スーパー西友中毒事件発覚

スーパー西友中毒事件発覚 昭和61年(1986年) 

 昭和57年10月9日の土曜日、札幌市清田区の大手スーパー「西友」清田店が華々しくオープンした。しかしオープンしたばかりの西友を利用した小学生たちが、下痢や腹痛などの食中毒症状で学校を欠席したことからこの事件が表面化した。市教育委員会が保健所に連絡、さらに調べてみると、西友の従業員や客らも同様の症状をおこしていた。

 この事件がこれまでのケースと違っているのは、その未曾有(みぞう)と言うべき被害者のの多さであった。患者は10月12日から出始め、新聞が報道した16日には162人、19日には2100人を超え、最終的には7751人が下痢や発熱などの症状を示した。症状は軽く、だいたいが5日間で回復したが、国内最大規模の集団食中毒事件となった。西友は開店から1週間後の16日に自主休業とした。

 保健所、北海道大、札幌医科大の疫学専門家による原因究明委員会が設置され、調査の結果、飲料水として使用していた井戸水が感染源であることが判明した。患者の便や井戸水からキャンピロバクターと病原性大腸菌が検出され、札幌市公衆衛生部は食中毒をこの細菌による混合感染と発表した。

 西友清田店は水道水を使用することを条件に営業許可を受けていたが、保健所が飲料水として禁じていた井戸水を使用していた。同店の井戸水は鉄分が多く、飲み水には不適当とされていた。開店2日前の保健所の検査でも改善を求められたが、西友はその勧告を無視していた。

 問題となった井戸の取水装置のマンホールが地表より低く、また井戸のコンクリートに鉛筆大の穴が開いていて、そこから細菌が浸入したとされた。さらに井戸に取り付けた2台の塩素滅菌装置のうちの1台が故障していて、そのため細菌が繁殖したとされた。北海道警察は事故の予見は困難だったとして業務上過失致傷の立件を見送った。

 西友清田店は10日間の営業停止処分を受け、12月15日に再オープンとなった。そして食中毒事件は決着したと思われていた。ところが、その記憶が風化しつつあった4年後の昭和61年4月、地元紙が新たな事実をスクープ、事件の真相を明らかにした。それは、下請け業者の配管工の内部告発によるものだった。

 配管工員の告発によると、「事件当時、排水管の清掃口7カ所のふたが開いていて、トイレの汚物がふたから溢れて、それが地中に浸透して井戸水に混入。その汚水を飲料水として使用したことが食中毒の原因」というショッキングな内容だった。つまり原因は排水管のふたの閉め忘れという初歩的ミスだった。床下に漏れたトイレの汚物は推定700トンとされ、この人為的ミスを西友が隠していたのだった。

 同店の1階床下で大量の汚物が発見されたのは、中毒事件が表面化した10月15日だった。汚水は深いところで1.8mを超えていた。工事を担当していた東京三冷社は、3台のポンプで汚水をくみ上げるのに徹夜で2日も掛かったほどである。その後、隠蔽のため床下に土をかけ消毒液をまいた。

 西友は下請け業者がやったことを、全く知らなかったと釈明した。しかし西友は食中毒発生後、保健所の立ち入り検査前に井戸水をきれいに消毒し、「食中毒時に井戸水を使用していた」と保健所に報告していた。そのため井戸水からはわずかな菌が検出されただけで、事件は灰色のまま終わっていた。

 警察は捜査官20人による大がかりな捜査体制を敷き、関係者150人から事情を聴取し現場検証を行った。その結果、内部告白以外に井戸水の水質検査の記録が27日間にわたって捏造されていた事実が判明した。

 西友清田店の当時の店長と工事関係者の計9人が、業務上過失致傷で札幌地検に書類送検された。元店長は保健所に無断で井戸水を使用したこと、下請け会社は配水管の閉め忘れなどが問われた。この事件はそれぞれの過失が複合的に関与したが、札幌地検は時効の関係もあり、嫌疑不十分で全員を不起訴処分とした。刑事事件にはならなかったが、西友の社会的責任、道義的責任は重いと言える。