堀江しのぶのがん死

堀江しのぶのがん死 昭和63年(1988年) 

 昭和63年9月13日、名古屋市南区の中京病院でアイドル歌手の堀江しのぶが、胃がんのため23歳の若さで死去した。堀江しのぶは、愛知県西春日井郡西枇杷島町(現・清須市)出身で、昭和59年に「ビキニ・バケーション」で歌手デビュー。翌60年には、クラリオンガールコンテストで平凡パンチ・アイドル賞を得ていた。

 また「毎度おさわがせします(TBS系列)」、「真田太平記(NHK)」などにも出演。そのほかバラエティー番組やクイズ番組などでも活躍していた。映画では「ザ・サムライ(昭和61年、東映)」、 「愛しのハーフ・ムーン(昭和62年、日活)」、「 クレージーボーイズ(昭和63年、松竹)」に出演する人気アイドルであった。

 明るく無邪気で愛くるしい顔、すがすがしい笑顔、当時のアイドルとしては異色のバスト90cmのはち切れんばかりの健康美が若者の心を引きつけていた。この健康の象徴ともいえる堀江しのぶの死去に、多くの若者は茫然となった。頭の中が真っ白になり、驚きとともに悲しみに包まれた。

 有名人ががんで死亡すると、自分もがんではないかと病院を受診する「がんノイローゼ」が増える。しかし23歳という彼女の年齢は、ファンの年齢層と重なっていたが、がんノイローゼをきたす若者は少なかった。

 若者たちは堀江しのぶが同じ年齢層であっても、堀江の死は彼女自身の特別な運命ととらえていたからである。彼らは「若者はがんとは無縁」、あるいは「胃がんは予後がよい」と、漠然と捉えていた。事実、早期胃がんの5年生存率は95%以上であり、胃がんよりも、肺がん、大腸がん、乳がんのほうが恐ろしいという認識が浸透していた。

 堀江しのぶは、亡くなる1年前からダイエットを行い、体重を5kg落としていた。初めのうちは体重減少以外にがんの症状はなく、やせたのはダイエットの効果なのか、がんによるものなのかの区別がつかなかったのである。

 彼女が体調不良を訴えたのは、3月になってからであった。腹が張ると訴えたが、それはがん性腹膜炎の症状であった。膨満感を訴え、初めて診察を受けた時には、手遅れの状態だった。

 がんは胃全体を侵し、レントゲン写真で胃は弾力性のない硬い皮のようであった。さらに、がんは卵巣にも転移していた。すぐに東京の病院で卵巣手術を受けると、名古屋の病院に転院となった。

 彼女の死に多くの若者は驚いたが、最も驚いたのは医師たちだった。若い女性が腹痛や体重減少を訴えた場合、胃がんを想定する医師が少なかったからである。23歳の女性が、胃がんで死亡することは、可能性としては考えられても、実際に経験したことのある医師は少なかった。

 「若い女性と胃がん」「若い女性と胃がん死」は、医師の頭の中にはなかった。若い女性が腹痛で来院すれば、胃薬を投与すればよいだろうと、多くの医師たちは簡単に考えていた。

 堀江しのぶの胃がんは「スキルスがん」で、それが胃がんの死角であることを新たに認識させられた。スキルス(ドイツ語で固いという意味)と呼ばれている胃がんは、胃がんの中で最も悪性度の高いがんで、5年生存率は10%以下と極めて悪性ながんであった。

 胃壁は内側から粘膜、粘膜下層、固有筋層、漿膜下層、漿膜の5層からできている。通常の胃がんは、胃壁のもっとも内側にある胃粘膜から発生する。早期胃がんは「がん細胞の浸潤が粘膜から粘膜下層まで」のもので、早期胃がんのほとんどは手術によって完治する。進行がんとは、がんが固有筋層から外側に広がっている場合で、ほかの臓器に転移していれば予後はさらに悪くなる。

 胃がんは、肉眼的に6型に分類され、0型は軽度の隆起や陥凹(かんおう)がみられるもの、1型は明らかに隆起しているが限局しているもの、2型は潰瘍を形成しているが正常部位との境界がはっきりしているものである。

 3型は、2型のうちで正常部との境界がはっきりしないもの。4型はがんが粘膜に顔を出さず、著明な潰瘍や隆起もなく、がんが胃壁の中をはうように広がっている進行性のタイプである。この4型がスキルスがんである。ちなみに5型は0から4型に分類し難いものである。

 胃がんの大部分は腺がんで、腺がんは発育とともに潰瘍や腫瘤をつくるため、上腹部痛、食欲低下、嘔吐などの症状がみられる。しかし胃は内空の大きな臓器であるため、食物が詰まることは少なく、また自覚症状がないまま進行がんとなる場合が多い。

 最近は、集団検診や人間ドックなどで、胃がんは早期のうちに偶然発見されることが多くなっている。粘膜下層までの早期胃がんであれば、5年生存率が95%以上とほぼ完治するので、胃がんの早期発見・早期治療は重要である。40歳を過ぎたら、胃がん検診を受けることを勧めたい。

 内視鏡診断の進歩は目覚ましく、内視鏡で胃の内部をのぞきながら、怪しい部分の組織を採取して、採取した組織を顕微鏡で調べがんの診断を下す。直径2cm以下の早期がんであれば、内視鏡下粘膜切除術(EMR: endoscopic mucosal resection)で、開腹せずに切除することができる。内視鏡で胃の内側からがん組織を剥離する方法である。

 しかしスキルスは胃壁の表面に顔を出さず、粘膜下に潜って進行するので、内視鏡では見逃してしまうことがある。そのため内視鏡とバリウムによる胃のエックス線検査の併用が診断には有効である。胃壁が硬く伸展が悪くなるので、エックス線検査で典型的画像が得られるからである。

 スキルス胃がんは、胃粘膜内へ深く潜り込んで表面に姿を現さないため症状の進行は早い。診断がついても、診断時には手遅れの状態のことが多い。手術は困難で、治療効果も期待できず5年生存率は10%以下である。

 胃がんの死亡率の低下は、健康診断などの早期発見が大きく貢献している。しかしスキルス胃がんの頻度は少ないが、進行が早いことから予後が悪い。スキルスがんは胃がん全体の10%前後を占め、特に若い年齢層にみられる。人気司会者・逸見政孝さん(48)、長野オリンピックのモーグル代表候補選手・森徹さん(25)の命を奪ったのもスキルスがんである。

 日本人にもっとも多いがんは胃がんで、40歳頃から増え始める。かつては胃がんの死亡率が全がんのうちでトップだったが、徐々に低下し、平成10年に肺がんがトップとなった。

 胃がんは、肺がんにトップの座を譲ったが、これは胃がんの早期発見・早期治療成績が良くなったためである。胃がんの罹病(りびょう)率は、相変わらず肺がんより高いが、治療成績が良くなったため、がん死のトップの座を肺がんに譲ったのである。胃がんそのものが減ったわけではなく、治るがんになったのである。