バイアグラ発売

バイアグラ発売 平成11年(1999年)

 平成10年3月、米国の製薬会社ファイザー社が開発した勃起不全治療薬バイアグラが米食品医薬品局(FDA)の認可を受け米国で販売された。性的不能(インポテンス)治療薬としてはバイアグラが初めての薬剤で、また実際に効果があったことから、発売とともに「夢の薬」として爆発的に売り上げを伸ばしていった。

 内服には医師の処方が必要で、性交1時間前に1錠飲むだけで効果があった。ファイザー社は1錠7ドル(約900円)の卸値、1錠10ドル(約1200円)の小売値で販売。3月から12月まで、米国内で300万人が服用するという大ヒット薬剤となった。バイアグラの命名は、活力(Vigor)とナイアガラの滝(Niagara Falls)の合成語で、売り上げを伸ばしたのは、このネーミングも関係していた。

 バイアグラがこれだけ売れたのは、それだけ効果があったからである。ファイザー社によるとインポテンス患者4000人を対象にした臨床試験で、約70%に性機能改善が認められたとしている。臨床試験を受けた性機能障害の疾患としては、糖尿病、脊髄障害、前立腺手術、心理的障害などであったが、どのグループでも効果が確認された。

 インポテンスの治療は、バイアグラが発売されるまでは、性器へ直接薬剤を注入したり、シリコンを埋め込んだり、補助器具の使用などがあった。そのため気楽に内服できるバイアグラは、爆発的に売り上げを伸ばしたのである。バイアグラを求める男性の中には高齢のため性機能が衰えた男性も多く含まれていた。

 バイアグラの副作用として頭痛、顔面の紅潮、消化不良などがあり、平成10年6月、FDAはバイアグラを服用した男性16人が死亡したことを発表した。この16人中7人が性交中あるいはその直後に死亡していたが、このような警告にもかかわらず売り上げを伸ばしていった。

 バイアグラはもともと心臓の栄養血管である冠状動脈を広げる狭心症の薬剤として開発されていた。臨床試験では狭心症への効果は期待ほどではなかったが、治験を受けた患者がバイアグラの隠れた性機能改善効果を指摘したのだった。このように性機能改善効果は偶然の産物であるが、もともとが狭心症の薬剤だったことから、心臓病の患者が使用すると冠状動脈を拡張させる危険性があった。そのためバイアグラは、ニトログリセリンなどの心臓病の薬剤を服用している患者には禁忌となっている。

 日本でバイアグラの報道がなされると、男性週刊誌やテレビなどが盛んにバイアグラを取り上げその話題で盛り上がった。セックスレスで離婚した夫婦がバイアグラによって復縁した話、大富豪が若い女性に走り妻から巨額の慰謝料を請求された話、このような事例が多数紹介された。男性にとって性的欲求や性的欲望は、高齢になっても変わらないのであった。

 バイアグラは日本では発売されていなかったため、バイアグラ人気に目を付けた旅行会社はバイアグラの買い出しツアーを企画した。この買い出しツアーは日本人が大挙してバイアグラを買いに行くもので、ロサンゼルス空港からタクシーで専門クリニックへ行き、診察を受け、処方せんを書いてもらいバイアグラを購入するものであった。

 またインターネットを通じて、バイアグラが日本国内市場に上陸し始めた。日本の薬事法では「未承認の薬剤であっても、個人の使用であれば輸入を規制できない」、このことを利用した輸入代行業者が急増したのである。輸入代行はインターネットを利用した典型的なすき間商売で、日本で承認されていないバイアグラが日本国内に出回る状況になった。合法的ではあったが、値段は1錠2000円から4000円と高額であった。

 平成10年5月29日に発売された「週刊現代」がバイアグラの購入方法を紹介、購入申し込み用のはがきを添付した。このような事態から翌6月に、厚生省は初めて「バイアグラ」対策に乗り出し、「未承認薬の広告を禁じた薬事法に違反する」として出版元の講談社に事情聴取を行った。

 週刊現代編集部は、本誌ではバイアグラの購入申し込み用のはがきを添付しただけで、読者から届いたはがきはそのまま業者に渡している。本誌は直接利益を得ているわけではないので問題ないと反論した。厚生省はこの事態を重視し、ファイザー社に日本でのバイアグラの販売申請を急がせた。

 そして申請から半年という異例のスピードで、日本でもバイアグラが認可され、平成11年3月、ついに日本でもバイアグラが発売されることになった。

 一般的には海外で発売されている薬剤であっても、人種間の薬効や副作用の違いを考慮し、発売には日本独自の治験が必要であった。しかしバイアグラは日本での臨床試験を行わず、米国での発売からわずか1年で日本でも承認されたのである。海外の薬剤が日本で認可されるには通常は数年を要するが、このバイアグラの認可は異例といえるスピードであった。バイアグラは日本人のデータを用いず、海外のデータを用いての新薬認可第1号となった。

 バイアグラは一般の薬剤とは違い病気を治すのではなく、生活の質を向上させる薬剤として、医師の処方せんを必要としながら、保険の適用とはならず全額自費であった。医師の処方せんを必要としながら、保険の適用を認めない初めての薬剤となった。値段は1錠1100円で、米国の値段とほぼ同じであった。

 バイアグラの一般名はクエン酸シルデナフィルで、その効果は血管平滑筋弛緩作用を増強させ、陰茎への血液流入を促すとされている。バイアグラが必要とされるのは、病気によって勃起不全をきたした男性であった。勃起不全をきたす基礎疾患としては糖尿病、事故による脊髄外傷、骨盤内の手術による後遺症などがある。しかしストレス、疲労、恐怖心、アルコール中毒などによって勃起不全を来した男性にも効果があった。バイアグラは媚薬(びやく)でも強壮剤でもないので健康な男性がバイアグラを飲んでも変化は起こらないとされているが、そのような製薬会社の説明は理屈だけであって、高齢とともに勃起不全をきたした男性にも効果があるため、正常男性もバイアグラを買い求めた。

 日本では1年間に2人の死亡例が報告されているが、副作用を来した例は個人輸入や知人から譲渡されたバイアグラを使用した人たちだった。バイアグラの国内販売が始まってからも個人輸入の注文は減らなかったが、それは病院に行くのが恥ずかし気持ちと、医師の処方を受ける手続きが煩雑だったからである。

 バイアグラはこれまでの薬剤とは違い生活改善薬と呼ばれた。生活改善薬とは、生命にかかわる疾病を治療するのではなく、「これが解決できたらもっと幸せなのに」という悩みを解決してくれる薬剤である。ライフスタイルから生じる障害を減衰してくれる薬剤で、肥満治療薬、禁煙補助剤、育毛促進剤などがバイアグラと同様に生活改善薬と呼ばれている。

 それまで性的不能はインポテンスと呼ばれ、バイアグラはインポテンスの薬剤とされたが、インポテンスは人として本来備わっている能力が失われているイメージがあった。そのためED(Erectile Dysfunction)という言葉が用いられ、新聞などで盛んに宣伝された。

 EDとはインポテンスと同義語で、「性交時に十分な勃起が得られず、十分な勃起が維持できないため満足な性交が行えない状態」と定義されている。日本人の疫学調査では、40歳から70歳の男性の半数以上がEDとされ、年齢とともにその頻度は増している。

 男性機能回復センター(東京都港区)によると、EDの男性は全国で950万人、早漏を含めると1500万人と推定されている。EDのうち糖尿病による人が約20%、高血圧が約11%、心臓病が約9%で、最も多いのが病歴なしの約40%である。

 またバイアグラを混入させ精力剤として販売したり、ニセのバイアグラが発売されたり、多くの逮捕者が出たことからも、バイアグラがいかにニーズの高い薬剤であるかが分かる。バイアグラの発売以降、レビトラ、シアリスなどより効果の高い薬剤が発売されているが、バイアグラのED神話は衰えていない。

 平成11年6月、生活改善薬である大正製薬の発毛剤「リアップ」が全国で発売された。リアップは育毛剤ではなく発毛剤で、育毛剤は「毛の根元の毛包という細胞の血行を促し、栄養分を供給して脱毛の予防効果」を狙ったものであるが、発毛剤は小さくなったあるいは休止した「毛包細胞を活性化し増殖させる直接作用」があった。臨床試験では6カ月の使用で72.8%に効果があった。

 リアップは米国のファルマシア・アンド・アップジョン社が開発した高血圧の治療薬だったが、高血圧の治療中の患者の頭に毛が生えるという副作用が分かり、米食品医薬品局(FDA)に脱毛症の治療薬として認めたのである。世界85カ国で年間2億ドル売れるヒット商品になっている。米国では昭和63年に発売されたが、日本では処方せんがなくても買える大衆薬を目指したため、慎重な審査が行われ認可申請から6年以上も経ってからの発売となった。日本では髪の薄さに悩んでいる人は1500万人とされ、育毛剤市場の潜在需要は1000万人といわれている。

 リアップは日本でもバイアグラに続く大ヒットとなり、数日で65万本を売り尽くし、在庫がなくなるほどであった。その後も毎月60万本前後のペースで出荷されている。大正製薬は当初、月間15万本、年商60億円を目標としていたがそれをはるかにしのぐ勢いだった。

 薬剤は病気の治療のために開発されるものであるが、生活の質を高める役割として、バイアグラ、リアップの発売は、薬剤の概念を大きく変えた。