エボラ出血熱

エボラ出血熱 平成7年(1995年)

 エボラ出血熱が人類の前に初めて姿を現したのは昭和51年6月のことであった。スーダン南部の町ヌザラで、この未知の熱病が突然流行し284人が感染、151人が死亡した。

 最初に発症したのは綿工場の倉庫番の男性で、ウイルスは入院先の病院内で広まり、患者、病院職員、世話をしていた近親者が次々と犠牲になった。治療法がなく、致死率53%の数値は、まさに死に神のような熱病であった。

 このヌザラでの流行から2カ月後、ヌザラから800キロ離れたザイール北部のヤンブクで再びエボラ出血熱の大流行が起きた。この流行のきっかけは、エボラ出血熱に罹患したヤンブク教会学校の44歳の男性教師が、ヤンブク教会病院でマラリアの疑いで注射を受け、この男性に用いた注射器を他の患者にも用いたため、注射を受けた9人がエボラ出血熱に感染。さらに病院に出入りしていた患者や家族、医療関係者が次々に感染して死亡した。ヤンブク教会病院のスタッフは17人であったが、13人が発症し11人が死亡した。

 ザイール政府は、流行を食い止めるため、陸軍を出動させてヤンブク全体を閉鎖し、無断で出ようとする者は「射殺せよ」との命令が出された。このザイールのエボラ出血熱は、約2カ月の間に318人が感染し、280人が死亡、致死率88%だった。

 エボラ出血熱の名前は、ザイール北西部を流れるエボラ川に由来している。このウイルスが世界で初めて発見されたのが、エボラ川流域の患者だったからである。エボラ出血熱の初発症状は、インフルエンザに似た発熱や筋肉痛などで、次第に目が充血し、激しい嘔吐に襲われ、皮膚、鼻腔、消化管などから出血し、出血によるショック、あるいは衰弱によって死に至った。この恐ろしい伝染病は、昭和51年にスーダンとザイールで流行したが、なぜかそれ以降、18年間にわたり沈静化し流行は起きなかった。そして18年後の平成7年4月、ザイール中央部にある人口40万のキクウィト市でエボラ出血熱が大流行した。

 密林で働いていた男性が体調不良を訴え病院で死亡。その男性の死因を調べるため、男性の血液がキクウィト総合病院に運ばれた。このときに採血した検査技師が感染し、技師は出血が激しいため腸穿孔と診断され手術となり、手術スタッフも感染したの。このキクウィト総合病院を中心に患者が広まり、患者と接触した医師、看護師、修道女を巻き込んで315人が感染し244人が死亡(致死率77%)した。

 発生から1カ月後、米国はエボラ出血熱の流行と判断。調査のためWHOやベルギーなどのチームとともに現地に入った。ほぼ同時期、患者の1人が首都キンシャサ市に入ったことが分かった。つまりキンシャサ国際空港から全世界にエボラウイルスが蔓延しかねなかったのである。

 この事実に先進各国は戦慄(せんりつ)し、キンシャサ国際空港を閉鎖。ザイール国内では軍隊がキクウィトの村を封鎖する騒ぎになった。発生から2カ月後、エボラ出血熱は自然に終息し、米疾病対策センター(CDC)は6月20日に終焉を宣言した。住民調査によるとエボラウイルスの抗体を持っている人はほとんどいなかった。このことは感染すればほとんどが発症し、その多くが死亡することを意味していた。

 エボラ出血熱はエボラウイルスによる急性熱性疾患で、ラッサ熱、マールブルグ病、クリミア・コンゴ出血熱とともにウイルス性出血熱(Viral Hemorrhagic Fever:VHF)に属している。通常のウイルスは球状の形をしているが、エボラウイルスは糸状の形をしていた。

 ザイールで分離されたウイルスの遺伝子は、18年前に発生したヤンブク教会病院のウイルス遺伝子とほぼ同じであった。エボラウイルスは、ほかのウイルスと同じように、宿主の細胞の中でしか生きていけない。つまり18年間、エボラウイルスは熱帯雨林のどこかに息を潜め、その凶暴な姿を隠していたのだった。

 エボラ出血熱が全世界の注目を集めたのは、感染者の8割が死亡する致死率の高さだった。エボラウイルスはある日突然に姿を消し、思い出したかのように突然人間を襲った。何年かに1度の間隔で、爆発的に流行して死者の山を築いた。自然界における宿主と媒介動物は不明で、息を潜めていたウイルスが、なぜ突然発生して凶暴化するのか分かっていない。

 米国の陸軍伝染病研究所は、感染経路を調べるための実験を行っている。4匹のアカゲザルを別々のオリで飼育し、その1匹にエボラウイルスを注射すると、残り3匹のうち2匹が感染して死亡した。このことはアカゲザルの分泌物や排泄物にエボラウイルスが含まれ、空気感染したと考えられた。ヒトにおいても同様の可能性は否定できないが、ヒトからヒトへの空気感染は証明されていない。ヒトからヒトへの伝播(でんぱ)は、急性期の患者との直接接触によるものとされている。

 エボラ出血熱に共通していることは、病院内で感染が広まることである。アフリカの病院の医療環境は劣悪で、注射器の消毒は不完全で、それが流行を大きくした。アフリカの発展途上国では注射針は使い捨てではなく、複数の人に使い回しされている。そのため感染患者に使用された注射器から他の患者に感染が広まり、さらに患者の血液や体液を介して、医療従事者や家族に感染した。また遺体からも感染することが分かっている。アフリカの一部では、葬式の際に参列者が遺体の口に手を触れ、その手を自分の口に当てる風習があり、この風習で感染者が出たのである。

 エボラ出血熱は、さいわいなことに中央アフリカの局地的な流行に限られている。しかし今後、流通のグローバル化により世界レベルで流行する可能性がある。そのための防疫対策として、平成11年4月に施行された感染症新法では、エボラ出血熱は最も危険な感染症として1類感染症に分類されている。エボラウイルスは日本には常在しないが、予防法や治療法が確立していないため、また致死率が高く伝染力も強いため1類感染症に分類された。

 患者の早期発見と隔離が重要であるが、エボラ出血熱の診断は意外に難しい。症状として出血症状を示さないことがあるからで、熱帯雨林への旅行歴から本疾患を疑うことである。しかし、もしエボラ出血熱が発生したら大騒動になることが予想される。

 エボラ出血熱は、病原体の取り扱いに関する4段階の国際基準のうちBSL4(バイオ・セーフティー・レベル・4)の施設で扱うことになる。BSL4とは、病原体が外部へ漏れないように空気の流れを厳重に管理できることを表す。このBSL4施設は、国内では国立感染症研究所(東京都武蔵村山市)など数カ所にあるが、周辺住民などの反対で稼働が凍結されている。そのためBSL4が必須とされている病原体は国内で扱えず、患者が発生しても、診断のための血液分析はできない。

 最も危険な1類感染症患者は、高度な管理を行う「特定」と「第一種」の感染症指定医療機関が担当することになっている。第一種は各都道府県に1カ所指定されることになっているが、平成19年の段階で25医療機関(47床)にとどまっている。

 エボラ出血熱をテーマにした作品として、ノンフィクション「ホット・ゾーン」や、映画「アウトブレイク」 がある。アウトブレイクとは「爆発的に広がる」という意味で、エボラ出血熱をヒントにした新型ウイルスと人間との戦いを描いたものである。映画では回復したサルの血清を使って治療に成功するが、このような抗血清療法は確立していない。この映画の公開も重なり、エボラ出血熱の騒ぎが大きくなった。