名古屋大医学部日高元教授事件

名古屋大医学部日高元教授事件 平成10年(1998年)

 平成10年8月28日、名古屋地検特捜部と愛知県警は、名古屋大医学部教授・日高弘義(60)とその妻の邦江(60)を収賄容疑で、富士薬品(本社・埼玉県大宮市)の取締役医薬品研究開発本部長・村松宏(57)を贈賄容疑で逮捕した。日高弘義は現金1億2400万円を受け取っていた容疑だった。

 調べによると日高弘義は、同大医学部の薬理学研究室に富士薬品の社員数人を研究員として受け入れ、実験データなどを同社に提供して、その見返りに、平成6年2月から平成10年4月頃までに、計13回にわたり現金1億2400万円を受け取っていた。また日高弘義は日本新薬(京都市)からも 6000万円を受け取っていた。

 現金は、日高弘義と親交がある三重県紀伊長島町の病院理事長(63)が設立した「基礎薬理研究所」(三重県紀伊長島町)や都内のダミー会社3社を通じて、コンサルタント料の名目で支払われていた。基礎薬理研究所では、日高弘義の長男や義母らが役員に就任していた。また銀行口座は実質的に妻の邦江が管理していた。日高弘義と邦江は容疑を否認したが、村松宏は容疑を認めた。

 日高弘義は、名古屋大医学部教授に就任する前の三重大の教授時代に、邦江が社長を務めていた医薬品販売会社をダミー会社として、「アイデア料」の名目で総額約490万円を受け取っていた過去があった。その金は医薬品メーカー4社から出ていたため、文部省から国家公務員法違反(無許可の兼業)で戒告処分を受けていた。

 昭和62年、名古屋大医学部の教授に就任したとき、薬理学教室の前教授は「戒告処分を受けたことのある人物は教授にふさわしくない」と強く反対した。しかし日高弘義は基礎薬理学、特に脳梗塞予防薬研究の権威として知られており、「カルシウムイオンの細胞レベルの研究」では世界的な業績があった。そのため、「世界に通じる研究業績は捨て難い」という声に押し切られたのだった。

 平成9年9月、日高弘義と医薬品メーカーとの癒着が再びささやかれた。名古屋大医学部の胸部外科教授が、愛知県警に収賄容疑で逮捕される事件が発生。そのときに医薬品メーカーから接待を受けた人物として、日高弘義の名前が浮上したのが今回の事件のきっかけであった。

 平成10年8月24日、日高弘義は教授会で、「米国デューク大の教授に就任する」と突然の辞意を表明。それは逮捕4日前のことで、逮捕を予期してのことであった。教授会に出席した教授たちは「日高教授の発言には逮捕されるような動揺は感じられなかった」と述べている。

 新薬の開発は地道で、経費のかかる基礎研究と臨床試験が必要である。そのため、産(企業)と学(大学)との産学協力が必要であるが、産学連携の金銭的な倫理観があいまいだった。

 国公立大の教員にとっては公務員としての職務、研究者としての企業への貢献、これらの兼ね合いが明確でなかったことが事件の下地にあったと思われる。

 名古屋大医学部教授・日高弘義とその妻の邦江が逮捕されが、それ以上の波紋が製薬業界にあった。それは11月24日、業界大手の大塚製薬社長の大塚明彦(61)が、贈賄容疑で逮捕されたことである。大塚社長のほかに、常務取締役新薬開発本部長の薮内洋一(53)、元取締役法務部長の川口茂樹(60)の2人も逮捕された。

 大塚製薬は、日高弘義が三重大教授だったときから、社員を研究生として派遣。データを得る謝礼として、日高弘義への裏金として「基礎薬理研究所」(三重県紀伊長島町)を送金していた。さらに大塚明彦社長は日高弘義の都内のダミー会社にも「技術指導料」の名目で、「基礎薬理研究所」と合算して総額7200万円を送金していた。この7200万円がわいろに当たると判断されたのである。大塚明彦社長は、日高弘義と金額などについて直接交渉していた。

 昭和39年、オロナミンCなどで知られている大塚製薬は、祖父の大塚明彦社長が創立した「大塚製薬工場」(徳島県鳴門市)から分離して設立された。大塚明彦社長が昭和52年に38歳の若さで社長に就任すると、ポカリスエットやカロリーメイトをヒットさせ、自社開発の医薬品事業を大きく飛躍させようとしていた。

 大塚製薬は大企業であるが上場はしておらず、労働組合もなく、大塚明彦のワンマン体制を敷いていた。そのためこの企業体質が今回のような贈賄事件を起こしたと批判されたが、その一方で、むしろ大塚明彦自らが新薬開発のために陣頭指揮を執り、主導的に資金提供を行ったと好意的に受けとめる声もあった。新薬開発をめぐるこれまでの贈賄事件は、臨床試験で便宜を図るパターンが多かった。今回の事件のように基礎研究のための金銭授受が問題になったのは異例なことだった。

 平成11年3月、名古屋地裁は日高弘義が大塚製薬など3社から総額2億5600万円のわいろを受け取ったとして有罪の判決を下した。「産学協同制度では、教授個人の報酬は基本的に認められていないが、今回の事件の収賄額は極めて多額で、教育公務員職務の公正さを著しく侵害した」として、懲役2年、執行猶予5年、追徴金2億5600万円が言い渡された。大塚製薬の大塚明彦は、懲役1年8月、執行猶予3年の判決であった。

 製薬業界が、大学の研究者と協力しながら新薬の研究を進めることは、海外では当然のことである。大学の頭脳を活用したい企業側にとっても、資金不足の研究者にとっても、お互いに利点があった。この利点について、金銭授受を理由に有罪とされたのである。

 この事件は、研究者の道徳観の欠如、営利を求める企業の犯罪とされがちであるが、そのように捉えるのではなく、むしろ新たなルールをつくり、産学協同制度の構築のきっかけとすべきである。

 資源のない日本が科学技術創造立国を目指すには、産学の連携と協力は不可欠である。産学協同は、大学の社会的貢献を具体化させるものである。日本の基礎研究を停滞させないためにも、日本全体を低迷させないためにも、産学協同の透明性と法制度を明確にして、積極的に進めるべきである。

 なお日高元教授の兄はNHKのワシントン支局長、アメリカ総局長などを歴任した日高義樹氏である。約40年近く米国で報道に携わったことから、名前は知らなくても、その顔はテレビで多くの人たちが知っている。日高兄弟の人生は大きく違ってしまったが、テレビに映った兄弟の容貌がとても似ているのが印象的であった。