バリ島コレラ事件

バリ島コレラ事件 平成7年(1995年)

 平成7年2月から3月にかけ、インドネシアのバリ島へ観光旅行に行った帰国者からコレラ患者が爆発的に発生した。ちょうど関西国際空港がオープンし、バリ島への旅行者が急増した矢先のことであった。コレラ患者は296人、37都道府県に及んだ。死者は出なかったが、日本中にコレラが蔓延する騒ぎになった。

 このコレラ騒動で不可解なことは、地元のバリ島ではコレラ感染者は見当たらず、また他の国の観光客からもコレラ感染者が見られなかったことである。

 インドネシア政府は「バリ州では過去6カ月間コレラの発生はなかった」と公式見解を発表した。そのため、なぜ日本人だけがコレラに感染したのかが話題になった。日本人はナマモノが好きだから、生水から作る氷、生水で洗うサラダなどが感染源ではないかと疑われた。また日本人は清潔な環境で育ったため、免疫力が低下しているともいわれた。厚生省はバリ島への旅行を自粛するように勧告。その後、バリ島からのコレラ患者は急速に減少した。

 コレラは汚染された水や食品から経口感染する。口から入ったコレラ菌は酸に弱いため、大部分は胃で死滅するが、胃酸で死滅しなかったコレラ菌が小腸の粘膜層に付着すると、そこで増殖してコレラ毒素を産生して症状を起こす。胃酸分泌が少ない人、胃を手術で切除した人、胃酸抑制剤を飲んでいると感染しやすい。潜伏期間は1日で、軽症の場合は軟便程度で済むが、重症例では無熱性の「米のとぎ汁様の激しい下痢」をきたす。

 治療は水分と電解質の補給で、脱水を防ぐことである。治療は単純で、下痢で出た水分と電解質を点滴などで補えばよい。海外では、WHOが推奨している下痢用経口剤を薬局で買うことができる。経口摂取が可能ならば、下痢用経口剤を水に溶かして飲めばよい。この下痢用経口剤によって何万人もの患者が救われてきた。スポーツドリンクが下痢用経口補液と成分がほとんど同じなので、代用品として用いられている。

 コレラはもともとインドのガンジス川デルタ地帯の風土病で、これをアジア型あるいは古典型コレラと呼び、19世紀から20世紀にかけて世界的大流行を6回繰り返している。この大流行はインドから世界に広がったもので、日本では江戸時代後期から明治にかけて流行した。江戸時代には3回の大流行があり、明治10年には8037人が死亡、明治12年には10万5786人が死亡する惨事になった。明治19年にも死者10万8405人が出ている。

 このように古典型コレラは流行を繰り返す恐ろしい伝染病であるが、この古典型コレラは衛生環境の改善などにより20世紀半ばから世界的な流行はなく終息している。現在のコレラは、昭和36年ころにインドネシアのセレベス島(現スラワシ島)で発生したエルトール型が主流にで、エルトール型コレラは現在も続いており、第7次世界流行と呼んでいる。この世界的な流行は30カ国以上で約51万人の患者を出し、平成3年にはペルーで大流行を起こし、ペルーだけで患者32万3000人、入院患者2万人、死者2909人を出している。

 かつての古典型コレラはエルトール型コレラよりも重篤で、治療しなかった場合の致死率は50%以上であった。一方現在のエルトール型コレラの致死率は10%以下である。日本ではコレラはまれな疾患となり、かつてはコロリ病と恐れられていたコレラの死亡例はほとんどみられていない。