三重大劇症肝炎感染事件

三重大劇症肝炎感染事件 昭和62年(1987年)

 昭和62年7月26日、三重大医学部付属病院で記者会見が行われ、同病院の小児科医師2人と看護師1人がB型肝炎に感染し、医師2人が死亡していたことが発表された。亡くなったのは、谷本晃医師(28)と徳井亜弥子研修医(28)だった。女性看護師(36)は重症だったが一命を取り止め、回復に向かっていると説明された。

 病院内での感染事故はこれまでにもあったが、3人がほぼ同時期に感染し、しかも極めてまれな劇症肝炎になったのである。なぜこの劇症肝炎事件が連続して起きたのか、謎を含んだ怪事件として憶測が渦巻いた。

 三重大の説明によると、最初に劇症肝炎を発症したのは研修医の徳井亜弥子さんだった。徳井さんは前年春に同大医学部を卒業、国立津病院で1年間の研修を受け、同年4月から大学病院に勤めていた。徳井さんは7月6日ごろから高熱と倦怠感を訴え、小児科のベッドで点滴を受けていた。しかし体調が改善しないため同病院の内科を受診すると、GOT、GPTの数値が1万を超えていて、劇症肝炎と診断されて直ちに入院となった。入院しても症状は改善せず、入院翌日には昏睡状態に陥った。血漿交換の治療が行われたが、意識は戻らず同月17日に息を引き取った。

 医師の谷本晃さんが発熱とだるさを訴え、劇症肝炎と診断されたのは同月12日だった。入院したときには手遅れの状態で、昏睡状態のまま同月25日に死亡した。谷本晃さんは自治医科大出身で4年間の研修医生活を終え、徳井さんと同じように4月から大学病院で患者の治療に当たっていた。看護師もほぼ同時期に発症したが、GPTは5000程度にとどまり、肝機能は回復傾向を示した。彼女は看護学校で教官を務めた後、同じように4月から大学病院で働いていた。

 3人がほぼ同時期にB型肝炎に感染して劇症肝炎を発症させたのである。病院は谷本晃さんの死亡した翌日に記者会見を開いたが、報道陣への病院側の口は重かった。関係者への直接取材は禁止され、病棟への立ち入りも許されなかった。

 劇症肝炎とは肝細胞が急激かつ大量に壊れてしまう病気で、ウイルス感染が9割を占め、そのほか薬剤によっても誘発される。劇症肝炎の約40%はB型肝炎ウイルス(HBV)が原因であるが、B型急性肝炎から劇症肝炎へ移行するのは1%以下とされ非常にまれといえた。

 日本での劇症肝炎患者は年間1000人程度なのに、同じ病棟で働く3人が同時期に劇症肝炎を発病したことは、何らかの共通した感染経路があったと考えられた。しかし記者会見ではこの感染経路についてはあいまいな説明に終始した。

 集団感染が起きた場合、2次感染予防のために感染経路の把握は重要である。3人が同じ小児科に勤務していたので、B型肝炎の小児患者から感染したとされたが、感染源、感染経路は不明であった。

 B型肝炎は血液で感染した場合、潜伏期間は平均3カ月前後とされている。感染した3人は4月から同病院で勤務を始めたばかりで、ちょうど3カ月後に発症していることから、4月以降の小児科に入院した患者から感染したと考えられた。

 三重大付属病院小児科は、未熟児の専用ベッドを含め50床の規模で、研修医を含めた医師約20人と、看護師20数人が小児患者の治療に当たっていた。入院患者は白血病が多く、約1割の患者がB型肝炎ウイルス(HBV)を保有していた。そのため小児科病棟ではB型肝炎と分かっている患者の採血には十分に注意していた。

 HBVの感染力は強く、1ccの1億分の1ほどの血液が入っただけで感染する。入院患者の約1割がHBVの感染者だったので、感染源は入院患者と推測されたが、なぜ3人が同時期に発病したのか、なぜ劇症化したのか謎だった。3人は3人とも感染の心当たりはないと同僚に話していたのである。専門的な知識を持っている医師が、針刺し事故などの感染の自覚もなく発病したことも謎だった。もし針刺し事故で感染した場合には、48時間以内に免疫グロブリンを投与すれば発病は防げたはずであった。三重大付属病院は小児科に勤務する職員全員を検査したが、HBVについては全員が陰性だった。

 医師や看護師は採血や輸血のとき、あるいは手術やお産などの際に、注射針を指に刺すことがある。医療従事者のうち年間約5%が針刺し事故を経験している。しかし劇症肝炎の例はほとんどなく、感染後も通常の生活を送っているのがほとんどであった。

 劇症肝炎の死亡率は極めて高く、救命率は20%とされている。治療としては肝臓の働きを補うため、患者の血液から血球以外の成分(血漿)を取り除き、健康な人の血漿と交換する「血漿交換療法」と、血液透析を応用した「血液濾過透析療法」の併用療法が取られる。この治療で、肝臓機能の低下している期間を乗り切れば、肝臓が再生してくるので救命が可能であった。しかし劇症肝炎の致死率が高いのは、このような治療によっても肝臓の機能が回復しないことが多いからで、その際には肝移植の治療しかないのである。

 三重大肝炎感染事件は、その後の研究で原因が次第に分かってきた。同大医学部教授(臨床検査部)小坂義種らは死亡した2人医師の劇症肝炎は、変異したB型肝炎ウイルス(HBV)に感染したためとした。それまで劇症肝炎の原因は患者側の体質とされてきたが、HBVの変異によって劇症肝炎が生じたとしたのである。

 小坂義種教授らは各病院で発生した典型的な劇症肝炎患者10人の血液を分析、自治医科大グループらは血清からHBVを分離して遺伝子構造を解析した。その結果10人のうち9人から、ウイルスの遺伝子の塩基配列が1つだけ違う変異ウイルスを検出した。この変異を目印に三重大の感染源を調べたところ、2人の医師が出入りしていた小児科病棟から、ウイルス量が30倍多い小児患者が見つかった。この小児患者から何らかの経路で血液を介して感染したと判断され、この研究結果は米消化器学会雑誌に掲載された。

 この事件をきっかけに、東京女子医科大付属病院をはじめとした各地の病院から、医療従事者がB型肝炎に感染し死亡していたことが報告された。それまで散発的に死亡例が報告されていたが、B型肝炎は法定伝染病ではないので正確な患者調査は行われていなかった。労働省は医療従事者の業務上疾病による労災認定を再調査し、約2年間で73人の医療関係者がB型肝炎を発病し、8人が死亡していたことを明らかにした。73人の職種の内訳は、医師12人、看護師47人、臨床検査技師10人であった。そのほとんどは、患者の採血時に自分の指を刺して感染したものだった。

 主だった事故を列挙すると、東京女子医科大=看護師がB型肝炎に感染し死亡(昭和61年12月)▽大宮日赤病院=医師が患者の吐血を浴び、B型劇症肝炎で死亡(62年7月)▽岸和田市民病院=看護師がB型劇症肝炎で死亡(62年7月)▽福岡大病院=医師3人がB型肝炎に感染し、2人が死亡(62年7月)▽清水厚生病院=看護師がB型劇症肝炎で死亡(62年7月)▽愛知県町立野村病院=看護師がB型劇症肝炎で死亡(62年9月)などである。

 B型肝炎ワクチンは約2万円で、自己負担になるため普及していなかった。ワクチンの予防効果は90%以上とされているが、その対策を病院は取っていなかったのである。もし三重大付属病院で感染した3人が予防ワクチンを受けていたら、発病しなかったと考えられるが、当時は接種していない医療従事者の方が圧倒的に多かったのである。

 厚生省は各医療機関に医師や看護師らのワクチン接種を指示していたが、費用を病院の負担としていたため一般化していなかった。三重大付属病院では、3年前にも外科の研修医がB型肝炎に感染し重症となったが、その教訓が生かされていなかった。医療従事者にとって、劇症肝炎はいつ自分の身に降り掛かってきても不思議ではない。厚生省はこの事故で、国立病院の医療従事者約3万人に国費でB型肝炎ワクチン接種を受けさせる方針を決め、民間病院でもB型肝炎ワクチン接種が普及するようになった。

 現在では、原則として30歳以下の医療従事者全員が肝炎ワクチンを接種している。以前のワクチンは、感染者の血液の表面に分布するタンパク質を分離・精製する方式で製造していたが、現在では遺伝子組み換え型のワクチンを使用するようになって、接種者の抗体陽性率はほぼ100%になっている。

 三重大医学部付属病院の3人は、いずれもB型肝炎ワクチンや免疫グロブリンを受けていなかった。ワクチンが約2万円と高価で、「自分だけはうつらない」とする安易な考えが悲劇のもとにあった。肝炎を防ぐ予防策がありながら、対策を講じていなかった医療側の無責任体質を浮き彫りにした。この点に関し、厚生省は「日本の健康保険は治療を目的としているため、予防を目的としたワクチンは適用されない」と、お役人らしいコメントを述べた。医療従事者全員がB型肝炎ワクチンを接種できるようになったのは、若くして世を去った勤務医・研修医・看護師らの犠牲があったからである。彼らへのご冥福を祈りたい。