骨髄バンク

骨髄バンク 平成3年(1991年)

 白血病や再生不良性貧血などの血液疾患は、血球成分をつくる骨髄の造血幹細胞に異常を来たした疾患である。かつては化学療法が主な治療法で、完治するのは約3分の1とされていた。しかし昭和50年後半から骨髄移植が導入され、治療成績が飛躍的に向上した。

 骨髄とは「骨に囲まれたスポンジ状の組織」のことで、そこで赤血球、白血球、血小板がつくられる。血液疾患の多くは、この骨髄の異常(がん化)によって引き起こされる。そのため、病気に冒された骨髄を健康人の骨髄に置き換える骨髄移植が、白血病や再生不良性貧血などの根本的治療になる。

 骨髄移植は大量の抗がん剤を患者に投与し、全身に放射線を照射し、がん細胞を死滅させる。しかし、同時に正常な細胞も破壊されるため、正常な造血機能が失われ、感染や出血などを引き起こしてしまう。そのために健康人の骨髄細胞を患者に移植するのである。

 実際の骨髄移植は、他の臓器移植と異なり外科的手段を必要としない。まず骨髄提供者(ドナー)の骨盤に針を刺し、注射器で骨髄液を吸引する。骨髄穿刺は激痛を伴うため、また穿刺を何度も繰り返すため、全身麻酔下で行われる。骨髄を提供するドナーにとって、麻酔の副作用以外に害を及ぼすことはほとんどない。この吸入した骨髄液を、患者に点滴するだけである。

 赤血球に血液型があるように、白血球にも型があってこれをHLAという。このHLAの型が一致する確率は兄弟では25%、つまり4人に1人であるが、他人と一致する確率は数100人から数万人に1人と極めてまれである。少子化の現在、兄弟間でHLA型が一致する確率が少ないため、ドナーは非血縁者(他人)に頼らざるを得ない。

 患者と骨髄提供者(ドナー)のHLA型が一致しないと、移植した骨髄細胞が移植された患者の身体を異物とみなし攻撃する。この免疫反応は「移植片対宿主反応」と呼ばれ死に至ることが多い。

 骨髄バンクが出来るまでは、白血病の患者の家族は、HLA型の一致する善意あるヒトを探すしか方法がなかった。昭和の時代までは、患者の家族は「何々君を救う会」を結成して、ドナー捜しに奔走した。しかしHLA型の一致する非血縁者は少なく、またHLA型を調べるのに1人約3万円の費用がかかった。そのためドナーが見つからず、膨大な借金だけが残ることが多かった。

 また多数のHLAを調べても、それは特定の1人の患者を救うための努力であり、適合者が見つかっても見つからなくても、せっかく調べた多人数のHLA型のデータが無駄になった。このような事情から、一般人が善意で骨髄を提供してくれるシステム(骨髄バンク)が必要になった。全国レベルで多数のドナーのHLA型を登録しておけば、ドナー検索は簡単で、迅速になるはずであった。そのため公的機関による骨髄バンクの設立を望む声が高まった。

 平成元年10月、名古屋で民間団体による「東海骨髄バンク」が発足した。この東海骨髄バンクは、医師や患者家族のボランティアによって運営され、同様の民間団体による骨髄バンクが全国的に広がっていった。昭和63年4月、日本臨床血液学会など5つの学会が公的機関による骨髄バンクの要望書を藤本孝雄厚相に提出。平成3年1月、厚生省は「骨髄移植対策専門委員会」をつくり、同年12月18日に「骨髄移植推進財団」が設立された。

 この骨髄移植推進財団が中心になり、全国規模の骨髄バンクが運営されることになった。骨髄バンクの事業は、一般国民からドナーを募る「ドナー募集」と、患者とドナーの橋渡しをする「コーディネート事業」に分けることができる。現在は、日本赤十字社が中心になり、全国各地の血液センターでドナー登録者とHLA型の検査がなされている。骨髄を提供できる健康人は20歳以上55歳未満で、家族の同意が必要である。

 平成19年2月におけるドナー登録者数は約27万4000人で、骨髄移植例数は累計8000例を超えている。日本で骨髄移植を必要としている患者数は毎年約3000人で、ドナー登録数は増えているが、それでも約1割の患者は、適合するドナーが1人もいない状態である。

 最近になって、臍帯血(さいたいけつ)移植が新しい治療法として行われるようになった。臍帯血とは、胎児と母親の胎盤をつなぐ「へその緒」に含まれる血液のことである。臍帯血は造血幹細胞を成人の骨髄より豊富に含んでいるため、骨髄移植と同様に血液疾患の治療として注目されている。それまで捨てられていた出産時の臍帯と胎盤の有効利用である。

 新生児は免疫機能が未熟なため、臍帯血を移植しても患者の拒絶反応(移植片対宿主反応)は起きにくく、安全性が高いとされている。この臍帯血移植は、昭和63年にフランスで初めて行われ、欧米ではすでに1000例以上と行われている。日本でも平成6年10月、兄弟間による臍帯血移植が初めて実施され、平成9年2月から非血縁者間での臍帯血移植がスタートしている。

 平成11年8月、日本赤十字社中央血液センター内に、「日本さい帯血バンクネットワーク」が設置された。日本では小児への移植が中心であるが、米国では骨髄移植を補うものとして大人へも移植されている。

 臍帯血移植で思い出されるのが、歌手の本田美奈子さんである。平成17年1月、本田美奈子さんは風邪と思い病院へ行ったが、診断は急性骨髄性白血病であった。染色体異常を伴った予後不良の白血病で化学療法の効果はなかった。またHLAの適合者がいなかったため、骨髄移植もできなかった。結局、臍帯血移植を受けたが、同年11月6日に亡くなられた。享年38であった。