宇多野病院の毒物混入事件

宇多野病院の毒物混入事件 平成10年(1998年)

 平成10年10月28日の朝、京都市右京区の国立療養所宇多野病院(現・独立行政法人国立病院機構宇多野病院)で、コーヒーを飲んだ医師8人が嘔吐などの症状を訴えた。男性医師11人が、病院管理棟2階の医師集談室でコーヒーを飲み、8人が嘔吐やめまいなどを訴えたのである。

 医師の1人は点滴による治療を受けたが、他の医師の症状は軽度で数時間で回復した。連絡を受けた京都府警は、毒物混入事件として捜査を開始した。翌29日、京都府警は電気ポットの湯、飲み残したコーヒーからアジ化ナトリウムを検出。症状がなかった医師が最後にポットの湯を使ったのが8時35分で、最初に症状が出た医師は8時45分に使用していた。つまり犯行はこの10分間に行われたのである。また8時半ころに女性職員がポットに水道水を足していたことが分かった。混入されたアジ化ナトリウムの両は不明であるが、症状が軽度だったことから少量と推定された。

 医師集談室は医師34人が利用しており、医師であれば自由に出入りができた。アジ化ナトリウムは、病院の数カ所の研究室の戸棚や薬品用冷蔵庫に保管されていて、研究用あるいは防腐剤として用いられていた。そのため内部事情に詳しい者の犯行とされた。

 使用されたアジ化ナトリウムには、使用日や使用量の記録はなかった。当時、アジ化ナトリウムは「毒物及び劇物取締法」の規制対象外の試薬で、宇多野病院だけでなく、他の研究施設でも使用記録はなかった。アジ化ナトリウムは単なる防腐剤として気楽に扱われていたのだった。

 平成11年3月7日、京都府警捜査本部は内科医長・石田博(43)を傷害と浄水毒物等混入の疑いで逮捕した。石田博は嘔吐などの症状を訴えていたが、その症状を目撃した者がいなかった。また犯行時間帯のアリバイがなかった。さらに決定的だったのは、尿検査で石田から致死量を超える反応が出たのである。しかも尿検査を提案したのは石田本人であった。致死量を超えるアジ化ナトリウムが尿から検出されたのは、故意に自分の尿に試薬を混入したと考えられた。

 この隠蔽(いんぺい)工作が墓穴を掘ったことになる。石田博は東京医科歯科大を卒業後、京都大大学院を修了し、平成6年4月から宇多野病院に勤務していた。犯行の動機は院内での人間関係や院長との反目とされている。石田は犯行を自白したが、裁判では犯行を全面的に否認し、警察での取り調べが不当だったと主張した。平成15年2月28日、京都地裁の古川博裁判長は、「石田博が混入した可能性は高いものの、第三者による犯行の疑いを完全に排除できない。また警察の脅迫的な自白調書は違法であり信用できない」として、石田博に無罪とした。

 しかし控訴審の大阪高裁では「取調官による脅迫はなかった」として自白調書を証拠として認め、京都地裁の判決を破棄し、審理を京都地裁に差し戻した。差し戻し審議の結果、京都地裁の東尾龍一裁判長は「状況証拠から被告が犯人であることは明らかで、アジ化ナトリウムの毒性を認識しての悪質な犯行」として懲役1年4月の判決を下した。平成20年5月15日、大阪高裁は1審の判決を支持し石田の控訴を棄却した。

 この事件は、石田博が犯人でなければ他の医師が犯人であった。いずれにしても、生命に関わる医師が人命を狙ったことに、患者たちのショックは大きかった。さらに厳格なはずの裁判の判決が「自白調書を証拠とすれば有罪、証拠としなければ無罪」というように、第三者からみれば自白偏重に基づいた裁判官の判断が、無罪から有罪に一転させる裁判の恐ろしさを教えてくれた。

 この事件の被害者は、被害者と呼ぶにはあまりに軽症であったが、自白を証拠として採用するかどうかで裁判は10年近く長期化した。その長期化が刑罰以上の苦痛を石田に与えたのではないだろうか。

 アジ化ナトリウムは、ナトリウムと窒素の化合物で無色無臭である。水に溶けやすく、防腐剤として研究室や実験室に常備され、研究者にとっては身近な試薬であった。またかつては自動車のエアバッグのガス発生剤として用いられていた。

 アジ化ナトリウムを毒物とする認識は少なかったが、ヒトが飲むと中枢神経系に障害をきたし頭痛や吐き気、めまい、けいれん、血圧の低下などを起こすことが知られている。ネズミを使った実験から、ヒトの致死量は約 1.5gと推測されている。

 最初にアジ化ナトリウムが注目されたのは、この事件の数カ月前に新潟市で起きたアジ化ナトリウム混入事件であった。平成10年8月10日、木材防腐処理会社「ザイエンス」新潟支店で、お茶やコーヒーを飲んだ10人が薬物中毒症状を示し9人が入院となり、事件から半年後に、経理を担当していた男性社員(43)が逮捕された。男性は会社の金を横領し、東京本社の業務指導で横領が発覚することを恐れていた。そのため、業務指導を妨害する目的で23gのアジ化ナトリウムをポットのお湯に入れたのである。男性社員は、社内預金など約300万円を横領して遊興に使い込んでいた。平成11年10月12日、新潟地裁は男性社員に対し懲役2年4月の実刑判決を下した。

 なお新潟市の事件で、被害者は新潟市民病院に搬送されたが、胃洗浄などの治療を行った医師や看護師6人が、胃の内容物から出た有毒ガスで目まいや吐き気などを訴えた。これは毒物を飲んだ患者の治療中に、患者からの有毒ガスを吸った症状であった。このように医療従事者は「中毒患者の治療の危険性を常に想定しなければならない」ことを教えてくれた。

 平成10年10月15日には、三重大生物資源学部の研究室でアジ化ナトリウム中毒事件が起きている。助教授、事務員、学生ら4人が、休憩室でポットの湯を使いコーヒーや紅茶を飲んだ直後に、吐き気や目まいなどを訴えた。助教授はこれ以上被害が出ないようにポットを自室に持ち帰った。

 しかし同大の大学院生栢木奈生実さん(29)が、やかんで湯を沸かして紅茶を煎れ、砂糖を入れて飲んだところ、最も強い症状をおこし入院となった。アジ化ナトリウムは、ポットだけでなく砂糖にも混入されていたのだった。

 この事件の犯人は不明のまま、事件から約4カ月後の平成11年2月22日、奈生実さんが大学の屋上から飛び降り自殺をした。奈生実さんのコートのポケットから「私は絶対にやっていない」と書かれたメモが見つかった。奈生実さんが犯人だったのか、厳しい取り調べを苦にしての自殺だったのかは不明であるが、この事件は未解決のまま時効(7年)となった。

 平成10年10月27日には、愛知県岡崎市にある国立共同研究機構(現・自然科学研究機構)の基礎生物学研究所の休憩室で、お茶を飲んだ助教授や大学院生、事務員ら4人が気分不快を訴え、市立岡崎病院に入院となった。岡崎署はポットの湯からアジ化ナトリウムを検出し、毒物混入事件として特捜本部を設置した。

 基礎生物学研究所は、警備員が出入りをチェックし、暗証番号を入力しないと入れないシステムであった。そのため内部事情に詳しい者の犯行と考えられた。この研究所では、この事件が起きるまでに、教授室や休憩室などで毒物が混入される事件が4件起きていて、そのうちの1件から微量の青酸カリが検出されていた。このことから、岡崎署はのべ1万3000人を超える捜査員を投入、約90人の関係者から事情聴取を行ったが、犯人は分からないままであった。

 このように平成10年の夏から秋にかけ、新潟、三重、愛知、京都でアジ化ナトリウム混入事件が連鎖的に発生した。これらの事件は、同年に起きた和歌山カレー事件後に起きており、和歌山カレー事件の影響によるものと考えられた。

 平成11年1月、厚生省は、アジ化ナトリウムを毒劇物に指定。そのため、平成11年以降の事件としては、アジ化ナトリウムを用いた故意的な犯罪は発生していないが、誤用による医療事故が病院現場では起きている。

 平成14年1月31日、京都府宇治市の宇治徳洲会病院に心筋梗塞で入院していた男性患者(66)に、アジ化ナトリウムを投与され翌日死亡した。尿の防腐剤アジ化ナトリウム1.5gを、検査室の技師が病棟で看護助手に渡し、看護助手は「アジ化ナトリウムです」と言って看護師に渡したが、看護師は臨時の鎮痛剤と思い患者に投与。30分後に容態が急変して翌日死亡した。この医療事故で看護師ら4人が業務上過失致死容疑で書類送検された。看護師長と看護師が業務上過失致死罪で略式起訴され、罰金50万円の略式命令が言い渡された。一方、検査技師と看護助手は不起訴処分となった。 

 平成16年7月、浦安市川市民病院(千葉県浦安市)で、尿検査のために医師が看護師に渡した防腐剤のアジ化ナトリウムを、別の看護師が内服薬と思い、入院していた千葉市の女性(56)に飲ませた。女性は低酸素脳症から重い脳症となり全面介護が必要な状態になった。平成20年2月18日、東京地裁の孝橋宏裁判長は病院側に約9880万円の賠償を命じた。このようにアジ化ナトリウムはありふれた防腐剤であるが、その管理には慎重な対応が必要である。