C型肝炎ウイルスの発見

C型肝炎ウイルスの発見 昭和63年(1988年) 

 昭和63年8月1日、C型肝炎ウイルス(HCV)が発見されたと新聞が大きく報じた。米国のバイオテクノロジーの企業カイロンが、HCVの抗原タンパクの遺伝子クローニングに成功したのである。

 昭和40年にB型肝炎ウイルスが、昭和49年にA型肝炎ウイルスが米国で発見されていたが、それら以外にも肝炎を引き起こすウイルスの存在が予想されていた。それは「非A非B型肝炎、輸血後肝炎」と呼ばれ、世界中のウイルスハンターの努力にもかかわらず、その正体はまったく分からずにいた。

 HCVは培養細胞で増殖しないこと、チンパンジー以外の動物では実験できなかったことが発見を遅らせていた。カイロンは、非A非B型肝炎を感染させたチンパンジーの血液から、HCVの遺伝子を取り出すことに成功。さらにHCVの抗体検査キットの開発にめどがついていることを明らかにした。

 このカイロンの突然の発表は世界中を驚かせた。しかもこれだけの発見でありながら、HCVの発見は肝臓の専門医の間でもうわさになっておらず、学会にも報告されていなかった。さらに発見した学者名も分からず、カイロンの特許申請によって初めて明らかにされたのだった。

 HCVが発見されるまでは、肝臓病の原因は酒の飲み過ぎとされていた。肝硬変患者は「酒飲みだから」、あるいは「酒も飲まないのに」などと言われてきた。肝臓病患者は、酒飲みのレッテルを張られていたが、酒のせいとされていた肝臓病の多くがC型肝炎だった。日本では、アルコールによる肝障害はまれで、HCVによる肝臓病が圧倒的に多かったのである。

 C型肝炎が検査で診断できるようになり、輸血後肝炎の95%以上、散発性肝炎の約40%が、HCVよるものであった。HCVは肝炎を引き起こすウイルスの中で、もっとも頻度の高いウイルスだった。

 C型肝炎は慢性肝炎から肝硬変になりやすく、慢性肝炎、肝硬変、肝がん患者の80%がC型肝炎によるものだった。そして残り約10%がB型肝炎、10%がアルコール性、薬剤性、自己免疫性などによるものであった。肝炎の大部分を占めるHCVの発見がいかに偉大であったかが分かる。平成元年1月、国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)は世界で初めて電子顕微鏡でHCVの粒子の撮影に成功、動物実験でその病原性を確認した。

 日本ではC型肝炎ウイルス(HCV)の感染者が、全人口の約2%とされている。HCVは、B型のように母子感染や性行為によって感染することは少なく、通常の生活での感染はまれである。HCVに感染すると約3割は慢性化するが、約7割は自然に治癒する。感染のほとんどが血液を介してであるが、ではなぜ日本人にC型肝炎が多いのだろうか。

 日本にHCVが入ってきたのは、遺伝子解析から江戸時代末期とされている。C型肝炎は輸血によるものが30〜40%、入れ墨や覚せい剤の注射によるものが10%、そしておよそ50%が原因不明である。

 このように感染経路の約半数は不明だが、終戦直後に流行したヒロポンの回し打ち、売血による輸血の関与が高いとされている。また予防接種の注射針を替えずに使用したことも、有力な感染源とみられている。

 昭和36年に献血制度が導入されたが、それ以前の売血によって輸血を受けた患者の約半数に輸血後肝炎が発症していた。当時の輸血後肝炎は、黄疸のみで診断していたので約半数とされているが、実際には輸血を受けた8割程度の患者が、C型あるいはB型肝炎ウイルスに感染した。このように輸血を受けた多くの患者が輸血後肝炎となったが、輸血が売血から献血に変わり、B型肝炎が検査で排除され、さらにやC型肝炎抗体陽性者が排除され、現在では輸血後肝炎は極めてまれになっている。

 C型肝炎患者は60歳以上の人に多く、60歳以下には少ない。また注射針と注射筒の連続使用はすでに禁止され、輸血による感染の可能性がないことから、さらに治療の進歩を考えると、C型肝炎は今後激減して地球上から消滅することが期待されている。

 HCVの検査法は、EIA法(酵素抗体法)と呼ばれるもので、当初はC型肝炎患者の50〜80%が陽性と判定された。ただしこの陽性率はHCV抗体検査の第1世代による成績で、第2世代、第3世代とともに検査法が改良され、現在では100%近い陽性率になっている。

 HCV抗体検査は過去にHCVに感染したかどうかの既往をみる検査であって、抗体陽性者は過去に感染を受けたものの、現在、ウイルスを保有して持続感染しているか、排除されているのかは分からない。これを区別するのがHCV−RNA検査である。この検査はHCVの有無、ウイルス量、インターフェロンによる治療の適応を決めることができる。

 HCVは塩基配列の違いから1から6の遺伝子型に、さらに数十種類の亜型に分類される。米国で最初に発見された遺伝子型は1aで、1aは米国に多い。日本では1bが7割、2aが2割、2bが1割である。HCVの遺伝子型は、各国で大きく異なっており、日本の1aのほとんどは米国からの血液製剤による感染である。

 C型肝炎の治療薬はインターフェロン(IFN)であるが、遺伝子型によりIFNの効果は大きく違っている。日本で最も多い1b型はIFN抵抗性であるため、6カ月のIFN投与での排除率は18%。HCV−RNAの量が多い場合は6%にすぎなかった。IFNの効果はこの程度であり、しかも発熱などの副作用が高いにもかかわらず、その治療に期待し過ぎるきらいがあった。

 しかし最近の治療の進歩により、IFNを用いた抗ウイルス療法で感染者の3分の1はウイルスを排除でき、3分の1は肝炎の進行を遅らせることができるようになった。平成16年、ペグ・IFNとリバビリン併用療法が認可された。薬が効きにくい難治性肝炎にも治療の選択が広がり、その効果に大きな期待されている。

 C型肝炎から肝硬変、肝硬変から肝臓がんになるが、現在では肝臓がんの治療成績が良くなっているので、定期的な検査で肝臓がんを早期に発見して治療すべきである。

 医療関係者では針刺し事故が問題になるのが、C型肝炎患者に使用した針を間違って刺した場合、事故直後はB型肝炎のような有効な対策はない。また感染からC型肝炎ウイルス(HCV)抗体が陽性になるまでには約3カ月なので、受傷直後にHCV抗体を測っても、感染の有無は分からないのである。針刺し事故で感染する確率は、0.3〜2%であるが、不幸にも感染した場合はIFNの投与となる。なお、針刺し事故には労災保険が適用されている。

 薬害フィブリノゲンによるC型肝炎感染の根は深い。フィブリノゲンはヒトの血液成分を原料とした医薬品で、昭和39年に医薬品として承認され、昭和50年ごろから出産時の止血を目的に多くの医療機関で用いられていた。このフィブリノゲンを投与された患者の中で、肝炎を発症する患者が多くいることが分かり、その原因としてフィブリノゲンにHCVが混入していたことが判明したのである。これは薬害エイズと同じパターンであった。フィブリノゲンは、出産時の出血などに多用されたが、その有効性が低かったこと、国が認可していた薬剤であること、などが絡み問題を複雑にしている。昭和60年8月以降に用いられたフィブリノゲン薬害については、製薬会社の責任(大阪裁判)、昭和62年4月以降に用いられたフィブリノゲン薬害については、国と製薬会社の責任(福岡裁判)とされている。

 フィブリノゲンは、多くの患者に投与されていたが、C型肝炎は感染から発症するまで長時間がかかる。その上、カルテの保存期間が5年なので、裁判に持ち込めた患者は、フィブリノゲン薬害のほんの一部の人たちと考えられる。