和歌山毒カレー殺人事件

和歌山毒カレー殺人事件 平成10年(1998年)

 平成10年7月25日の夕方、和歌山市園部(そのべ)地区の空き地で、自治会主催による夏祭りが開催された。夏祭りは住民同士の親睦(しんぼく)を目的に、6年前から毎年行われていた。

 今年は、調理したカレーライスとおでんが振る舞われることになっていた。夏祭りは午後6時に始まったが、楽しいはずの夏祭りはすぐに悲鳴と苦痛の声に変わった。カレーライスを食べた人たちが、次々に激しい吐き気と腹痛に襲われた。すぐに、「カレーを食べるな」と怒号が飛び交った。救急車が次々に要請され、倒れている人たちを病院へ収容していった。

 住民たちは道路の所々にエビのようにうずくまり、会場近くの前田外科には苦痛に満ちた60人が押しかけた。前田院長は治療にあたりながら、重症患者を次々と救急車で病院へ送り出した。

 和歌山市内のすべての救急車が出動し、11台の救急車が2時間の間に病院との間を21回往復し、小学生を含む住民66人が13カ所の医療機関に運ばれた。けたたましいサイレンの音と回転する赤色灯が交錯し、平和なはずの夏祭りが地獄絵に変わった。この凄惨(せいさん)な事件が発生した当初は、多くが集団食中毒と思い込んだ。

 この事件の2年前、大阪府堺市でO157による大規模な集団食中毒が発生し、その後もO157による食中毒が相次いだからである。そのため事件から約6時間後の26日午前0時5分、和歌山市保健所長はこの事件を食中毒と記者会見で述べた。

 被害者は激しい嘔吐と下痢を示し、食中毒と同じ症状だった。そのため、病院関係者も食中毒として治療にあたった。しかし被害者はカレーを食べた直後に症状を出していたのである。食中毒にしては、食べてから発症までの時間があまりに短すぎた。もし食中毒ならば食べてから発症まで最低1時間はかかるが、まさか毒物混入とは誰も考えつかなかった。

 誠佑記念病院では、救急隊員が「集団食中毒が発生した」と報告したが、当直の小池良満医師(47)は「発症が早過ぎるし、症状も重すぎる。本当に食中毒か」と疑問を持ちながら、点滴などの対症療法を行った。

 翌26日の未明になって、自治会長の谷中孝寿さん(64)が誠佑記念病院で亡くなった。谷中さんは、住民を次々と救急車で送り出し、「わしは最後でいいから」と言って最後まで現場に残っていた。さらに副会長の田中孝昭さん(53)、高校1年生・鳥居幸さん(16)、小学4年生・林大貴君(10)の4人が相次いで死亡した。

 4人が死亡し42人が入院する惨事から、この事件は保健所長が発表した食中毒事件ではなく、何者かが毒物をカレーに混入させた無差別殺人事件の疑いが強くなってきた。

 カレーライスを食べたのは67人であったが、その生死を分けたのは、毒物量や個人差もあるが、むしろ嘔吐によって毒物をどれだけ吐いたかであった。また最初から毒物と診断していれば、医師は治療として胃洗浄を行うはずであった。しかし医師たちは食中毒と診断して、点滴による治療を行っていた。

 和歌山県警捜査一課と和歌山東署は、26日午前6時30分、患者の吐いた内容物から青酸化合物を検出したと発表。毒物事件として和歌山東署に捜査本部が設置された。青酸化合物は、炊き出しのカレーライスからも検出され、司法解剖された犠牲者の血液や胃の内容物からも検出された。青酸化合物が強烈な毒物であることは誰でも知っていた。すると「いったい誰が何の目的で不特定多数の人たちを殺害しようとしたのか」この疑問が浮かんできた。

 警察は用いられた毒物が青酸化合物と断定したが、事件から8日目の8月2日になって、用いられた毒物は、ヒ素(亜ヒ酸)であると発表した。この警察の間違いが、なぜ起きたのか明らかにはされていない。青酸化合物が原因であれば、被害者はほぼ即死状態のはずである。このことから、当初発表された青酸化合物には疑問があった。また下痢や皮膚の色素沈着などは、青酸化合物ではみられない症状であった。

 なぜ青酸化合物とヒ素を間違えたのか、その真相を警察は公表されていないが、おそらく、感度の悪い青酸予備試験(シェーンバイン・パーゲンステッヘル法)を安易に信じ、本試験(ベルリン青反応、ロダン反応)を怠ったせいであろう。青酸予備試験では、青酸カリ以外でも反応を示すことがあるからである。

 事件翌日、兵庫県尼崎市でシアン化金カリウム875gが紛失していることが判明。このシアン化合物が事件に使用された可能性が浮かび上がった。そのため、あらためて毒物を分析したところ、使用された毒物は青酸カリではなくヒ素であった。これは警察の大失態であるが、警察は青酸カリについては訂正せず、青酸カリが含まれていたかどうかについて言及しなかった。このことから2つの毒物がカレーに入れられていたとマスコミは思い込んだ。まさか警察が、青酸化合物とヒ素を間違えるはずはないとの先入観があったため、2種類の毒物が同時に混入されたと受け止めたのである。

 2種類の毒物を同時に入手できる人物は限られている。大学や企業の研究所の関係者が疑われ、捜査の方向もその関係者に向けられた。しかし8月25日になって、用いられた毒物は亜ヒ酸であって青酸カリではないことが公式に発表された。

 亜ヒ酸は農薬や防腐剤に用いられ、その致死量は体重1kg当たり1.4mgとされている。問題のカレーには約250gのヒ素が混入されていた。何者かがカレーに800人の致死量に相当する亜ヒ酸を入れたのである。

 夏祭りという多数の人々が出入りしている中で、不特定多数の人々を殺害するために亜ヒ酸を混入させたのである。いったい誰が、このような無差別テロを仕掛けたのか、国民の大きな不安と関心を呼んだ。亜ヒ酸は無色無臭で、かつては毒薬の王様と呼ばれていた。

 和歌山市園部地区は、JR和歌山駅から北へ約3km離れた田んぼに囲まれた新興住宅街で、祭りの会場は袋小路になっていた。祭りの参加者は165人で、その約7割が地元自治会の住人だった。カレーは自治会の主婦ら約20人によって朝から調理され、昼頃にカレーの味見がなされたが異常はなかった。つまり、昼から祭りの始まる午後6時までの間に亜ヒ酸が混入されたのである。カレーは、事前に配られていた無料引換券を持ってきた住民に配られた。

 この前例のない無差別殺人事件に大勢の報道陣が集まり、園部地区は日本中の注目を集めた。毒殺を恐れた住民たちは家の扉を閉め、うわさ話から隣人関係がぎくしゃくしていった。住民たちは互いに疑心暗鬼になり、次第にある夫婦に疑惑の目が向けられた。

 和歌山県警は犯人を園部地区の関係者に的を絞り捜査を進めていた。住民の聞き取り調査から、後に逮捕される元生命保険会社外務員・林眞須美(37)夫妻をめぐる多額の保険金詐欺疑惑が浮上した。

 和歌山毒カレー事件について、保険金詐欺との関連性を最初に報道したのは、8月25日の朝日新聞だった。この報道以降、マスコミは多額の保険金詐欺疑惑のある元生命保険会社外務員・林眞須美(37)と夫の健治(53)に集中した。マスコミはこの夫婦の名前は出さず、テレビでは顔にモザイクがかけられていた。しかし疑惑が強まるにつれ、夫婦の写真が雑誌に掲載され、空撮により夫婦の住居が映し出され、連日100人近い報道陣がこの疑惑の人物の家に詰めかけ、80近い脚立が夫婦宅を取り囲んだ。林眞須美とその夫の健治は、園部地区に7000万円の豪華な住居を構えていた。林健治は、定職もないのに外車を乗り回す豪華な生活を送っていた。

 しばらくして、林宅にたびたび通っていた元会社社長(46)と無職の男性(35)が、カレー事件以前に今回のヒ素中毒と同じ症状で入院していたことがわかった。中毒様の症状を訴えて入院した2人は、2人とも林宅で食事をご馳走(ちそう)になった直後のことであった。またこの2人には2億4000万円の保険が掛けられ、保険金の受け取りは健康食品販売会社になっていたが、事実上保険金は林夫妻に入る仕組みになっていた。眞須美は「保険料は自分が負担する」と言って彼らを保険に加入させていた。2人の爪からは通常の100倍に当たるヒ素が検出された。

 林夫妻は以前から住民とのトラブルが多かったことから、今回の事件について嫌疑がかけられていた。朝日新聞がこの嫌疑内容を報道すると、林健治、林眞須美へのマスコミの取材合戦が始まることになった。林健治は無職だったが、数年前までシロアリ駆除の会社を経営していた。シロアリ駆除業者は、シロアリの駆除に40年前まではヒ素を使用していた。ヒ素はすでに使用禁止になっていたが、林健治はヒ素を大量に持っていた。

 林夫妻からヒ素を預かった知人が、捜査当局にヒ素を任意提出したことから、マスコミ報道はいっそう過熱した。40日間にわたって、報道陣は豪華な林宅を包囲した。疑惑の夫婦は、マスコミを家に入れ、テレビや週刊誌を通して身の潔白を雄弁に主張した。しかしマスコミの関心は、この疑惑の夫婦がいつ逮捕されるかであった。

 これまでに林眞須美が関与していた保険は、生命保険、損害保険、共済保険など11人130件であった。支払った保険料は1億5000万円、受け取った保険金は6億1000万円であった。捜査本部の調べでは、林夫妻が最初に他人の保険に関与して保険金を受け取ったのは13年前のことである。夫婦宅に住み込みでシロアリ駆除の仕事をしていた男性従業員(27)が体調を崩して入院、数日後に急死したのが最初であった。保険料を払っていた林夫妻が、死亡保険金2500万円全額を受け取り、遺族とトラブルになった。このトラブルは、和歌山地裁に提訴され1250万円ずつ折半することで和解していた。

 また別の元従業員の男性(36)が一時、下半身不随になったことがあった。昭和62年2月、夫婦宅でお好み焼きを食べた直後、体調を崩して入院。翌年秋に最重度(1級)の障害認定を受けた。このケースでも林夫妻が保険料を負担し、高度障害保険金約3000万円が支払われていた。男性は「原因不明の神経マヒ」とされたが、捜査本部から依頼を受けた専門医によりヒ素中毒の後遺症と診断された。

 眞須美の実母が死亡した際にも、1億4000万円の保険金を得ていた。実母は白血病と診断されたが、病理解剖はされていないので原因は不明であった。ヒ素中毒は、白血病と似た症状を示すことが知られている。

 林眞須美は、平成2年から6年半の間、大手保険会社の外交員をしていた。そのため保険に詳しかった。眞須美の実母と元従業員の死、さらに夫である健治のヒ素中毒症など多くの疑惑がもち上がった。これらすべてに林眞須美がかかわっており、逮捕前から、「平成の毒婦」と書いた週刊誌もあった。保険金詐欺疑惑が毒カレー事件解決の突破口になりそうな雰囲気になった。無職で豪邸に住む容疑者の逮捕を世間は待った。容疑者である林健治はシロアリ駆除業をすでに廃業しており、妻である林眞須美は保険外交員を平成8年に辞め、定期的な収入がないのに、年間1億円を超える生活をしていた。

 10月4日午前6時、和歌山県警の捜査官が林宅のドアを叩き、林眞須美に逮捕状を読み上げた。林眞須美は知人男性への殺人未遂容疑で逮捕された。また平成8年、自転車で故意にバーベキューの鍋に衝突し、重症の火傷を負い、交通傷害保険金を騙(だま)し取った詐欺容疑も追加されていた。林眞須美は、火傷で1種1級の障害者に認定されていた。1種1級は、終日寝たきりの重度の障害であるから、詐欺は明らかであった。

 林眞須美の逮捕と同時に、夫の健治も眞須美と共謀して、保険金詐欺を働いたとして別件逮捕された。健治はそれまで原因不明の病気で、入退院を繰り返していたが、彼の血液からもヒ素が検出された。不自由な足は、ヒ素中毒によるものとされた。健治は妻の眞須美からヒ素を飲まされ、それでいながら共犯にされていたのである。加害者でありながら被害者でもある健治の心境は複雑だったと想像される。

 眞須美被告は、夫の健治にも保険をかけ、生保3社から2億円の保険金を騙し取っていた。裁判で林健治は、自分を殺そうとした妻の眞須美を常にかばっていた。このかばう心理はどこからくるのか、やくざな男の美学なのだろうか。

 2人は厳しい取り調べを受けたが、否認と黙秘で応じた。和歌山県警は、再逮捕を重ねてカレー事件との関連を追及したが、自白はもちろん調書も取れず、そのため膨大な状況証拠を積み上げるほかなかった。現場検証を繰り返し、眞須美以外の第三者が関与した可能性を次々に消していった。

 事件当日のカレーは、アルミホイルでふたをされ、主婦が交代で見張りをしていた。正午から午後1時までの時間帯に眞須美が1人でガレージに残り鍋の番をしていて、紙コップを手にして料理場のガレージに入り、周囲を窺(うかが)うそぶりをしていたことが複数の住民に目撃されていた。

 眞須美が、自宅に隠匿していたヒ素を紙コップに入れ、ガレージでカレーに混入させた可能性が浮上した。朝から常に2人の主婦が交代で鍋の番をしていたが、眞須美だけが1人で番をしていた。

 祭り会場のごみ袋から発見された紙コップから、また林宅からも亜ヒ酸が検出された。物証については、カレーの鍋や林宅など8カ所から亜ヒ酸を採取し、兵庫県の大型放射光施設「スプリング8」という最先端装置によって、カレー、紙コップ、林宅のプラスチック容器に付着した亜ヒ酸が、健治がかつて使っていた亜ヒ酸と同一とする鑑定結果が出た。

 また眞須美被告の台所の排水管の汚泥からも高濃度のヒ素が検出され、ヒ素を台所で流したと推測された。部屋のほこりからも、さらに眞須美の前髪からもヒ素が検出され、それが事件発生時に付着したものと分かった。

 和歌山県警は12月9日、林眞須美を殺人と殺人未遂容疑で再逮捕したが、この毒カレー事件の最大の疑問は犯行動機であった。夏祭りの夜には、少なくても死亡時5億円を超える保険金が夫や知人に掛けられていた。しかし夏祭り当日になって、開催されるはずだったマージャン大会が中止されていた。このことから、保険金目当てではないことは確かであった。

 そこで、かねてからゴミの投棄や駐車のトラブルが周辺の住民とあったこと、さらに眞須美が近所の主婦から祭りの準備などで罵倒(ばとう)されことから、これに激怒したことが犯行動機とされ、いわゆる衝動的無差別殺人と推測された。

 和歌山地検は、眞須美の自宅やカレー鍋から検出された亜ヒ酸の成分が一致したこと、調理現場での目撃情報などの状況証拠から、同年12月29日、容疑否認のまま殺人などの罪で和歌山地裁に起訴した。平成11年5月13日、いわゆる和歌山毒カレー殺人事件の初公判が開かれた。被告である林眞須美は、保険金詐欺についてはその一部を認めたが、殺人と殺人未遂については全面否認した。

 和歌山地裁は平成12年10月20日、林健治に「妻である眞須美と共謀して保険金詐欺を行った」として懲役6年の刑を下した。検察、被告とも控訴しなかったため、林健治の刑が確定した。刑の決定後、健治は「何とも軽い刑だ」と雑誌にコメントを述べた。

 この事件で、医療従事者にとって問題になったのは、死亡した3人の遺族が和歌山市と2病院を提訴したことである。遺族は、保健所と病院が適切な指導や初期治療をしなかったため死亡したと訴えたのである。和歌山市、治療に当たった日赤和歌山医療センター(吉田修院長)、中江病院(中江遵義院長)に逸失利益など計7000万円の損害賠償を求める訴えを和歌山地裁に起こしたのである。

 カレー事件被害者支援弁護団(団長・大谷美都夫弁護士)は、和歌山市保健所が事件直後に食中毒と発表したため、この誤った情報が毒物治療に影響したと述べた。この種の訴訟で保健所が被告になるのは異例のことで、裁判では保健所の責任を問えるかどうかが最大の争点になった。病院側にとっても、まさに寝耳に水の訴訟であった。

 医療側のもう1つの問題は、医師が林夫妻の言いなりに診断書を書き、謝礼までもらっていたことである。保険金の支払いには診断書が必要であるが、その診断書が杜撰(ずさん)だった。さらに医師が謝礼として金銭を受け取っていた。保険金不正取得で、虚偽の診断書作成に関与したとして医師4人が和歌山県警に詐欺ほう助と虚偽診断書作成の容疑で書類送検され、起訴猶予処分になった。

 さらに林健治に保険金を支払った明治生命が、事件当時の主治医だった元近畿大付属病院の医師(38)に損害賠償を求める民事訴訟を起こした。大阪地裁堺支部は、明治生命の訴え通り約5000万円の支払いを医師に命じた。中路義彦裁判長は「医師は診察時に詐病だと認識し、診断書を作成した」と判断、明治生命の訴えを全面的に認めたのだった。

 林眞須美、林健治には後遺症障害1級の認定が下りていた。後遺症障害1級とは、症状が固定して回復が期待できない高度機能障害である。終日、他人の介助がなければ生活できない状態を意味していた。障害が手足の欠損であれば認定は簡単であるが、本人が動けない、見えないと最後まで主張すれば、認定せざるを得ない場合もあるだろう。しかし実際には、林眞須美と健治は日常生活を普通にできていたのである。

 主治医は敗訴したが、主治医が夫婦に騙されていた可能性もある。明治生命が、あるいは障害者認定を受理した行政がきちんと調査していれば、この不正事件は防げたはずである。はたして主治医だけの責任でよいのだろうか。

 平成14年12月12日、和歌山地裁の小川育央裁判長は元保険外交員・林眞須美に死刑の判決を下した。被告以外にヒ素を混入できる者がいなかったと結論づけ、焦点となった動機については、「他の主婦に疎外され激高したこと」とした。眞須美被告は、自白なき1審判決を不服として大阪高裁へ控訴したが、大阪高裁も死刑の判決であった。

 この事件は、生命保険会社が6億円という多額の保険金を支払い、生命保険会社は被害者となった。しかし生命保険会社が不正を事前に防いでいれば、このカレー事件は起きなかったはずである。しかもカレー事件によって初めて一連の保険金詐欺事件が発覚したのである。保険会社の杜撰な審査が引き起こした事件といっても過言ではない。保険会社はいざというときのための共済を目的とした会社であるが、保険会社が悪人を犯罪に走らせたともいえる。