ライフスペース事件

ライフスペース事件 平成11年(1999年) 

 平成11年11月11日夕方、千葉県成田市のホテルから成田警察署に「4カ月以上も宿泊している異様な集団がいて様子がおかしい」と通報があった。警察署員が駆け付けて12階の部屋を捜査すると、ミイラ化した男性の遺体を発見した。その遺体は兵庫県川西市の小林晨一(66)さんであることが分かった。これだけでも異様な事件であるが、事情を聴かれた長男の健児(31)は「父親はまだ生きている」と主張したのだった。

 小林晨一さんは脳出血で兵庫県伊丹市の病院に入院していたが、長男の健児が「ライフスペース」の指導者・高橋弘二(61)に相談すると、「病院にいると、モルモットにされてしまう」と言われ、7月2日に小林晨一さんを病院から連れ出し、飛行機で成田市のホテルに連れてきた。しかし翌3日、痰を気道に詰まらせて窒息死したのだった。長男の健児は「ライフスペース」のメンバーだった。

 「ライフスペース」とはもともとは自己啓発セミナーで、バブル期には設立者の高橋弘二のセミナーにおよそ1万人が参加していた。それが次第に宗教色を帯び、高橋弘二はヒンズー教のシバ神を信じ、自分をグル(指導者)と名乗り、「前世のカルマを落として病気を治す。頭部を手で叩き続けると病気を治せる」と言うようになった。高橋弘二はマスコミに、「小林さんは病院で危険な状態にあったが、頭を叩く治療で順調に回復しミイラは生きている。司法解剖をすると死んでしまう」と語った。

 11月24日、千葉県警は「ライフスペース」の関連団体の家宅捜索を行うと9人の子供が生活しており、ミイラ化した遺体をふく作業をさせられていた。施設には食料はなく、子供たちは学校に行っていなかった。ライフスペースは、「国の教育は信頼できず、子供たちには独自の教育をしていた」と主張した。

 平成12年2月22日、高橋弘二と小林晨一さんの長男の健児らが、保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された。しかし高橋弘二は「司法解剖されるまで小林さんは生きていた」と主張を変えなかった。

 平成13年9月28日、高橋弘二は「ミイラは日本に存在しないのだから、ミイラ事件は起こり得ない」と起訴事実を否認したが、千葉地裁は保護責任者遺棄致死罪で長男の小林健児に懲役2年6カ月、執行猶予3年を言い渡した。翌14年2月5日、高橋弘二に懲役15年の実刑判決を言い渡した。高橋弘二は控訴したが、東京高裁は懲役7年の判決を下した。罪が半減されたのは「小林さんを病院から連れ出した時点で殺意はなく、悪質性が高いとはいえない」としたからである。高橋弘二は上告したが、最高裁は「医療を受けさせる義務があるのに、放置したのは殺人罪に当たる」と述べ、救命措置を怠った不作為を殺人と認め、上告を棄却した。

 この「ライフスペース」事件とほぼ同時期に、宮崎ミイラ事件が発覚している。平成12年1月20日、宮崎市の住宅地でミイラ化した男児(6)と乳児の遺体が発見された。遺体は、平成9年12月に会員の男性(35)が、ネフローゼ症候群の息子を加江田塾に預け、約1カ月後に死亡したが、そのまま放置していた。さらに平成11年2月には、女性が本部で未熟児を出産して、10日後に栄養失調で死亡させていた。この事件は加江田塾代表である東純一郎(56)が主導したものであった。東純一郎は平成7年に加江田塾を設立し、自分を「創造主の代理人」と称して、「病気の原因は先祖の因縁や人の恨みによるもので、病院は金儲けを目的とする悪である」とし、手かざし治療で信者を集めていた。加江田塾には約50人の塾生と、不登校やいじめに悩む子供たちが集団生活をしていた。

 平成14年3月26日、宮崎地裁は東純一郎と塾幹部の富樫明美に懲役7年を言い渡し、2人は上告するも最高裁は上告を棄却して懲役7年が確定した。

 日本には仏教、神道、キリスト教など多くの宗教がある。宗教を信じるのは自由であるが、カルトもまた宗教の1つである。宗教とカルトの線引きは難しいが、カルトとは「熱烈な信者がマインドコントロール(洗脳)によって独自の世界観を持ち、反社会行動を引き起こす聖なる集団」と呼べばよいだろうか。