前橋市5人殺傷事件

前橋市5人殺傷事件 平成10年(1998年) 

 平成10年4月24日の夕方4時頃のことである。前橋市内に住む47歳の無職の男が、約40分の間に親類宅、前橋赤十字病院、歯科医院の3カ所を回り、親類や看護師ら5人を次々と包丁で刺し1人を死亡させた。

 男は午後4時過ぎ、前橋市の自宅にいた叔母の吉田いし子さん(75)をステンレス製の包丁で刺し、屋根に逃げた吉田さんの長女が助けを求め110番通報。次ぎに男は500m離れたいとこの不動秀子さん(47)宅に押し入り、逃げようとした不動さんを包丁でめった刺しにした。

 さらに約25分後、男は約4km離れた前橋赤十字病院にレンタカーで移動。新病棟のナースステーションで看護師に「母親の主治医はいるか」と言い、看護師が「ここにいないので呼んでくる」と答えた直後、看護師の高野よしえさん(38)と大沢忠さん(32)に包丁で襲いかかった。その約10分後、男は病院から約800m離れた林歯科医院へ行くと、診察中だった林栄世院長(50)を、背後から「先生」と声を掛け包丁で2度刺した。

 通報を受けた前橋東署は、緊急配備を敷いて男の行方を追い、同日午後4時55分、林歯科医院から約4km離れた路上で男の身柄を確保した。殺人容疑で逮捕されたのは吉田幸男(47)で、首や腹に軽いけがをしていたが、それは自殺を図ったためらい傷であった。

 胸と腹を刺された不動秀子さんは出血性ショックで死亡。叔母のいし子さんは軽傷だったが、看護師の高野さんと大沢さんは胸を刺され重傷を負った。背中など2カ所を刺された林院長は重体となった。

 吉田が親戚の2人を殺傷したのは、相続をめぐるトラブルからであった。母親の病死は、養父の遺産を相続できなかったことによる生活苦と思い込んでいたが、養父にはもともと財産はなかった。死亡した不動さんの遺族は、約3900人から極刑嘆願書を集め死刑を訴えた。

 前橋赤十字病院が狙われたのは、吉田の被害妄想からであった。吉田と同居していた母親が糖尿病を患い、同年2月に前橋赤十字病院に入院、吉田は病院で母親の点滴を引き抜くなどして暴れたため母親は一時退院となった。その後、母親の容態が悪化。そのため民生委員が仲立ちになって、前橋赤十字病院は吉田が病院を訪ねないことを条件に、再入院を受け入れた。ところが4月9日に母親が心不全で死亡すると、吉田は「病院で間違った注射を打たれ、母親が死亡した」と邪推し、病院に何度も出向いては暴れていた。その都度、警察が駆け付けていた。このように吉田の犯行動機には典型的なマザーコンプレックスがあった。林歯科医院には、差し歯の治療で通院していたが、吉田は歯がガタガタになったと林院長を恨んでいた。

 前橋地裁で検察側は「残虐で計画的な犯行で、犯行を正当化する主張に酌量の余地はない」として無期懲役を求刑。弁護側は「人格障害が犯行の大きな原因になった」として情状酌量を求めたが、精神鑑定では「妄想性人格障害だが、自分の行動を制御できない状態ではなく、責任能力がある」と診断された。

 平成11年3月16日、前橋地裁の広瀬健二裁判長は、「地域住民の受けた衝撃や恐怖感は大きく、結果の重大性から極刑に値する大罪である」と述べ無期懲役の判決を下した。吉田被告は同日控訴したが、上告は棄却され刑が確定した。