MMRワクチンの中止

 MMRワクチンの中止 平成5年(1993年)

 平成5年4月、厚生省はそれまで行っていたMMRワクチンの接種を中止した。平成元年4月の導入から丸4年を経ていたが、ようやく重い腰を上げた。

 ワクチンは伝染病の予防に用いられるが、1種類のワクチンは1種類の病原体にのみ効果を示す。もし複数のワクチンを混合して1回の接種で済ませることができれば、接種者の負担は少なく、接種率も高くなることが当然期待された。

 そのため混合ワクチンが開発され、昭和39年からジフテリア(Diphtheria)、百日せき(Pertussis)、破傷風(Tetanus)のDPTワクチンがすでに使用されていた。

 平成元年4月から、厚生省はDPTワクチンに加え、麻疹(はしか)、おたふく風邪、風疹の3種類の混合ワクチンを、生後18カ月〜3歳の乳幼児に接種を実施するとした。この新しい混合ワクチンは、麻疹(Measles)、おたふく風邪(Mumps)、風疹(Rubella)の英語の頭文字を取って、MMRワクチンと命名された。この当時、麻疹と風疹は義務接種であったが、おたふく風邪は任意接種であった。

 厚生省はこの3種混合ワクチンの導入により、3つの伝染病を一気に駆逐しようとした。一石三鳥のMMRワクチン接種は、多くの先進国で実施されており、日本でも安全に行われると信じられていた。厚生省は「米国ではMMRワクチンは20年前から行われているが、副作用の報告は極めて少ない」と安全性を強調した。確かに、米国では昭和46年に接種が始まって以来、副作用の報告はまれであった。

 しかしそれは米国で製造されたワクチンだったからである。米国で製造されたワクチンを日本でも使用していれば、米国と同様に重篤な副作用はなかったはずである。ところが厚生省の諮問機関である中央薬事審議会は、MMRワクチンに「北里研究所の麻疹ワクチンと阪大微生物病研究会のおたふく風邪ワクチン、武田薬品工業の風疹ワクチン」を混合する方式を採用したのである。数あるワクチンの中から、この組み合わせを最良として導入したのだが、これが最悪であった。

 MMRワクチン接種が始まると、前橋市医師会は高熱などの無菌性髄膜炎の症状を示す乳幼児が多いことに気付いた。無菌性髄膜炎とは、高熱、嘔吐、頭痛などの髄膜炎の症状を示す一方で、髄液検査では単核球優位の細胞増加があり、細菌性髄膜炎を否定できるものである。

 前橋市医師会は追跡調査を行い、「MMRワクチンによる無菌性髄膜炎の発症頻度は184人に1人」と発表した。そして前橋市医師会は、接種開始から2カ月後の平成元年6月、独自の判断で接種中止を決定した。

 その3カ月後の9月19日、厚生省は「MMRワクチンによる無菌性髄膜炎の頻度は、10万人から20万人に1人で、後遺症を残すほどではない」と前橋市医師会の報告を否定するようなコメントを出し、各市町村にワクチン接種の推進を求めた。

 ところが、その1カ月後の10月25日、厚生省は方向を変え、「無菌性髄膜炎の頻度は数千人から3万人に1人で、地域によって頻度にばらつきがあることから、MMRの接種は慎重に行うように」と通知を出したのだった。そのため、接種を実施する市町村と、実施しない市町村に分かれることになった。

 平成元年4月に始まったMMRワクチンの副作用が表面化する中、厚生省は同年12月28日、各都道府県に対し「保護者からの申し出がある時に限りMMRワクチンを接種するように」との通知を出した。この通知は、「ワクチンの危険性は高いが、保護者が希望すれば危険なものでも接種してよい」とする厚生省の責任逃れの指導であった。つまり、「国の強制接種で副作用が出れば国の責任になるが、親の希望で接種すれば親の責任になる」との考えで、厚生省の賠償金から逃れるための無責任行政であった。強制接種から希望接種への転換は、ワクチン行政の歴史的転換となった。

 結局、平成元年から4年間で約180万人がMMRワクチンの接種を受け、1800人の子供が無菌性髄膜炎を発症し5人が死亡、重度脳障害、難聴などの被害を出した。 MMRワクチンの接種を受けた子供1000人に1人の副作用は、ほかのワクチンでは例がないほど高い頻度であった。

 欧米ではMMRワクチンの安全性は高いとされていたが、日本の無菌性髄膜炎の副作用頻度は欧米の約1000倍だった。なぜ日本でMMRワクチンの副作用が相次いだのか。それは阪大微生物病研究会が作成したおたふく風邪ワクチン(占部株)が原因であった。

 占部株は、昭和56年におたふく風邪ワクチンとして使用され、昭和63年までに54人が無菌性髄膜炎の副作用を起こしていた。それにもかかわらず、厚生省は10年近くもおたふく風邪ワクチンとして占部株を使用し、占部株を最良のものとして、MMRワクチンに導入したのである。平成元年のMMRワクチン導入時点で、占部株を用いたMMRワクチンの欠陥は明らかだった。日本小児学会は、副作用の少ない米国のMMRワクチンの輸入を厚生省に提案していたほどである。また占部株を日本から輸入していたドイツ、英国、カナダでは副作用が多いため、日本がMMRワクチンを導入する前に接種を中止し、ワクチンを回収していた。厚生省はそれを知っていながら占部株を採用したのだった。

 米国で使われているMMRワクチンはメルク社が開発したもので、20年以上使用され、その副作用は100万人に1人程度と極めて低い。このことから米ロサンゼルス・タイムズ紙は、「日本はなぜ、安全性の高い米国製品を使わなかったのか」と日本の医療行政を批判している。

 この占部株の副作用を証明するかのように、MMRワクチン接種後に無菌性髄膜炎を起こした患者から、「おたふく風邪ウイルス」が分離され、国立予防衛生研究所(現国立感染症研究所)は、分離した全ウイルスが阪大微研のおたふく風邪ウイルスであるとした。

 平成5年3月には、第3者がワクチン接種者から感染を受ける事例が報告された。MMRワクチンは生ワクチンなので、接種した乳幼児から接種を受けていない第3者に感染しても不思議ではなかった。しかしワクチンとしてあるまじきことであった。

 平成5年4月、厚生省は接種導入から丸4年目にMMRワクチンの中止を決定した。なお正確には、厚生省は中止といわず、「当面の間、接種を見合わせる」と表現した。この表現は、厚労省はMMRワクチンの欠陥を認めていないことを意味していた。

 MMRの副作用は、開始直後からみられており、すぐにMMRワクチンを中止していれば、被害は最小限に抑えられたはずである。厚生省の対応の遅れは、ワクチン行政への国民の不信をもたらした。国民の健康よりも責任回避、保身体質の厚生省がワクチン行政を湾曲させた。

 平成5年5月18日、MMRワクチンの副作用問題の件で、阪大微生物病研究会に厚生省の立ち入り調査が行われ、その結果、阪大微研は厚生省の承認を得た培養法と違う方法で、おたふく風邪ワクチン(占部株)を製造していたことがわかった。

 厚生省に申告していたのは、ニワトリの胚細胞を培養する方法であったが、実際にはニワトリの卵の羊膜で培養したワクチンと、胚細胞で培養したワクチンを混合させていた。この製造法が副作用を引き起こしたかどうかは不明であるが、厚生省が承認した方法とは違う方法で製造されていたことは明らかである。

 予防接種は感染予防のため、社会的防衛のためであるが、予防効果と副作用の危険性を比べ、危険性が高ければ当然中止すべきである。予防接種は、国家が半強制的に健康な乳幼児に接種するので、安全性は何よりも優先させなければいけない。

 おたふく風邪は、生命への危険性が低い疾患であり、最初からおたふく風邪ワクチンにこだわる必要はなかった。占部株の副作用のためMMRワクチンが中止され、生命の危険を伴う麻疹、子供の奇形を防止する風疹のワクチンまで接種率が低下したことは、MMRワクチンの副作用以上に大きな問題であった。

 MMRワクチン禍の認定患者第1号となったのは、1歳6カ月でワクチンを受け、約2週間後に湿疹と40度の発熱で10日間入院し、聴力障害を引き起こした幼児であった。公衆衛生審議会は「因果関係が完全に否定されない以上、広く救済対象とすべき」と見解を示した。このように予防接種健康被害救済給付制度の認定を受けた被害者は1065人に上った。

 平成15年3月、MMR接種訴訟の判決が大阪地裁であった。この訴訟ではMMRワクチン接種で死亡し、重度の障害を残した子供3人の家族が、国と阪大微研に総額3億5000万円の損害賠償を求めていた。吉川慎一裁判長は、被害児2人について接種との因果関係を認定し、「阪大微研は製造方法を無断で変更し、それが重篤な結果を起こすことを予見できたはず。国は薬事法を順守するよう阪大微研に指導する義務があった」と述べ、2家族に約1億5500万円の賠償を命じた。

 ところで、英国でMMRワクチンが自閉症を誘発しているとの研究が発表され、平成14年2月3日にBBC放送がこのことを放映すると、MMRワクチンの存続をめぐる議論が起こった。しかし英国のブレア首相は「日本はMMRワクチンを中止したため、麻疹による死者が平成6年からの5年間で85人に及んだ」と日本の失敗例を持ち出し、MMRワクチンの存続を訴えた。さらに「MMRワクチンは世界90カ国で5億人が接種している」とその安全性を強調した。

 厚生省が平成5年4月に副作用問題のあったMMRワクチンの義務接種を中止したことから、その後、麻疹ワクチンと風疹ワクチンは個別接種となった。そのため、接種率が低下し麻疹の散発的流行がみられることになり、日本は「麻疹の輸出国」と汚名を受けることになった。

 平成18年4月1日から、麻疹と風疹の混合ワクチン(MRワクチン)が公費負担の接種となった。先進国で麻疹はほとんどみられないが、それはワクチンの接種率を高め、2回接種を徹底させたからである。そのため日本でも同年6月から2回接種が導入され、1回目は1歳の誕生日前日から2歳の誕生日まで、2回目は小学校入学前1年間となった。

 一方、米国の米国食品医薬品局(FDA)はMMRワクチンに水痘・帯状疱疹(varicella-zoster)ワクチンを加えたMMRVワクチンを認可し、平成8年より接種を開始している。日本のワクチン行政が世界標準から大きく後れを取ったのは、MMRワクチンの副作用よりも、副作用への厚生省の対応の悪さによると思われる。