東海大病院安楽死事件

東海大病院安楽死事件 平成3年(1991年)

 平成3年4月13日、東海大医学部付属病院(神奈川県伊勢原市)で、日本では初めての医師による安楽死事件が起きた。多発性骨髄腫という血液の末期がんに侵された藤原政次さん(58)を同大助手・徳永雅仁医師(34)が塩化カリウム20ccを注射して死亡させたのである。

 藤原政次さんは、会社の健康診断で貧血と血小板の減少を指摘され、平成2年4月14日、同病院を受診、多発性骨髄腫の疑いで入院となった。入院後、多発性骨髄腫と確定診断がついたが、本人に病名は知らされず、長男にだけ伝えられた。長男は「父親に精神的打撃を与えたくない。病名は母親にも知らせないでほしい」と訴えたため、本人への病名告知はなされなかった。

 多発性骨髄腫は骨髄が侵される病気で、治療によって進行を遅らせることはできるが、平均余命は1年から3年の難病である。骨が薄くなって骨折をきたすことがあり、激痛とともに腎不全を合併することが多い。

 入院後、藤原さんの病状が一時的に好転したので、いったん退院となったが、同年12月に再入院となった。抗がん剤・インターフェロンによる治療が行われたが、藤原さんの症状は改善せず、平成3年3月下旬には腎不全、高カルシウム血症を来した。治療は、第4内科(有森茂教授)のF研修医とD講師が担当していたが、4月1日には徳永医師が派遣先の湯河原中央病院から呼び戻され治療に加わった。

 藤原さんは、多発性骨髄腫による絶え難い痛みと、全身けいれんに襲われていた。同月8日頃から全身状態が悪化したが、D講師が学会に出席するため、F研修医と徳永医師が対応することになった。

 藤原さんは高カルシウム血症のため意識が低下し、不穏症状を示したが、徳永医師は最後まで最善を尽くすのが医者の務めと考え、血漿交換療法を続行した。有森教授の回診でも治療続行が指示され、教授の治療方針に家族からの反対はなかった。

 不穏状態に対して、コントミン(鎮静剤)が数時間おきに投与された。しかし鎮静剤の効果と不穏状態が重なり、意思の疎通が取れないまま、家族は苦しむ姿を見ることになった。藤原さんの妻と長男は「早く楽にさせてくれ」と、治療の中止を執拗(しつよう)に求めてきた。

 同月11日、家族の訴えに憔悴(しょうすい)したF研修医は、「あの家族には耐えられない。担当を外してほしい」と申し出た。家族はF研修医の自宅にまで電話をかけ、苦情を訴えていた。そのため徳永医師が1人で家族と対応することになった。

 翌12日、藤原さんは昏睡状態となり、対光反射もなく、疼痛反応も見られなくなった。徳永医師は治療続行の説得を家族に繰り返したが、家族の再三にわたる要求から、迷った末に、点滴を外して治療を中止することにした。

 この時点における、徳永医師の治療中止は消極的安楽死といえる。治療を続行しても数時間あるいは数日以内に、確実に死を迎えていたからである。しかしその後も藤原さんは苦しそうな呼吸を続け、見かねた長男が「早く楽にしてほしい。早く家に連れて帰りたい」と再三にわたり訴えた。このときの家族の様子は、その場にいた者でなければ分からない。家族は、何度も徳永医師を呼び出しては、何とかしろとヒステリックに迫った。

 藤原さんは末期状態で、死が目前に迫っていた。徳永医師は、心肺停止となれば蘇生はしないつもりでいた。無意味な末期治療を行う意思はなく、自然な死を迎えさせようとした。

 平成3年4月13日、徳永医師は、苦しそうな呼吸を少しでも楽にしてあげようと、通常の2倍量の鎮静剤セルシンを静注。さらに2倍量の向精神薬セレネースを静注したが、1時間たっても荒い呼吸に変化はなかった。家族は「先生は何をやっているのか。まだ息をしているじゃないか」と激しいけんまくで徳永医師を怒鳴った。

 追い詰められた徳永医師は、家族の気持ちを説得することに限界を感じ、家族の執拗(しつよう)な要望から、心拍数を低下させる薬剤ワソランを注射したが、それでも変化は認められなかった。そして徳永医師は塩化カリウム製剤20ccのアンプルを手にした。

 通常、塩化カリウムは電解質の調整に用いられるが、その静注は心臓伝導障害を起こさせ、確実に心停止をもたらす。徳永医師は看護師の制止を振り切って、「私の責任でやる」と塩化カリウムを静注、その数分後に患者は息を引き取った。

 もし家族の執拗な要望がなければ、徳永医師は薬剤を用いずに自然な死を迎えさせていた。死を目前にした患者を楽にしてあげたい気持ちが、混乱した脳裏をよぎったのである。担当していた看護師が、上司にこのことを報告。事件発生2日後、病院長がこの事態を知ることになった。

 この事件は、脅迫に近い家族の要請から徳永医師が行ったことであり、自然死を迎えさせようとしていた徳永医師の意に反するものであった。徳永医師の行為には何の利害もなかった。しかし東海大は13人で構成する「医の倫理委員会」を開き、徳永医師の行為を議論することもなく、本人の弁解も聞かず、「医の倫理にもとる行為」と厳しく非難。4月25日に徳永医師の懲戒解雇処分を決定した。

 当時、安楽死問題について多くの議論がなされていた。事実、数年前の東海大医学部の入学試験でも安楽死に関する論文をテーマに、受験生にその是非を書かせていた。しかし病院当局は安楽死の議論には触れず、情状酌量の検討もせず、徳永医師の処分を一方的に決めた。受験生に安楽死を問いながら、病院当局がそれを議論せず、一方的に処分だけを決めたのは、最高学府の姿勢として正しい行為だったとは思えない。「安楽死は殺人」、「殺人なら懲戒免職」、「懲戒免職にすれば病院の責任は問われない」。このような思考パターンが働いたのあろう。

 この事件は、5月になってマスコミに発覚。医師による安楽死事件として、日本中の注目を集めた。大学はマスコミが騒ぎ始めてから、徳永医師を警察に告発。大学の処分と告訴は、保身のために先手を打ったと思われる。

 安楽死は、死期が迫っている患者が耐え難い肉体的苦痛を持つとき、その苦痛を緩和して安らかな死を迎えさせる行為である。安楽死は、消極的安楽死、間接的安楽死、積極的安楽死に分けることができ、消極的安楽死は治療を中断することで、法的に問題になることはない。セルシン、麻薬などを投与する間接的安楽死も問題になった事例はない。

 しかし今回の事件の焦点は、塩化カリウムを静注したことである。塩化カリウムの静注は、確実にヒトを死に至らせることから、この行為が殺人罪に問われたのである。安楽死という言葉は極めて多岐に用いられるが、消極的安楽死であれ、間接的安楽死であれ、積極的安楽死であれ、結果的には死期を数時間早めるにすぎない。しかし徳永医師は殺人罪に問われることになった。

 安楽死に関しては、昭和37年の名古屋高裁で、「死が目前に迫り、激痛がある場合、その緩和のために、本人の真摯(しんし)な委託または承諾があれば、医師が倫理的に妥当な方法で行う」との判例があった。

 医学の進歩に伴い、回復の見込みのない末期状態の患者でも、治療によって生命を維持できるようになった。しかし末期治療は望ましいことなのか、医師としてなすべきことなのか、さまざまな議論がなされているが未解決のままである。

 一方、回復の見込みのない末期患者の治療を中止し、人間としての尊厳を保たせ、死を迎えさせる「尊厳死」という考えがある。尊厳死は、患者の自己決定権と治療拒否権を重要視した考えであるが、まだ一般化されていない。

 多くの人たちは、安らかな尊厳死を望んでいる。しかし生前に「尊厳死の意志」を文章で書き残している人はほとんどいない。自分の死について、普段から周囲に話をしていても、文書で残している人は皆無に近い。そのため患者本人の意識がない場合、患者の意思を知ることはできない。多くの場合、家族の考えによるが、家族の判断が本人の意思を代弁しているとは限らない。

 平成6年12月、横浜地裁は徳永雅仁医師に対し、殺人罪として懲役2年執行猶予2年の有罪判決を下した。判決では安楽死について、<1>耐え難い肉体的苦痛<2>死が避けられない末期状態<3>患者の意思表示<4>ほかに手段がない、の4要件を提起した。今回の事件は、患者の意思表示がなかったこと、昏睡状態なので肉体的苦痛を欠いていたことから安楽死に相当しないとした。さらに厚生省の医道審議会は、徳永医師に医師免許停止3年の行政処分を下した。

 横浜地裁の判決は、日本で初めての医師による安楽死事件を罰することになった。判決では、患者の意思表示がなかったとしているが、長男が患者本人への病名告知を拒否していたので、患者の意思表示を得ることは不可能であった。また昏睡状態なので肉体的苦痛はないと裁判官は言うが、家族が患者の苦痛を代弁しているのだから、その理由は不適切と思われる。

 間接的安楽死であれ、積極的安楽死であれ、患者の死期を早めることに変わりはない。結果は同じなのに、間接的安楽死は合法であり、積極的安楽死は非合法とする判決であった。多くの医師や評論家も、裁判官と同じような論評ばかりで、徳永医師の行為を擁護する医師は皆無に近かった。

 安楽死を考える場合、法律で安楽死を規定すること自体に無理がある。安楽死は「患者の苦痛に対する医師の人間的同情からの行為」で、その行為に悪意はない。耐え難い苦痛とは主観的なもので、他人に苦痛の評価などできるはずはない。人間に自分の死を選ぶ権利があるのは当然であるが、「患者の意思」といっても意識がある場合には、自分の最期の状態まで思い及ばないのが普通である。つまり安楽死を法律で合法化しても、合法的安楽死は非現実的で、また立法化されれば、安易に安楽死が認められる危険性も生じた。

 安楽死を強要した家族は罰せられず、家族の強要に屈した医師が罪を受けたことに違和感がある。大学は徳永医師に厳罰を与えたが、徳永医師のモラルが、権威者といわれる政治的老齢医師たちより劣っているとは思えない。徳永医師の行為は、法的には間違っていたが、人間の良心に何ら恥じるものではないと思う。

 安楽死を医師による自殺幇助(ほうじょ)、医師の自惚れと評論する者がいるが、むしろ徳永医師の医師としての良心を評価したい。この事件における徳永医師の行為よりも、評論家ぶった医師たちの言葉が、医師のモラル低下という間違った印象を国民に与え、医療不信の流れを招いたと思われる。

 徳永医師と同じ状況になった立場、塩化カリウムの注射を静脈に留置し、「これを注入すれば希望通りになるのに」とつぶやき、家族に注入させれば法的にはどうなるのか。また看護師が、注射には立ち会わず部屋から出て行き、「注射の現場を見ていない」と上司に報告したらどうなったのか。

 大学当局は徳永医師を糾弾したが、なぜ自分の部下を守ろうとしないのか。個人的な考えではあるが、私がもし検事であったならば、「注射と病気による心停止が偶然一致しただけ」として不起訴処分にしたであろう。医師による日本で初めての安楽死事件に対しマスコミが騒いだため、検察官や裁判官が時流に踊らされ、人情を考慮せず法的判断だけで判決を下したと思われる。

 現在、徳永医師は開業医として多くの患者の信頼を得ながら日常の診療を行っている。徳永医師は、医師としての苦悩の中で、その責務を彼なりに果たし、医師として恥じることは何もなかったと信じている。