ミルク断食療法

ミルク断食療法 昭和63年(1988年)

 昭和63年2月17日、「粉ミルク断食とマッサージで末期がんを治す」とテレビなどで派手な宣伝をしていた民間健康団体代表らが医師法違反(無資格医業)の疑いで大阪府警に逮捕された。逮捕されたのは大阪市東区の健康再生会代表・加藤清(73)と主任の伊藤ミユキ(57)だった。

 加藤清のところにはワラにもすがる思いの患者約7000人が集まるほどであったが、治療中に患者が急死するケースが相次いだため府警は摘発に踏み切ったのである。

 加藤清は東京でマッサージの修業を行い、昭和39年に青森県八戸市で断食道場を開設したが、患者が集まらず死者が出たため5年で閉鎖。次にマッサージ師の免許を取った長男と、昭和45年に大阪で「健康再生会」を設立した。

 加藤清は「ガン革命、末期ガン患者社会復帰100人の記録」など6冊の本を出版、がんは必ず治ると断言し、がんを征服した患者とテレビのワイドショーに出演していた。テレビでは「私のところへ来る患者は、すべて医師から見放された人たち」と述べ、患者は日本だけでなく、米国や韓国、東南アジアからも来ていると宣伝した。このように著書やテレビ出演で患者を増やし事業を拡大していった。

 加藤清は患者に20日間の泊まり込みの研修を行い、そこでも「末期がん患者3万人を社会復帰させ、70%の患者を治した」と述べていた。逮捕時には従業員は36人で、年商は4億円、逮捕されるまでに22億円を稼いでいた。

 多くの患者が加藤の断食療法を信じたのは、がんの治療が現代医学をもってしても、完全ではなかったからである。病院では治せないがんを、不治の病と冷たく扱うため、行き場のない患者がすがる気持ちで加藤のもとに集まった。加藤らのやり方は患者の弱みを利用した卑劣な商売であった。

 加藤清は「抗がん剤の投与や切除手術は患者に苦痛を与え、体力を弱めるだけ」と説明していた。さらに「がんはうっ血や血液の汚れが原因だから、体質を改善すれば自然治癒力で回復する」と主張した。患者を診察し病院での治療内容を聞き、1人40万円で研修センターに泊まり込ませ、乳児用粉ミルクと生卵などを混ぜたものを取らせる「ミルク断食療法」を行い、がんの治療としてマッサージをしていた。

 研修センターで患者が急変して死亡したケースが少なくとも5件、自殺者も2人出ていた。一般的に、がん患者へのマッサージは、がん細胞を体内に散らすことから禁止されていた。しかも加藤清はマッサージ師の資格がないのにマッサージ治療を行っていた。断食療法でがんが治るのならば問題はないが、治るという証拠はなかった。断食で栄養が絶たれてもがんは進行し、断食療法は体力の消耗を早めるだけであった。

 日本人の3割はがんで死亡する。そのため親族や知り合いががんで死亡するという身近な経験を多くの日本人は持っている。このことから自分ががんになることを恐れ、またがんになったら副作用の強い抗がん剤によって、壮絶な死が待っていると思い込んでいた。

 今回の事件では、病院で治療法がないと言われ、「医師は冷たかったが、加藤さんは生きる希望を与えてくれた」という患者もいた。このような患者はまだ精神的な救いがあったといえる。しかし加藤にがんと診断された患者のうち3割以上はがんではなかったのである。

 この断食療法は、ベストセラー小説「氷点」で知られる作家、三浦綾子も直腸がんの手術後に加藤清の断食療法を試み、加藤の著書に推薦文を書いている。作家、遠藤周作も「私が見つけた名治療家32人」の著書の中で紹介していた。このように著名人の推薦もあり、末期がん患者の間で加藤清は有名人になっていた。

 冷たい病院から患者が逃げ出し、民間療法に救いを求める医療不信がこの事件の背景にあった。病院では最新の医療機器を用いて診断をするが、治らないと判断すれば患者を突き放すことが多かった。突き放された患者や家族は、民間療法に救いを求めることになる。当時、末期がん患者を受け入れるホスピスは数えるほどで、痛みを取る緩和ケアやホスピスの必要性をあらためて感じさせた。