スパイクタイヤ公害

スパイクタイヤ公害 昭和60年(1985年) 

 昭和38年にスパイクタイヤが発売されると、北海道や東北地方などの寒冷地で急速に使用されるようになった。スパイクタイヤとは、硬い特殊合金のピンをタイヤに埋め込んだもので、凍った道路を走るのに抜群の効果があった。

 それまでは、泥だらけになりながらタイヤににチェーンを巻いていたが、その面倒をスパイクタイヤが解決してくれた。スパイクタイヤは昭和40年代までは何ら問題なく使用されていたが、雪国での自動車の80%がスパイクタイヤを付けるようになると、粉塵公害という厄介な問題が生じた。

 寒冷地の冬の市街地をうっすらと覆うほこりは、それまで未経験のことで、当初はタイヤに付着した土砂を市街地に持ち込んだためとされていた。しかし舗装道路の表面が削られ、わだちができ、横断歩道の白線が消えてしまい、このことからスパイクタイヤが削られたアスファルトが空気中に舞い上がったことが原因と疑われた。道路に雪が積もっていれば粉塵は生じなかったが、雪のない日が続くと粉塵が舞い上がった。

 スパイクタイヤの粉塵には2種類あり、1つは削られたアスファルトで、もう1つはスパイクピンの特殊合金によるものであった。道路は摩耗し、ひと冬で3cmも削られることがあった。

札幌市では粉塵の量が1平方キロ当たり180立方メートルに達し、粉塵による人体への悪影響が心配された。

 スパイクタイヤを最初に問題としたのは仙台市だった。仙台市は寒冷地で道路が凍ることが多く、太平洋側のため雪は少なかった。そのため粉塵による被害が大きかった。仙台市は、市民、行政、学界、マスコミ、企業を巻き込んで粉塵被害について活発な論争が展開された。さまざまな調査により、 粉塵の原因がスパイクタイヤであること、健康への影響が無視できないことが明らかになり、粉塵公害は北海道、東北、北陸などの寒冷地に波及し、全国的な「脱スパイク運動」へと進展していった。

 昭和58年4月、札幌鉄道病院呼吸器内科の平賀洋明医師が「スパイクタイヤの粉塵が、野犬の肺に沈着している」と報告。肺に入った金属片などの周囲に異物性肉芽腫が生じることを示した。札幌市では30匹中7匹の犬に、仙台市では20匹中4匹の犬に異物性肉芽腫を見出された。肺内に沈着している金属片は、鉄、アルミニウム、ケイ素などで、スパイクピンの成分だった。

 北海道大学環境科学研究所チームは、地上30cmから180cmまで30cm刻みで空気中の粉塵の量を測定。その結果、高さによる粉塵量に差はなく、粉塵の45%は人間の肺に達する大きさだった。犬と同じように人間も粉塵を吸い込み、異物性肉芽腫をきたしていると警告した。

 環境庁はラットを用いた実験を行い、発がん性は確認されなかったが、アルミニウムやケイ素が肺に沈着すると肺組織が固くなり、線維形成をきたすことを報告した。

 仙台市医師会の森川利夫医師のグループは気管支喘息児童を調べ、粉塵量が増えた4日後に喘息発作が多発することを発表。さらに市中心部の作業員や商店従業員らの肺内に鉄性物質の沈着が多いこと、道路沿いの住民の多くが洗濯物の汚れに気づいており、髪のザラつきを自覚していると述べた。

 昭和60年8月22日、日本自動車タイヤ協会はスパイクの打ち込み本数を減らすことで世間の批判をかわそうとした。警視庁は交通事故防止のためスパイクタイヤの追放には消極的で、自治省は消防、救急車などの緊急自動車を特例にするように要望を出した。国の対策は進まず、健康被害のほか、削られた道路の補修、横断歩道の白線の塗り直しなどの費用が行政を圧迫した。札幌市では年間約36億円、宮城県では県道だけで約17億円が使われていた。

 宮城県議会は国の対策を待たず、スパイクタイヤ使用禁止条例を全国で初めて制定し、昭和61年4月より、違反者から反則金を取ることにした。ほかの地域でも、無雪期間の使用禁止が決められた。

 北海道、東北、長野県の弁護士や市民は、スパイクタイヤの使用禁止を国とタイヤメーカーに要望、これを受けて総理府の公害等調整委員会はタイヤメーカーに販売中止を提示した。通産省はスパイクタイヤの減産を指導し、環境庁はスパイクタイヤによる粉塵の発生防止法案を提出した。その結果、スパイクタイヤは平成3年3月31日で販売中止となり、翌日から使用が禁止となった。

 タイヤメーカーはスパイクタイヤに代わるスタッドレスタイヤの開発に全力をあげることになった。スタッドレスタイヤは、氷点下でも柔らかな特殊ゴムを使い、タイヤ表面の溝を大きくして、冬道でも滑りにくくしたタイヤであった。スタッドレスタイヤはタイヤが路面をしっかりとらえ、摩擦が大きく滑りにくくしていた。ブレーキから停止までの制動性能はスパイクタイヤの8割程度であったが、雪国のタイヤのほとんどを占めるようになった。なお、タッドとは「飾りびょう」の意味で、スタッドレスタイヤは文字通り「びょうなしタイヤ」を意味していた。

 雪道での安全確保と事故防止はスタッドレスタイヤによってほぼ解決した。スタッドレスは雪道の平たん地ではスパイクタイヤと同じ程度、凍結道路ではスパイクタイヤの約80%の制動能力で、7%の勾配の坂道でも走れることが確かめられている。さらに4輪駆動やアンチロックブレーキ(急ブレーキ時にもロックせず、最大限の制動効果を発揮できる)などの技術開発で、雪道での運転はより安全になった。