岡光事務次官福祉汚職事件

岡光事務次官福祉汚職事件 平成8年(1996年)

 大蔵省の主計局次長の蓄財疑惑、通産省の業者たかり事件、厚生省の薬害エイズ事件…。平成8年は、官僚たちの不祥事が次々と暴かれ、腐敗した役人たちに国民がうんざりとさせられた年であった。

 薬害エイズ事件で大揺れに揺れていた厚生省は、岡光序治(58)を事務次官に起用し、薬害エイズで失った信頼を取り戻そうとした。岡光序治は厚生事務次官の最後の切り札として期待された。しかしこの岡光こそが、その後に発覚する特別養護老人ホーム汚職の中心人物であった。厚生省のトップが福祉屋と癒着し、福祉そのものを食い物にしていた。

 この事件は、特養ホームの内部告発によって発覚した。平成8年11月18日、前埼玉県高齢者福祉課長・茶谷滋(39)が収賄容疑で逮捕された。逮捕されたのは埼玉県を中心に特養ホームの建設と経営を手がけていた社会福祉法人・彩福祉グループに便宜を図っていたからで、その彩福祉グループ代表・小山博史(51)も贈賄容疑で逮捕された。小山博史から茶谷滋へ、現金1000万円が特養ホームの許認可のワイロとして渡されていた。

 逮捕された茶谷滋は、岡光序治の厚生省の部下で、平成4年から高齢者福祉課長として埼玉県に出向していた。出向の間、岡光が茶谷を小山に紹介、小山を支援するように要請していた。厚生省から地方への出向は通常2年であるが、茶谷の出向は3年間に延長されていた。これは、小山を援助するための岡光の人事だった。

 茶谷は、逮捕される直前の10月に行われた衆院選に、自民党公認で埼玉6区から立候補していた。選挙の資金も人脈もすべて彩福祉グループの小山の丸抱えだった。当時、首相だった橋本龍太郎をはじめ小渕恵三、梶山静六などの大物議員が応援に来たが、結果は落選だった。

 小山と茶谷が逮捕されたが、この補助金汚職はまだ序幕にすぎなかった。2人が逮捕された同じ11月18日、朝日新聞は岡光序治が特養ホームの設置にからむ補助金交付などの便宜を図ったお礼として、小山からゴルフ会員権などを受け取っていたと報道。翌19日、この報道により岡光は辞任。事務次官になってから4カ月目のことであった。

 12月4日、警視庁捜査二課は岡光序治を収賄容疑で逮捕。容疑内容は小山から現金6000万円を厚生省官房長室で受け取っていたこと、さらに乗用車(350万円相当)を3年間無償で提供を受け、ゴルフ会員権(1600万円相当)をもらっていた。

 事務次官クラスが逮捕されたのは、リクルート事件で労働次官と文部次官が東京地検に摘発されて以来、戦後3人目のことであった。さらに岡光の妻(51)が、彩福祉グループの社会福祉法人の理事を務めていたことも報道された。

 岡光序治は幼くして父親を病気で亡くし、努力して東大法学部を卒業、使命感を持って厚生省に入省したとされている。一方、贈賄側の小山博史は、かつての総務庁長官・玉置和郎の秘書だった経歴を持ち、秘書時代に厚生省と密接な関係をつくり上げ、岡光とは厚生省の勉強会で知り合い、20年来の付き合いだった。

 小山博史は、勉強会「医療福祉研究会」を設立し、会長として岡光を祭り上げ接待した。接待の場所は赤坂、向島、浦和市内の料亭で、30人の厚生官僚と付き合い、次官候補はすべて押さえていると豪語していた。小山は、仲間からは陰の厚生事務次官と呼ばれ、厚生省の内情に精通していた。小山博史は、平成5年に病院経営に失敗すると、福祉事業に乗り出した。岡光から厚生行政の情報を取り、厚生行政による事業を先取りして事業を展開していった。

 特養ホームは「65歳以上の身体精神の障害のために看護を必要とする者が入る施設」で、昭和38年の老人福祉法によって推進が定められた。特養ホームをつくる場合、国が総額の半分を、県が4分の1を補助し、残り4分の1も市町村の補助、低利融資を受けられるようになっていた。さらに開設後は、お年寄り1人に対し補助金が出る仕組みになっていた。このため特養ホームは認可さえ下りれば、必ず儲かる仕組みになっていた。小山が特養ホームの申請をすると、異例の早さで次々に許可されていった。小山は埼玉県と山形県の8カ所で特養ホームの建設と経営を手掛け、小山が経営する建設会社「ジェイ・ダブリュー・エム」が、これらの特養ホームの建設を独占していた。

 ジェイ・ダブリュー・エムはいわゆるトンネル会社で、特養ホームを建設するだけの能力がなかった。そのため別の建設会社に低額で下請けに出す「丸投げ」を行っていた。この「丸投げ」によって、小山は27億円という巨大な差額を稼ぎ、下請けから2割のキックバックを受けていた。小山は埼玉県だけで6つの福祉法人の認可を受け、福祉行政を食い物にした一部の資金が茶谷滋や岡光序治らの厚生官僚に渡っていた。

 岡光序治は老人保健福祉部長だった平成元年に、「高齢者保健福祉推進10カ年戦略(ゴールドプラン)」をつくり、特養ホームを全国で29万床増床することを国家目標に掲げた。このゴールドプランについて、小山にさまざまな助言をしていた。

 この事件で目立つのは、通常とは異なる贈収賄の構図であった。通常、不正を仕掛けるのは贈賄側で、受け身となるのが収賄側である。業者は政治家や官僚の権力に期待し、料亭やゴルフ場での接待を繰り返してカネを握らせ、その見返りとして法律改正や仕事の斡旋、補助金交付などの頼みごとをした。

 しかし今回の事件はそれが逆で、厚生事務次官まで昇りつめた岡光序治が、自分の資金づくりに小山博史を利用していた。岡光が小山という贈賄屋を丹誠こめて育てあげ、小山に特別養護老人ホームの建設を独占させ、国の補助金を自分にバックさせる構造をつくっていた。岡光は地位を利用して金銭が懐に入るシステムを考案した確信犯であった。官僚倫理レベルを遙(はる)かに超える犯罪で、岡光は退官後に広島県知事選挙に出るつもりだった。

 この事件で、岡光序治の妻(51)も業者に便宜を図ってもらい、「おねだり妻」という新語が生まれた。岡光の妻は、提供を受けた車の色が気に入らないと言っては取り換えさせ、マンションの購入資金だけでなく、改築費まで出させていた。内助の功ではなく、内助の罪をつくっていた。その一方で、岡光は省内の親しい女性を同伴して海外接待旅行をしていた。もちろん資金はすべて小山が出していた。

 この事件の背景には、補助金を監視する制度が不備だったことがある。バブルがはじけ、建設コストが低下したのに、現実とはかけ離れた高額の建設資金が国から業者に支払われていた。丸投げによって27億円の差額が生じても、それをチェックする仕組みがなかった。

 この事件で逮捕された官僚は2人であったが、厚生省にはゴルフや食事など小山から接待を受けていた者が多数いた。和田勝審議官が現金100万円を受け取っていたとして懲戒免職、ほか15人の厚生省幹部が処分された。官僚と頻繁に料亭で酒宴を催すなど、福祉を食い物にした「官」と「民」の癒着が浮き彫りになった。

 岡光序治は初公判では起訴事実を認めたが、公判途中から「便宜供与はない」「友人関係の延長から現金などを受け取った」と主張した。しかし平成10年6月、東京地裁は「懸命に努力している福祉現場の関係者に深刻な衝撃を与えた」と厳しく指摘し、岡光に懲役2年、追徴金6369万円の実刑判決を言い渡した。

 岡光序治の部下の茶谷滋(39)は懲役1年6カ月、執行猶予4年、追徴金1122万円。小山は懲役1年6カ月、追徴金200万円の実刑であった。茶谷のみ執行猶予がついたが、これは要求型の収賄と異なっていたからである。岡光と小山は判決を不服として控訴したが、平成12年11月、東京高裁はこれを破棄している。

 岡光序治の陣頭指揮でつくり上げられた高齢者福祉政策の「ゴールドプラン」、この「ゴールドプラン」に沿った特養ホームの建設が、高齢化社会の厚生省を利権官庁にした。平成12年に介護保険制度が開始されたが、この介護保険制度も岡光序治によってつくられた制度であった。