有毒マンズワイン事件

有毒マンズワイン事件 昭和60年(1985年) 

 欧米で売られるワインは水よりも値段が安い。この安いワインを高級ワインに化けさせる方法があった。それは、安物のワインに自動車の不凍液(ジエチレングリコール)を混入させることで、ラジエーターの不凍液をワインに加えると、高級ワインに似たコクと甘みが出ることから、欧州ではひそかに不凍液が混入されていた。

 世界ワイン見本市で金賞を取ったワインにも不凍液が混入され、貴腐ワインとして売られていたことが判明、有毒ワイン騒動が欧州で広がった。ジエチレングリコールは無色無臭で、わずかに甘みがあった。その致死量は体重1キロ当たり1グラムで、不凍液が混入されたワイン1本には致死量の10分の1に相当する量が入っていた。症状としては、腹痛、おう吐、めまい、それに意識障害などである。

 昭和60年7月10日、この不凍液が混入されたオーストリア産のワインが西ドイツで市販されていると、朝日新聞が夕刊で小さく報道した。この新聞報道は対岸の火事のように思われていた。しかし7月24日、日本にも西ドイツを経由して不凍液が混入された74種類のワインが輸入されていることが確認された。この報道で次第に人々の関心を呼び、日本にも有毒不凍液ワイン騒動が起こりはじめた。この報道でオーストリア産とドイツ産のワインの販売が自粛されたので大きな社会問題にはなかった。

 不凍液入りワインは欧州に限られた問題で、まさか自分たちが飲んでいる国産ワインに不凍液が混入しているとは誰も思っていなかった。日本のマスコミは「このワインは凍ります(不凍液が入っていないという意味)」「車のラジエーターには不向きなワインです」などのキャッチコピーで、笑いをつくることに専念していた。

 しかし、厚生省は国産ワインについても不凍液混入の有無を検査することを決定。国産ワイン工場のある山梨県を通して、タンクに保存されているワインを検査した。その結果、すべてのワインに不凍液の混入は認められず、厚生省は8月2日に「国産ワイン安全宣言」を出した。さらに8日、マンズワイン(本社・東京都、峰岸久三郎社長)は「自社のワインには不凍液の混入はなく安全である」という広告を全国紙に出した。

 だが、この安全宣言が全くのウソであった。マンズワインは不凍液騒動が起きる直前に有毒ワインの回収をひそかに行い、混入の事実を隠して安全宣言をうたっていたのである。このウソがばれたのは、ある消費者が国産ワインを検査機関に持ち込んだことがきっかけだった。検査の結果、安全宣言が出されていた国産マンズワイン7銘柄から不凍液が検出されたのである。

 マンズワイン工場の立ち入り検査でワインから不凍液が検出されなかったのに、なぜ市販のワインから不凍液が検出されたのか。このミステリーは全国の注目を集めることになった。厚生省はあわてて再検査を行ったが、やはりワインのタンクから不凍液は検出されなかった。

 9月11日になって、この謎が解明された。マンズワインが「有毒ワインの入った工場のタンクの中身を、検査の前日に徹夜で抜き取り、国産ワインにすり替えていた」と発表したのである。同社は、輸入業者から有毒ワインの連絡を受けたため、タンクにあった有毒ワインの原液を廃棄し、市中に出荷されているワインもひそかに回収しようとした。しかし、この隠蔽工作に漏れが生じたのである。会社ぐるみの隠蔽工作、消費者を欺く安全宣言、マンズワインの組織的犯罪が暴かれることになった。

 有毒不凍液が混入されていたマンズワインの7銘柄には、最高級ワイン「マンズエステート貴腐白磁1978」「マンズエステート氷果葡萄吟醸1981」が含まれていた。特にマンズエステート貴腐ワインは、それまで純国産との宣伝で販売されていた。しかしこの貴腐ワインはオーストリア産のワインをブレンドした製品で、国産ワインは4.7%しか含まれていなかった。ワイン通からもてはやされていたワインの王様である貴腐ワインは、安物の欧米ワインに有毒不凍液を入れた偽物だった。

 貴腐ワインは、表面にカビが付いたブドウを乾燥して干しブドウ状にしたものが原料である。糖度が高く、味はまろやかで、色や香りも優れていた。上等とされるものは1本10万円から20万円の値段が付けられていた。マンズワインは、この貴腐ワインそのものが偽物であること、国産と称していたワインが外国産ワインのまがいものであることが暴露されることを恐れ、姑息(こそく)な隠蔽(いんぺい)工作を行い、結局は致命的打撃を受けることになった。

 マンズワインは、故意に不凍液を混入させたわけではない。同社の隠蔽工作は、国産として売り出していたワインが、本当は外国産ワインであることを隠すことが目的だった。ワインの輸入量から計算すると、国産とされるワインの半数が、外国ワインとのブレンド品であった。

 この事件によってワインブームは冷水を浴びせられ、消費者のワイン離れを起こした。消費者の信頼を裏切ったマンズワインは社長ら役員全員が辞職した。

 市民グループ・マンズワイン被害者の会の会員25人が「有害ワインを飲まされ、精神的肉体的被害を被った」として、製造元のマンズワインと親会社のキッコーマン(本社・千葉県野田市、中野孝三郎社長)を相手取り、不当表示の禁止と総額458万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。

 大阪地裁で、訴訟から2年6カ月後に和解が成立した。その内容は、両社が有害ワインの販売や不当表示を認めるとともに、原告以外の会員にも賠償するものであった。欠陥商品や不当表示商品については、健康被害などの立証が難しい。しかし、メーカー側が原告に精神的苦痛を償い、さらに原告以外の消費者にも賠償責任を認める異例の和解であった。

 マンズワイン訴訟で注目したいのは、原告側が米国の消費者運動による

クラスアクション(集団代表訴訟)方式を採り、その成果を上げたことである。クラスアクションとは、欠陥商品などで多くの人に同様の被害が生じたとき、代表者が訴えを起こせば、その判決の効力が被害者全員に適用されることである。多数の消費者の少額被害救済のため、代表者が提訴した裁判の効力が全体に及ぼす新しいタイプの消費者運動だった。今回の裁判では3000円で原告を募集し、25人の原告全員に購入代金と1人当たり10万から20万を慰謝料として払うものであった。さらに原告以外の被害者に対しても、購入の証明により同様に支払うものであった。

 昭和60年11月、当時の専務ら3人が食品衛生法違反罪で略式起訴され、後に有罪が確定した。そのほか、同社は不当表示で公正取引委員会から警告を受けた。