安田病院診療報酬詐取事件

安田病院診療報酬詐取事件 平成9年(1997年)

 平成9年7月28日、大阪地検特捜部は安田病院グループの安田病院長・安田基隆(77)ら幹部5人を巨額の診療報酬を不正受給していた詐欺容疑で逮捕した。逮捕されたのは、安田院長のほか事務長2人、大阪円生病院の婦長、経理責任者2人であった。

 安田院長は、安田病院(大阪市住吉区)、大阪円生病院(同東住吉区)、大和川病院(大阪府柏原市)のワンマン経営者だった。大阪府の調査では3病院が報告していた医師78人のうち11人が、看護師345人のうち157人が退職した職員や架空の職員だった。不正で得ていた診療報酬は、過去2年間だけで20億円に達していた。

 病院に支払われる診療報酬は、「入院患者数に対する看護師の数」で決まっている。これを基準看護料と呼ぶが、安田病院と大阪円生病院は基準看護として入院患者4人に対し看護師が1人と届けていた。この「4対1」の基準看護料であれば、入院患者1人当たり1日4240円を得ることができた。また大和川病院は「6対1」として3170円を受け取っていた。

 しかし安田病院グループの実際の看護師数は、基準看護料では最低ランクの1日1420円(安田・大阪円生)、1320円(大和川)に過ぎなかった。この基準看護料の差額が2年間で20億円になっていた。

 安田病院グループは人件費を極端に少なくし、行政へは看護師数を大幅に水増しして報告、その差額を荒稼ぎしていた。安田院長が中心になり、事務幹部が架空の職員や退職した看護師のニセの勤務表や出勤簿、タイムカード、賃金台帳をつくっていた。それは医療ではなく、診療報酬を利用した錬金術であった。

 大阪府は安田病院グループに医療監査を行い問題なしとしていたが、それは3病院が同時に監査を受けることがなかったからである。医療監査の日程は、2週間前には当局から病院に通知されていたので、3病院のうちの1病院に監査が入る日には、ほかの2病院の職員を動員して、マイクロバスに乗せて病院に運び、架空職員になりすませていた。看護補助者や付添婦にニセのバッジを付けさせ、看護師の格好をさせていた。

 安田病院グループは、身寄りのない老人や厄介な患者、麻薬中毒患者、アルコール依存症患者などを積極的に入院させていた。ほかの病院が敬遠する患者でも入院できたので、家族、病院、行政にとって都合のいい病院だった。病院にとっては、生活保護患者や公費医療補助の老人は確実に収入となった。しかし病院の環境は最悪で、電気代節約のため冷暖房の使用を制限し、夏は蒸し風呂、冬は冷蔵庫の状態であった。患者への暴行、無資格診療が日常的に行われ、紙おむつ代の水増し請求も発覚した。

 職員全員が安田院長に逆らえず過重労働を強いられていた。患者が死亡すると、担当職員は「罰金」として2000円から最高36万円が給与から天引きされた。

 安田病院グループの評判は良いものではなく、摘発される4年半前には大和川病院で患者が3人の看護人に暴行を受け死亡する事件が起きていた。この事件をきっかけに、安田病院グループは内部告発などで黒い噂(うわさ)が立つようになった。

 安田病院グループの大規模な不正は長い間見逃されてきたが、平成8年12月、大阪府はこの黒い噂に対し3病院の一斉調査を行った。平成9年3月10日、読売新聞が安田病院グループ3病院の不正疑惑を報じ、3月25日の紙上では「平成8年12月の調査を前に、安田院長が国会議員や府議、厚生省の局長らに調査を先延ばしするように働きかけた」と報じた。

 安田院長は旧大阪帝大医学部卒の医学博士で、大阪の高額納税者番付の14位にランクされていた。大阪府医師会理事などのポストを歴任し、大阪府社会保険診療報酬支払基金の審査委員を務めていた。数年前から不正請求の内部告発があったが、支払基金の審査員をしている病院への監査は甘かった。昭和63年、安田院長は「安田記念医学財団」を設立し、政治家、官僚、医師などを役員にしていた。

 このようにして厚生官僚、大阪府の高官、政治家との親密な関係をつくり上げ、関連する役所には返品しにくい生鮮魚介類などの贈答品を贈っていた。コネを利用した実例として、3病院同時の立ち入り調査の情報が入ると、厚生省保健医療局長、健康政策局長、国会議員、府議などに働きかけ、3病院同時調査を止めるように働きかけていた。

 強制捜査が行われ、院長室から100キロの金の延べ板(時価1億3000万円相当)と1億5000万円の札束が見つかった。銀行の貸金庫には、総額5億円の定期預金証書があり、安田院長のマンションから1億数千万円の札束が見つかり、約20カ所の土地や住宅を購入していることが判明した。安田病院グループの資産は総額約60億円で、診療報酬の一部がこのような巨額の資産形成に使われていた。

 医療法では「知事が病院の開設許可を取り消す」ことができた。大阪府は安田病院グループの不正が明らかになったことから、3病院の保険医療機関の指定を取り消し、平成9年10月1日、3病院は廃院となったが、職員の給料や退職金は十分に支払われなかった。

 大阪地検特捜部の調べに、安田院長は「悪いのは事務長ら4人。私はだまされていた」と関与を否定したが、公判では裁判官の心情をよくするためか、起訴事実を素直に認め、約 24億円を返還した。平成10年4月14日、大阪地裁は安田基隆に懲役3年の実刑判決を言い渡し、即座に収監された。二審の大阪高裁でも、西田元彦裁判長は「医療従事者としての責務を忘れ、不正受給を続けた犯行は実刑が相当」と一審の実刑判決を支持。安田基隆院長は上告したが、上告中の平成11年6月17日、前立腺がんで死亡した。

 平成9年6月に健康保険法改正案が成立し、健康保険の自己負担が1割から2割へ引き上げられた。国民全体の負担は2兆円増になったが、その一方で金儲けに走った安田グループは医療提供側のイメージを極端に悪くした。病院が不当に得た巨額の資産は、国民の税金や保険料によるもので、腐敗した日本の医療を一気に露呈させた。安田院長にとって、患者は金儲けの道具にすぎなかったが、この事件は医師性善説を大きく変えることになった。