トリカブト保険金殺人事件

トリカブト保険金殺人事件 昭和61年(1986年)

 昭和61年5月20日、沖縄旅行中だった神谷利佐子さん(33)が、宿泊先の石垣島のホテルで突然苦しみだした。利佐子さんは、神谷力(47)と2月に結婚したばかりで、石垣島旅行は神谷力から妻の利佐子さんへのプレゼントであった。神谷の3番目の妻となった利佐子さんは、池袋のクラブで神谷と知り合い、神谷の前妻が亡くなるとその5カ月後に2人は結婚したのだった。

 新婚夫婦は、前日の19日に那覇空港に到着すると、沖縄県南部を観光してホテルに1泊、翌日、那覇空港に利佐子さんのホステス仲間3人を迎えに行った。ホステス仲間3人の旅行費も神谷力が出していた。友人と利佐子さんは那覇空港から石垣島行きの飛行機に乗ったが、神谷は用があるといって那覇空港で別れた。

 石垣島のホテルにチェックインすると、利佐子さんは急にあえぎはじめ、嘔吐を繰り返し、激しい発汗とともに手足のしびれを訴えた。症状は急速に悪化しホテルが救急車を要請したが、利佐子さんの心臓は救急車内で停止。担ぎ込まれた八重山病院で心蘇生が行われたが、心臓は止まったままであった。

 若い女性の急死はめずらしいことである。たとえ心臓が原因であっても心蘇生に全く反応しないことは極めてまれであった。「単なる病死ではない」。八重山病院の医師たちは、死因に不審を抱き警察に連絡をとった。一方、那覇空港から飛行機で駆けつけた夫の神谷は、司法解剖に難色を示したが、警察の強い要望があり渋々承諾した。

 遺体の解剖は、琉球大医学部助教授の大野曜吉医師(31)によって行われた。琉球大医学部法医学部の永盛肇教授は多忙だったので、出張解剖の多くを大野医師が担当していた。大野医師が飛行機で石垣島へ行くと、八重山署には八重山病院副院長の大浜長照医師(後に石垣市長)が待っていて、大浜医師の立ち会いのもとで司法解剖が行われた。

 利佐子さんの遺体には外見上の異常はなく、内臓の肉眼所見にも異常はなかった。司法解剖が終わると、遺体検案書を書くことになる。大野医師は検案書に心筋梗塞と病名を書き、夫の神谷には心筋梗塞による不整脈死だろうと説明した。

 しかし実のところ、心筋梗塞による不整脈が死因であっても、死に至るまでの症状を説明できなかった。死因に疑問を抱いた大野医師は、利佐子さんの血液を法医学研究室の冷凍庫に保存することにした。

 旅行に同行した女友だちは、医師が下した「心筋梗塞による不整脈死」という診断に納得できなかった。彼女らは石垣島から戻ると、地元の池袋署に「利佐子さんの死は病死ではなく殺人」と訴えたが、池袋署はこの訴えを受けつけなかった。

 警察の対応に満足できなかった彼女らは、手当たり次第に生命保険会社に連絡すると、利佐子さんの保険加入の有無を問い合わせた。その結果、利佐子さんには保険会社4社に合計1億8500万円の生命保険が掛けられていたことが分かった。もちろん、保険金の受取人は夫の神谷力だった。2人は知り合って半年で結婚、結婚から1カ月後に生命保険に加入、利佐子さんの死は保険に加入してから2カ月後のことだった。

 神谷力は生命保険会社に保険金を請求したが、利佐子さんの友人から連絡を受けていた保険会社は保険金の支払いを保留とした。保険契約時に利佐子さんが自律神経失調症で治療を受けていたこと、つまり申告義務違反を理由に保留にしたのだった。

 当時の神谷力は、経営コンサルタントを自称していたが実は無職だった。無職の神谷が毎月40万円の保険料を払うのは不自然であった。さらに前妻の2人も利佐子さんと同様に急死していたのだった。最初の妻は昭和56年7月に心筋梗塞で、2人目の妻は昭和60年9月に心不全で急死していた。

 神谷力は生命保険会社を相手に保険請求訴訟を起こし、3年後の平成2年2月19日の1審判決で勝訴した。しかし平成2年10月の控訴審で、利佐子さんを司法解剖した大野曜吉医師が、「死因はトリカブトによる中毒死である」と衝撃的な証言をしたのだった。

 大野医師は琉球大助教授から日本医大の教授になっていたが、利佐子さんの司法解剖時に自らが下した死因に疑問を持ち続け、文献からトリカブト(鳥兜)中毒を疑い、保存していた利佐子さんの血液を母校の東北大に送り調べてもらっていた。

 すると予想通り、利佐子さんの血液から、毒草トリカブトに含まれるアコニチンが検出され、さらにフグ毒であるメサコニチンも検出されたのである。この大野医師の証言を不利と思ったのか、神谷力は突然保険請求訴訟を取り下げた。しかしこの大野証言以降、週刊誌をはじめとしたマスコミによる報道合戦となった。罪を犯しそうにもない紳士然とした神谷は、テレビに出演しては妻殺しを否定し、マスコミ批判の小冊子や手記も発表した。

 神谷力は那覇空港で別れてから3時間後に利佐子さんが死亡しており、自分にはアリバイがあると主張した。確かにトリカブトの毒であるアコニチンは即効性で、神谷の主張は正しいように思えた。警視庁は神谷が何らかの方法でアコニチンを飲ませたとして、総勢48人の捜査本部を南千住署に置き捜査に当たった。

 平成2年12月、神谷力は突然捜査員の前から姿を消した。しかし1カ月後、札幌のマンションにいることが突き止められ、警視庁南千住署の捜査本部は向かいのマンションを借りて監視を続けた。そして平成3年6月9日、捜査本部は札幌から飛行機で東京に向かう神谷を羽田空港で別件の横領罪容疑で逮捕したのだった。神谷力の逮捕容疑は、以前勤めていた自転車部品製造会社から3億4000万円を横領したことだったが、7月1日、妻の利佐子さん殺人容疑で再逮捕となった。

 トリカブト(鳥兜)は、北海道や本州の山野に美しい花を咲かせる植物であるが、その根の部分にアコニチンという猛毒を含んでいる。昭和56年11月から60年秋にかけ、神谷はトリカブト62鉢、クサフグ1200匹を購入していること、さらに毒の抽出に用いるエタノールや濃縮用器具、カプセル、実験用マウス、実験器具などを買っていたことが分かった。

 神谷が利佐子さんにトリカブトをいつ与え、彼女がいつそれを飲んだのか、その目撃証言はなかった。利佐子さんが神谷と那覇空港で別れてから、3時間後に死亡するという時間のズレが裁判の大きな争点となった。

 検察は神谷が吸収を遅らせるためにカプセルを二重にした毒入りカプセルをつくり、それを飲ませて殺害したと推測した。しかし実際にはカプセルを二重にしても、吸収を3時間遅らせることは不可能だった。この検察の弱点に対し、日本医大の大野曜吉医師は「トリカブトとフグの毒を微妙に調合すれば、トリカブトの毒性を遅らせて発現させることができる」と証言したのである。

 この事件には直接的物証がなく、神谷は殺人について全面否認したままであった。しかし平成6年9月、東京地裁の川上拓一裁判長は求刑通り無期懲役の判決を下した。神谷が大量のトリカブトとフグを購入していたこと、支払い能力がないのに高額の死亡保険金を掛けていたこと、このような状況証拠から有罪としたのだった。

 川上裁判長は「犯行は計画的、冷酷、残忍で、欲望を満たすためには人命さえ一顧だにしない姿勢は非道の極み」として無期懲役を言い渡した。さらに昭和60年に死亡した前妻についても「トリカブトの投与にて死亡したものと推定される」と述べた。

 神谷は上告したが、東京高裁は一審を支持。平成14年2月21日、最高裁は神谷被告の上告を棄却して無期懲役が確定した。

 トリカブトは美しい花を咲かせる観賞植物であるが、根の部分にはアコニチンという猛毒がある。トリカブトは日本だけでなく、欧米にも広く分布し古くから暗殺に用いられてきた。sアコニチンは矢毒にも用いられていたほどの猛毒であった。

 保険金殺人は一獲千金を狙える成功率の高い犯罪である。保険金殺人は計画的犯罪であるため、衝動的殺人より捕まる可能性はきわめて低い。犯罪として表面化するのは失敗例のみで、成功例は表面化しないため、保険金殺人の実数は不明である。犯人が捕まるのは、その味をしめた犯人が保険金殺人を繰り返す場合で、初犯で捕まることはほとんどない。

 今回のトリカブト保険金殺人事件は神谷力が、準備に長期間をかけ、化学者以上の知識を学び、特殊な殺人技術を開発しての事件だった。わが国の犯罪史上まれにみる事件であった。