ブーシェ

フランソワ・ブーシェ (1703-1770)
 18世紀に活躍したロココ美術を代表する画家。軽快で官能性や装飾性に富んだブーシェの作品はロココ様式の典型として当時の権力者らから絶大な支持を得た。神話画や肖像画、寓意画などが著名であるが、宗教画や風俗画、田園画、風景画のほか、当時流行していたシノワズリ(中国趣味)やオリエンタリズムなど多彩なジャンルを描いた。ブーシェの手がける作品の甘美な世界観や豊麗な官能性は(当時の)一部の知識人・教養人などから「堕落的」との批判を受けたものの、画家の作風は多様なロココ様式の発展に大きく貢献した。1703年にパリで生まれ、装飾の図案家であった父より絵画の手ほどきを受けた後、1720年頃、本格的な画業の修行のため同時代の歴史画家フランソワ・ルモワーヌの下へ赴く。1723年ローマ賞を受賞した後、当時既に名を馳せていたアントワーヌ・ヴァトーの素描画集の制作に版画家として参加。1727年から1731年にかけて収集家の援助により渡伊し、ルネサンス芸術を始めとしたイタリアの古典芸術を学ぶ。1734年、王立アカデミーに認められ入会、1737年には同アカデミーの教授に就任した。以後ヴェルサイユで宮殿内の王妃の間や小広間、大蔵卿庁舎、王の居室などの装飾画を手がけ、流行画家のひとりとなり、国王ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人(本名ジャンヌ=アントワネット・ポワソン)の肖像画をも描く一方、王家が建造する建物の装飾や、陶磁器の製作、出版事業、舞台やその衣装のデザインなどの様々な事業に積極的に参加し、1765年には宮廷首席画家、次いでアカデミー会長に就任する。1770年、生地であるパリで死去。なおブーシェ同様、ロココ美術を代表する画家ジャン・オノレ・フラゴナールは画家の最も高名な弟子であるほか、印象派の巨匠ルノワールもブーシェの多大な影響を受けている。