自動販売機パラコート事件

自動販売機パラコート事件 昭和60年(1985年)

 昭和60年夏から近畿地方を中心に、清涼飲料水の自動販売機の取り出し口に毒入りドリンクが置かれ、それを飲んだ人が死亡する事件が相次いだ。毒物の多くは除草剤パラコートであった。パラコートは猛毒であったが、当時は氏名、住所、職業を記入すれば農協や薬局で誰でも購入できた。濃度の低いパラコートならば園芸店でも購入できた。

 パラコートは入手しやすく値段が安くため、無差別殺人に使われたのである。結局、10人以上の犠牲を出した犯人は捕まらず、犯人が1人なのか複数なのかも分からず、すべて未解決になっている。

 昭和60年7月12日、最初の被害者は、大阪府東大阪市の呉嘉夫さん(48)だった。京都府福知山市の自動販売機でリアルゴールドを買った際に、入れたのは1本分の料金ないのに、取り出し口には2本あった。その2本を飲んで苦しみだし、翌月13日に死亡した。飲み残しの瓶からパラコートが検出された。

 次の事件は、9月10日早朝に起きた。大阪府富田林市に住む経理事務所の大津春夫さん(52)が、和歌山に釣りに行く途中、大阪府泉佐野市の国道26号線沿いの自動販売機で牛乳、缶コーヒー、オロナミンCを買った。硬貨を入れると、取り出し口にはオロナミンCが2本あり、2本とも持ち帰った。翌日、釣りから帰った大津さんは、自宅でオロナミンC1本を飲み、2本目のオロナミンCを半分ほど飲んだ。大津さんが苦しんでいるのを帰宅した妻が発見、病院に運ばれたが3日後の14日に呼吸不全で死亡した。

 翌9月11日、三重県松阪市の愛知学院大4年の山下義文さん(22)が、自宅近くの自動販売機でリアルゴールドを買った。1本買ったはずなのに、取り出し口には2本あった。山下さんは、自宅で2本目を飲んだところで吐き気と激痛に襲われ、病院に運ばれたたが14日に死亡した。

 大津さんと山下さんの事件は連続して起きていて、2つの自動販売機は100キロ離れていた。同一犯なのか、別人による偶然の事件なのか分からないまま未解決となった。この2つ事件をきっかけに、毒入り無差別殺人事件が全国に広がった。

 9月19日には、福井県今立郡今立町に住む木津三治さん(30)が、国道8号線沿いの自動販売機の下に置いてあった缶コーラを飲んで気分が悪くなり意識不明となり、福井赤十字病院で22日に呼吸困難で死亡した。

 9月20日、宮崎県都城市に住む恒吉道弘さん(45)が、国道269号線沿いの自動販売機でリアルゴールドを買い、車の中で2本目を飲んでいる途中で気分が悪くなった。宮崎医科大病院に入院したが、呼吸困難に陥り22日に死亡した。

 9月23日、大阪府羽曳野市のゴム加工業の男性(50)が、墓参りで実家の和歌山に行く途中、道沿いの自動販売機でオロナミンCを買うと、取り出し口にオロナミンCが2本あった。男性はその場で1本を飲み、車中でもう1本飲んだ。すると、腐ったような味がしたため吐き出し、その直後から体がだるくなり下痢を来したため、病院で治療を受けたが、2週間後の10月7日、呼吸困難に陥り死亡した。

  これらの事件はいずれも、自動販売機で1つ分のお金しか入れていないのに取り出し口に2この清涼水があったこと。呼吸不全で死亡し、パラコートが検出されたことであった。

 パラコート事件は個別に報じられていたが、同様の事件が連続していたことから、全国的な事件として大きく報道された。また同時に、石炭硫黄合剤、シンナー、青酸カリ入りの模倣犯が登場するようになった。さらに自殺を想わせる例も出てきた。9月30日には福井県今立郡今立町の織物会社の会社員男性(22)が自宅近くの自販機でオロナミンCを持ち帰り飲んだところ変な味がすると訴えたが、自分で殺虫剤を混入していたとわかり逮捕されている。

 その他、被害にはあっても死に至らなかった例も多くあった。25日、東京世田谷の都立大4年寺本達郎さん(22)が自動販売機のそばで拾った飲料水を飲んで入院したが回復。26日、静岡県磐田市の女性(40)自動販売機で買ったものを飲んだが、すぐに吐き出し大丈夫だった。27日、東京都北区の主婦(44)は自動販売機で買ったものを飲み入院したが回復した。

 パラコート中毒殺人事件は、10月に入っても同じパターンが繰り返された連続した。10月5日、埼玉県鴻巣市の酒井隆さん(44)が、前日に市内のドライブインの自動販売機でオロナミンCを買って死亡。

 10月15日、奈良県橿原市の船具販売業の男性(69)が、自宅近くの自動販売機で買った栄養ドリンク剤を飲んで1カ月後に死亡。10月28日、大阪府河内長野市で農業を営む男性(50)が、パラコート入りのオロナミンCを飲んで1カ月後に死亡。11月7日、埼玉県浦和市(当時)の建築会社社長・豊岡修司さん(43)が自動販売機で買ったオロナミンCを飲んで死亡した。 11月17日、埼玉県児玉郡上里町の県立児玉高2年土屋八千代さん(17)が、自宅近くの自動販売機でコーラを口にして1週間後に死亡した。 

 10月以降の事件もそれ以前と同じパターンであった。警察はこの時点でパラコート入りジュースの事件は34件、死者は12人と発表している。全国に広がった毒入り連続殺人事件は、警察の大規模な捜査にもかかわらず犯人は逮捕されず、迷宮入りとなった。無差別殺人、理由なき殺人、ゲーム的殺人、このような言葉を連想させた。

 この一連のパラコートによる事件が発生した昭和60年は、警察白書によると清涼飲料水などに農薬など毒物が混入された事件が78件に達し、その範囲は1都2府22県に及び、17人が死亡している。犯人が捕まらないのは、被害者が不特定多数で、狙われる理由がなかったからである。たまたまそこに居合わせた者が被害者になった。もし自動販売機の取り出し口にドリンクが余分にあったら、軽い気持ちで持ち帰るだろう。犯人は、この心理につけこんだ無差別殺人であった。

 パラコートは日本で最も多く使われていた除草剤で、植物の葉緑素を枯れさせる作用があった。パラコートの毒性は強く、スプーン1杯で人間が24時間以内に死亡するほどであった。誤飲や自殺による死者が多かった。

 パラコートは、体内に入ると激しい嘔吐や下痢などの中毒症状が現れ、消化器系の粘膜がただれた。腎臓や肝臓などの機能障害が起き、肺線維症を併発して呼吸不全となり死亡した。パラコートが恐ろしいのは、飲んだ直後の急性期を乗り越えても、徐々に肺が硬化して呼吸できなくなる肺線維症を起こすことである。有効な治療法はなく、5ccの量で確実に死に至った。

 ちなみに、昭和60年の1年間で、パラコート中毒による死者は1021人、うち自殺とされたのは985人、残り36人のうち14人は誤飲による死亡、殺人や母子心中を含めた事件死は22人であった。パラコートによる悲劇が連続したのは、当時のパラコートが無臭だったからで、このことは国会でも問題となり、その後、においや苦い味が加えられ、すぐに毒物との判断がつくようになった。

 また、当時のオロナミンCはキャップを回して開けるタイプだったが、大塚製薬は一連の事件後に、細工ができないようにレバーキャップを引き抜いて開けるタイプに変えている。