとって、すべてのクモは毒グモとなる。しかしクモの毒牙は短く、毒の量も少ないため、人間に危害を加えるクモはきわめて少ない。世界には3万種類のクモがいるが、最も危険なクモは地中海クロゴケグモである。クロゴケグモにかまれると、痙攣を起こし死に至ることがまれにある。痙攣はクロゴケグモが持つ神経毒であるラトロトキシンが、ヒトのカテコールアミンを大量に放出させるためとされている。日本では毒グモで死亡した例はない。今回の毒グモ騒動はあまりに神経過敏と批判が出てやがて沈静化した。