ニセ医者偽装殺人事件

 ニセ医者偽装殺人事件 昭和60年(1985年) 

 昭和60年7月14日午後5時半のことである。福岡県浮羽町(現うきは市)高見にある石井内科医院の応接室で、石井正則院長(66)と訪ねてきた福岡市中央区西公園の茶こし製造販売会社・梶原春助社長(54)が口論となり、石井院長は梶原社長に包丁で胸を刺され出血多量で間もなく死亡した。前日に妻子と里帰りしていた石井院長の娘婿・栗原洋一医師(34)が医院の2階にいてこの騒動に気付き、自殺しようとする梶原社長ともみ合いになり、栗原医師は刃物を取り上げようとしたが、梶原社長は胸や腹を刺して自殺した。

 これが翌日の朝日新聞が報じた事件の内容だったが、福岡県警捜査一課と吉井署の合同捜査本部は、栗原洋一医師の供述に疑問を抱いていた。事件当日、栗原医師は妻子と院長夫人を太宰府にドライブに行かせていて、梶原社長と格闘した際に受けた傷があまりに軽症だった。そして決定的だったのは、梶原社長が逃げ込んだ近所の民家で、「栗原に刺された」と言ったことだった。

 捜査本部は、この点について栗原洋一医師を追及した。栗原医師は1週間後、それまでの供述を翻し、自分が殺害したことを自白した。

 栗山洋一は大分県中津市の生まれで、東京の高校を卒業、5浪の後に福岡大医学部に入学した。この浪人中に、福岡市内の予備校で石井院長の長男と友達になった。石井院長の長男は久留米大に入学したが病死、次男も医学部に進学するが交通事故で死亡した。石井院長は病院を増築して総合病院にすることを計画していたが、2人の息子を失い途方に暮れていた。後継者が欲しい院長は栗山洋一と長女を結婚させ、さらに次女も知り合いの医師と結婚させた。

 石井院長の栗山洋一への思い入れは強く、大学近くにマンションを借り、学費も生活費も出していた。しかし、成績の良くない栗山洋一は大学を7年で卒業したが、医師国家試験に合格できなかった。それでも妻や院長への見栄から、医師国家試験に合格して病院に勤務しているとウソをつき、義父から合格祝いに家を買ってもらい、石井医院で週3回の診療を行っていた。

 医師になれなかった栗山洋一は勤務医を装いながら、借金をして福岡市天神にスナックを購入した。実業家への転身を図ったのだろうが、スナックの経営は苦しく、借金がかさんでいった。1億円を超える借金ができてしまった栗山洋一は、さらに院長の名前を借りて院長の土地や建物を担保に借金して、殺害した梶原社長にも7000万円の借金があった。

 栗山洋一は医師免許を持っていないこと、多額の借金を抱えていることが、義父にばれることを恐れていた。借金の催促にも悩んでいた。そのため、一挙に清算しようとした。

 栗山洋一は梶原社長に金の工面ができたとウソをつき、石井医院に呼び出した。院長が席を外して台所へ行ったところを、追いかけていって包丁で殺害。さらに応接間に戻って梶原社長を刺したのである。腹を何度も刺された梶原社長は、近所の民家に逃げ込み、民家から119番で救急車を呼んだのであった。

 殺された石井院長は、九州医専(現久留米大)を卒業後、開業医となり、地元では温厚な人柄で通っていた。同県浮羽郡の内科医会長も務めていた。

 この事件は、国家試験に合格できなかった医学生の哀れな偽装殺人であった。