日本初のエイズ患者騒動

日本初のエイズ患者騒動 昭和60年(1985年)

 昭和60年3月21日、朝日新聞は「血友病患者2人が輸入血液製剤でエイズウイルスに感染し、死亡した」と1面のトップ記事で報道した。さらに記事には、日本の血友病患者の約半数がエイズウイルスに感染していると書かれていた。それは、後に「薬害エイズ事件」で逮捕される安部英(たけし)帝京大学教授が、医学専門誌に掲載する内容を事前に取材しての報道であった。事実、その詳細は、昭和60年4月号の医学雑誌「代謝」に発表された。

 安部教授がエイズと診断したのは、帝京大学で治療を受けていた2人の血友病患者だった。いずれも関東地方に住んでいて、昭和58年7月に1人(当時48)、昭和59年11月に1人(当時62歳)が日和見感染症と全身衰弱で死亡していた。当時厚生省のエイズ研究班の班長であった安部教授はこの2人を臨床症状からエイズと診断していた。そしてその診断を確実にするため、米国の国立衛生研究所に患者の血液を送り、エイズの検査を依頼した。その結果、2人のエイズ感染が確認された。さらにこのとき、安部教授はエイズの症状を持たない血友病患者50人の血液検査も依頼していたが、その結果、50人の血友病患者のうち23人(46%)がエイズ抗体陽性という驚くべき事実が判明したのだった。

 朝日新聞は2人の患者をエイズによる死亡と報道したが、厚生省エイズ研究班はなぜかこの2人をエイズ患者と認定しなかった。後に来日した米国のエイズ専門家は、この2人の患者をエイズの典型例と診断しているにもかかわらずにである。

 厚生省エイズ研究班はこの2人をエイズと認定しなかったが、血液検査でエイズ感染が確定しているのであるから、血友病の治療のために輸入された血液製剤がエイズの感染源となったことは間違いなかった。米国で作られた血液製剤によって、エイズはすでに日本に上陸していたのだった。

 この時点で血友病患者へのエイズ対策が採られていれば、その後の薬害エイズはなかったはずである。しかし、この朝日新聞のスクープは不思議なことに1回だけの報道で終わってしまった。そしてその日以降、薬害エイズはあたかも間違いであったかのように、新聞紙面から姿を隠した。

 朝日新聞が血友病エイズをスクープした翌日の3月22日、奇妙なことが起きた。厚生省のエイズ調査検討委員会(班長=塩川優一・順天堂大学名誉教授)が男性アーティスト(36)を日本人エイズ患者第1号と公表したのである。この男性アーティストは米国在住のホモセクシャルで、多くの男性と性交渉を持っていた。この男性が日本に一時帰国した際、順天堂大学病院で診察を受け、エイズ患者と認定されたのである。読売新聞社をはじめとした各報道機関は、このアーティストを日本人エイズ第1号患者として大々的に報道した。その上で、この男性は米国に帰国したので、エイズの2次感染の心配はないと付け加えた。

 この日本人エイズ第1号患者の報道により、日本の報道はエイズ一色となった。米国で「流行していたエイズがついに日本へ上陸」「対岸の火事が日本に飛び火した」とマスコミは騒いだ。そしてエイズがホモセクシャルによって感染する疾患であることを強調した。この報道により、朝日新聞が前日にスクープした血友病エイズ感染はうやむやになってしまった。

 厚生省は同性愛による日本人エイズ患者第1号を作り上げ、血友病患者の約半数がエイズに感染している事実を隠蔽(いんぺい)することに成功。さらにエイズがホモセクシャルの疾患とする偏見を植え付けることにも成功した。厚生省、製薬会社、研究者たちは「薬害エイズ」の責任を回避しようとしたのである。マスコミも薬害エイズを直視せず、エイズをホモセクシャルの疾患として報道を繰り返した。

 信じられないことであるが、この時点でエイズの感染源である非加熱製剤はまだ血友病患者に投与されていた。厚生省がエイズ感染の心配のない加熱製剤を承認したのは昭和60年7月で、あまりにスローな対応であった。エイズの感染について、厚生省の松村明仁・元生物製剤課長が業務上過失致死傷で起訴されたが、松村元課長が起訴されたのは、非加熱製剤の危険性を知りながら、何もしなかった「不作為の罪」に問われたのである。

 この薬害エイズ事件で、松村元課長以上に責任があるのがマスコミである。エイズ患者第1号の発表時には、「日本の血友病患者5000人のうち千数百人がエイズに感染している」と朝日新聞が書いてあるのに、それを取り上げるマスコミはなぜか皆無だった。当事者の朝日新聞も沈黙を守っていた。血友病患者の半数がエイズに感染している事実を隠すように、厚生省は巧妙なトリックを次々に使ったのである。

 エイズサーベランス委員会が隔月ごとにエイズ感染者数を公表するが、昭和60年の発表から、なぜか血友病患者が統計から省かれた。日本のエイズの大部分を占める血友病患者が突然姿を消したのである。厚生省は「血友病患者は本来他人に感染を及ぼさないので、統計から除外し、記者クラブの了解事項」と述べたが、それは薬害エイズ隠しの高等戦術であった。

 日本では、男性ホモセクシャルから多発した米国のエイズとは異なり、血友病患者に多発していたのである。昭和62年の時点で、日本における全エイズ患者は59人であったが、そのうち血友病患者が34人と大部分を占めていた。

 エイズはホモの病気と報道されたが、日本では同性愛による患者はむしろ少数派であった。そのため、エイズ患者第1号の発表がなされて以降、マスコミの報道はエイズを予防するための方策として、コンドームの宣伝一色となった。街頭で女子高生がコンドームの使用を呼び掛ける様子がテレビで繰り返し報道された。

 マスコミはエイズに名を借りた性感染症の恐怖をあおるキャンペーンを展開した。エイズの広がりは、性道徳の低下が招いたものとしているが、エイズ予防のためのコンドームの宣伝は、性道徳をさらに低下させることになった。このコンドームの宣伝に、良識ある多くの人々は顔をしかめ、不快な気分を味わった。

 さらにエイズ感染と血友病との関連性を明確にしないで、エイズ感染ばかりをキャンペーンしたため、血友病患者はエイズという病気以上に、性の不道徳が生んだエイズという病気の偏見に苦しむことになった。社会は血友病患者に二重の苦しみを負わせたのである。

 当時、厚生省のエイズ調査検討委員会の塩川優一班長は、エイズ第1号患者に血友病患者を認定しなかったことについて、「安部先生に血友病患者の症例を報告するよう求めたが、残念ながら報告がなかった」と証言し、エイズを報告しなかった安部教授に責任があると強調した。真相はやぶの中であるが、エイズ患者の第1号が事実通り血友病患者だったならば、薬害エイズの対策が迅速に実行されたはずである。エイズを予防すべき専門家が、血友病患者にエイズを蔓延させた責任は重大である。

 エイズ、つまり後天性免疫不全症候群(AIDS=Acquired Immunodeficiency Syndrome)は、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)によって起こる。このウイルスは、血液の中に入るとT4リンパ球を破壊し、全身の免疫機構が低下して抵抗力がなくなる。そのため病原性の弱い微生物(例えば、ニューモシスチス・カリニ)で肺炎を起こすようになる。

 HIVに感染してもすぐに症状は出ないが、数週間後にインフルエンザに似た症状、すなわち咽頭痛、筋肉痛、倦怠(けんたい)感などを起こす。この症状は一時的なもので3日から2週間で治る。本当の症状が現れるのは、感染して5年から10年後である。症状は微熱、寝汗、リンパ節腫脹、食欲減退、体重減少、疲れやすいさなどで、これらをエイズ関連症候群という。さらに日和見感染症、カリニ肺炎、カポジ肉腫などが出れば、エイズが発症したことになる。

 エイズ患者の約70%に何らかの中枢神経の障害が発症する。代表的なものはエイズ脳症と呼ばれるもので、症状は記憶力、集中力の障害、感情鈍磨、けいれん、知能低下など多彩である。エイズ患者は放置すれば約50%が1年以内に死亡する。

 HIVは、血液、精液、腟分泌物、母乳に含まれており、これが粘膜や皮膚の傷などから他人の血液の中に入ると感染が起きる。現在の感染経路は大別して3つに分けられる。汚染された血液または血液製剤を介するもの(血友病患者や同じ注射針による麻薬の回し打ちなど)、男性同性愛または異性間性行為によるもの、および母子感染である。

 男性同性愛では肛門性交で出血を起こしやすく、多量のウイルスを含んだ精液が血液中に入り感染する。キスや蚊による感染の事実はなく、患者の血液が針刺し事故で医療従事者に感染する危険は小さい。

 感染予防にはリスクの高い性交の際には、必ずコンドームを使用することである。米国や欧州では男性同性愛者に多かったが、知識の普及によりエイズの増加率は減少し、麻薬常用者間の感染と母子感染が問題になりつつある。タイでは売買春による異性間の感染が急増し、アフリカでも異性間の感染増加とともに、感染した母親から約30%の確率で生まれる子供のエイズが深刻な問題になっている。

 HIVに特効薬はないが、開発は進みエイズの予後は改善しつつある。現在国内で使用されているのは、逆転写酵素阻害剤と呼ばれるジドブジンなど、さらにプロテアーゼ阻害剤と呼ばれるサキナビルなどが大きな効果を上げ、薬剤の併用で多くの患者が救済されている。また、妊婦へのジドブジン投与による母子感染予防も特筆に値する。

 HIVの治療薬の進歩により、エイズの予後は改善されている。エイズ拠点病院も増え、国内の診療体制も整いつつある。日本ではHIV治療薬は国費負担で使用できるが、海外では高価なため使用できる患者は少ない。

 昭和59年7月7日、日本初のエイズ患者が新潟の病院で発症したとの小さな記事が新聞に掲載されている。日本初のエイズ患者騒動が世間を騒がす前のことであるが、なぜかこの記事は黙殺され話題にもならなかった。