きんさん、ぎんさん

きんさん、ぎんさん 平成3年(1991年)

 戦後、日本人の平均寿命は驚異的に伸び、昭和59年にはスウェーデンを抜いて、世界第1位の長寿国となった。平成3年、名古屋市の社会福祉事務所は、敬老の日を前に数え年で100歳になる敬老者名簿をマスコミに配布した。

 その中に、明治25年8月1日生まれの「きん」と「ぎん」という名前の女性がいるのを読売新聞の高橋恒美記者が見つけた。2人の住所は違っていたが、もしかして双子の姉妹ではないかと調べてみると、まさにそのとおりだった。高橋記者は「金と銀」を発掘したのだった。

 この話はすぐに愛知県知事の耳に入った。そして敬老の日、愛知県知事と名古屋市長が100歳の「成田きんさんと蟹江ぎんさん」を訪問して長寿を祝った。この名古屋市南区の100歳の双子姉妹は、長寿国日本を象徴する慶事となった。

 このことがNHKのニュース特集で紹介され、それを見た広告代理店が、2人に「ダスキン」のテレビCMへの出演を申し込んだ。この申し出は快諾され、11月に撮影を完了。翌年の正月から放映されることになった。11月から放映までの2カ月、広告代理店は2人の健康状態を気にしていた。もし健康を害することがあったら、CMは中止になるはずだった。しかしその心配も杞憂(きゆう)に終わり、CMが無事に放映されると、元気なきんさんぎんさんは、たちまち日本中の人気者になった。

 2人が生まれたのは、明治25年8月1日で、日清戦争が始まる2年前のことである。名古屋市郊外の農家に生まれた双子の姉妹は、姉がきん、妹がぎんと名付けられた。この「きんとぎん」という覚えやすい名前は、地元の神主で小学校の校長だった人が付けたもので、この名前だけでもタレントとして十分な価値があった。

 ちなみに、最初に生まれたのが妹のぎんさんで、後に生まれたのが姉のきんさんである。双子の姉妹の場合、現在では先に生まれた方が姉で、後に生まれたのが妹になるが、以前は逆であった。遅く生まれた方が、相手に先を譲ったことから、長女とされていた。

 当時、100歳以上の長寿者は1万人に1人の割合であった。2人が100歳を超えるのは1万人の2乗の確率で、双生児は1000人に2人の割合であるから、計算上は500億分の1の確率となった。

 突然、スポットライトを浴びた2人は 、さらにもう1本のテレビCM「通販生活」にも起用され、国民的アイドルになった。「きんは100歳100歳。ぎんも100歳100歳」、ダスキンのCMで屈託のない名古屋弁のセリフは、新鮮な話題を引き起こした。

 2人の登場は、バブル経済がはじけた後の暗い世相を明るくし、将来を悲観していた高齢者を元気にしてくれた。高齢化社会の持つ暗いイメージを笑顔で吹き飛ばしてくれた。

 名古屋市の100歳の双子姉妹の活躍は、日本が長寿国になったことを国民に知らしめ、さらに高齢化社会であっても、元気に暮らせる明るいイメージをつくってくれた。2人はギネスブックにも記録され、世界で最も有名な姉妹となった。100歳、長寿、双子のキーワードが国民的ブームとなった。

 チャーミングな笑顔、名古屋弁のユーモアな話し方、愛らしいキャラクターが2人を国民的人気者にした。屈託のない笑顔、軽妙なおしゃべりが好感を呼んだ。100歳の誕生日に感想を求められると、「100歳には知らん間になっちゃうもんよ。若いつもりが、いつの間にかこんなばあちゃんだがね」「うれしいような、かなしいような」であった。貴花田と宮沢りえの婚約の感想を求められると、「はだかのお付き合い」といって日本中を沸かせた。

 主にしゃべるのはきんさんで、その性格は天真爛漫(てんしんらんまん)で、少女のようにおどけていた。一方のぎんさんは、それとは反対に冷めた顔でまじめにしゃべるのが特徴であった。2人の会話は漫才のボケとツッコミのようなバランスがあった。

 きんさんぎんさんは、多くのテレビ番組やドラマに出演。音楽CDもだし、ぬいぐるみも発売された。台湾にも旅行し、放送大学にも入学、春の園遊会にも出席した。このように100歳を超えたとは思えないほどの活躍であった。

 2人の生い立ちや人柄を描いた本が出版され、ワイドショーはネタが切れると、きんさんぎんさんを話題にした。マスコミは2人を追い回し、平成3年の流行語大賞は「きんさん、ぎんさん」となった。2人は有名になったが、金銭的な欲はなく、CMの出演料はすべて愛知県の福祉基金に寄付をした。2人の性格は違っていたが、2人とも派手なことは好まなかった。

 厚生省の全国高齢者名簿によると、平成3年の時点で100歳以上のお年寄りは4000人を超え、高齢化社会を前に2人は高齢者の代表選手となった。100歳という年齢は、老人ホームや寝たきり老人をイメージさせるが、2人は元気に歩くことができ、話しぶりも明快で認知症とは無関係であった。

 明治、大正、昭和、平成と続く激動の時代を100年以上、女性として、母親として生きてきた。涙や笑顔の中で、時代の波に飲み込まれることなく、力強く生き抜いてきた。きんさんには11人の子供がいたが、5人を幼時期になくしている。栄養失調で母乳が出ず、また医者にもかかれなかったと回想している。

 平成12年1月23日、死とは無関係と思われていた姉のきんさんが心不全のため名古屋市南区の自宅で死去、107歳5カ月だった。数日前から体調を崩していたが、この日の朝に容体が急変し、最期は眠るような大往生だった。

 悲報を聞いた妹のぎんさんは、涙が止まらず、さみしそうに手を合わせた。気丈なぎんさんも、姉が亡くなってから急に元気がなくなり、翌13年2月28日、後を追うように老衰のため108歳で大往生した。

 2人の死去について、NHKをはじめとした報道各社がニュース速報を流した。きんさんぎんさんは、「お金より、他のことが大切。人間の付き合いとかね。欲は捨てないかん。欲があると、ケンカもせにゃいかんでね」、このように評論家以上の人生訓を語ってくれた。2人が教えてくれた多くの言葉を、人生の先輩の言葉として心の中に残しておきたい。