ホテル食中毒事件

【ホテル食中毒事件】昭和62年(1987年)

 昭和62年8月21日の早朝、午前5時ごろのことである。東京千代田区紀尾井町の赤坂プリンスホテルから宿泊者が嘔吐、下痢などの食中毒症状を呈しているとの通報があり、救急車の要請がなされた。

 当初、関係者は単なる急性胃腸炎の患者が発生したと軽くとらえていた。しかし、嘔吐、下痢を訴える宿泊者は、時間とともに加速度的に増加し、救急車の要請が頻繁になされた。午前7時には、ホテルの駐車場に仮設の救急本部が設置され、27台の救急車がホテルと病院をピストン輸送で患者を運んだ。

 症状の軽い人はホテルが用意した部屋で休憩を取り、治療が必要な人は救急車で次々と担架で病院に運ばれた。症状の急変に慌てて救急車に乗り込む人もいて、結局、152人が都立広尾病院、厚生年金病院、警察病院など32カ所の病院に搬送され95人が入院することになった。赤坂プリンスホテルは、新館の14階に救護所を設け、都内の病院から3人の医師の派遣を受け、診察に大わらわとなった。赤坂プリンスホテルは一流のホテルであるが、まさかこのような大規模な食中毒事件に発展するとは想像していなかった。

 食中毒の被害者は、前日からホテルに宿泊していた化粧品販売会社の女性マネジャーたちであった。彼女たちは、前日に会社が主催した研修会「サマーゼミナール」に参加し、年に1度の研修会が終わると、全員が夕方より催された新館2階のクリスタルパレスでの慰労会を兼ねた夕食会に出席した。

 都衛生局は、そこで出されたフランス料理のフルコース(8品目)が食中毒の原因とみて、調理場に残っていた料理などを調べた。ディナーのメニューは、魚介類のクレープ巻き、冷製ソラマメのクリームスープ、魚のスリ身、牛ヒレ肉包み焼き、マッシュルームサラダだった。

 都衛生局はそれらの料理を都立衛生研究所に持ち込み、さらに患者の検便などを行った。その結果、エビ・カニ・小柱などをマヨネーズであえた「海の幸クレープ包み」から腸炎ビブリオ菌を検出。また患者の検便からも同菌を検出した。腸炎ビブリオ菌がどの魚介類に含まれていたかは特定できなかったが、厨房(ちゅうぼう)で調理されて、テーブルに並べられた「海の幸クレープ包み」による食中毒であることは間違いなかった。

 腸炎ビブリオは、温度が10度以上になると8分で倍に増える。腸炎ビブリオによる食中毒を恐れていては刺し身も出せないが、腸炎ビブリオの食中毒は、調理後も低温保存すれば予防できるのである。

 なお腸炎ビブリオ菌は冷凍しても死なないため、死滅には63度で30分以上の加熱が必要である。今回の惨事は、海の幸クレープ包みが1時間以上も室内に放置されていたことが原因であった。8月25日、赤坂プリンスホテルは食品衛生法違反で10日間の営業停止処分を受けた。