ホパテのニセ薬事件

【ホパテのニセ薬事件】昭和63年(1988年)

  昭和58年に、田辺製薬が開発した脳代謝機能改善薬・ホパテが認知症の治療に用いられ、年間160億円を売り上げるまでになった。ホパテの薬効は別としても、いわゆるボケの治療薬として、昭和61年の売り上げは全医薬品中25位であった。

 昭和63年4月、この人気薬剤ホパテのニセ薬が、東京都内で出回っていることが分かった。東京神田の医薬品現金問屋から、厚生省と警視庁に「ホパテの500グラム缶70個を404万円で購入したが、偽物らしい」と通報があった。厚生省の調べでは、粉末の色が本物と比べやや黄色く、添付文書には透かしがなく、製造元の田辺製薬も偽物と断定した。

 通報した医薬品現金問屋は、福岡県宗像市内の薬卸売業者「宗像薬品」から、このホパテを市場価格の半値で購入していた。警視庁は、宗像薬品の佐々木義視(41)の事情聴取を行い、昭和63年4月28日逮捕した。

 その後、このニセ薬事件の詳細が明らかになった。初めは、神田の医薬品現金問屋が全国の卸売業者に「ホパテがあれば買います」というダイレクトメールを送っているのを見た佐々木がニセ薬を売っていたとされた。しかし佐々木は単なる使い走りにすぎず、警視庁は、黒幕として医薬品ブローカー斉藤隆信(38)を薬事法違反の疑いで逮捕した。

 斉藤隆信は、福岡市内のレストランで佐々木にニセホパテの売り込みを依頼。その場で、神田の医薬品現金卸業者に電話をさせた。売上金のうちのほとんどが斉藤隆信に渡っていた。

 ニセホパテ缶の中に残されていた効能書から、斉藤隆信の指紋が見つかり、斉藤がニセ薬の中心人物であることが分かった。さらにニセ薬製造に関連し、福岡県の医薬品販売会社社長の諸永敦好(53)と土木作業員武谷宗浩(51)が薬事法違反で逮捕。また福岡市東区の薬剤師川辺亮(46)と同市中央区の医薬品ブローカー草井秀樹(56)も逮捕された。

 主犯の斉藤隆信と薬剤師の川辺亮が共謀してニセ薬の製造を指示。実際には、草井らが缶容器に小麦粉などを詰めニセホパテを製造していた。彼らは約2000缶のニセ薬を販売しようとして、医療機関にも流したが、患者に投薬されたケースはなかった。

 結局、犯行グループは小麦粉や白玉粉、かたくり粉などを詰めたニセホパテ約2000缶を製造して、うち70缶を販売、312缶を借金の担保として約2000万円を稼いでいた。斉藤はニセホパテを担保に、北九州市内の金融業者(40)から100万円を借りていたのだった。

 これまでに発生したニセ薬事件としては、昭和59年に抗がん剤のクレスチン、昭和60年には胃潰瘍剤のアスコンプなどがある。ニセ薬事件が露見するのは、多くは医薬品現金問屋においてである。現金問屋は取引価格が極端に安い医薬品に対して、自主規制、自主検査を行っていて、今回のニセホパテもそのために発覚した。

 最近では、バイアグラやリピトールなどのニセ薬が出回っているが、その多くが外国から輸入品である。特にインターネットで買うことが出来るバイアグラは半数が偽物とされ、それが暴力団の資金源になっている。

 ところで、医薬品現金問屋はなぜ存在するのだろうか。現金問屋に売る側としては不良在庫処理のため、現金で裏金をつくれるため、大量に安く仕入れた薬剤を高く売り利ざやを稼ぐなどの理由がある。一方、買う側としては、薬を安く仕入れるメリットがあった。

 かつてのバッタ屋のような医薬品現金問屋は少なくなったが、最近では外国で安く仕入れた薬剤を日本で高く売る方法が生まれている。いずれにしても、薬剤の流通を正す必要がある。そのため薬剤にICタグを付けようとする動きがある。