エホバの証人事件

エホバの証人事件 昭和60年(1985年)

 昭和60年6月6日午後4時30分、川崎市高津区の県道の交差点で、ダンプカーが自転車に乗って信号待ちをしていた小学5年生・鈴木大ちゃん(10)に接触、大ちゃんは転倒して後輪に巻き込まれて両足を骨折する大けがを負い、救急車で川崎市宮前区の聖マリアンナ医大病院・救命救急センターに搬送された。両足の骨折は骨が露出するほどの大けがであったが、意識はしっかりしていて、輸血をしてから手術を行うことになった。

 しかし、駆けつけた大ちゃんの父親(44)は「エホバの証人」の信者で、信仰上の理由から輸血を拒否。大ちゃんは輸血を受けられず、出血性ショックで死亡した。大ちゃんが死亡したのは病院に到着してから5時間後のことであった。これがいわゆるエホバの証人による「大ちゃん事件」である。

 大ちゃんは大けがだったが、生命にかかわるほどではなかった。担当の医師(32)は「輸血をしないと死んでしまう」「輸血を受けて手術をするように」と、何回も両親に説得を繰り返した。輸血をすれば救命できたのに、信者たちに囲まれた両親は揺れる気持ちの中で輸血を拒否したのだった。両親は子供の生命よりも信仰を選んだのである。

 医師たちは大ちゃんの生命を守るために懸命に説得を続けたが、宗教の壁に遮られ、医師は、大ちゃんに「輸血してもらうようにお父さんに言いなさい」と呼び掛けた。大ちゃんは父親に「死にたくない、生きたい」と訴えたが、父親の輸血拒否は変わらなかった。両親が病院に提出した決意書には、「今回、私たちの息子がたとえ死に至ることがあっても、輸血なしで万全の治療をして下さるよう切にお願いします。輸血は聖書にのっとって受けることはできません」と書かれていた。

 冷静に考えれば、大ちゃんは信者ではなく、しかも手術を希望していたのである。手術をすべきかどうか、医師たちは「信教の自由」と「生命の尊重」の狭間の中で、緊張した時間が過ぎるばかりだった。両親にとっても、たとえ宗教上の理由であっても、針のムシロ状態であったろう。

 この事件が報道されると、マスコミは「鈴木大君が生きたいと願っていたのに輸血を拒否したのは親のエゴ」「愛児よりも信仰の方が重いのか」「宗教が子供の命を奪うとは何事か」などと報道し、エホバの証人を批判する論調が強かった。この事件は海外にも報道され、宗教界だけでなく社会的波紋をよんだ。

 エホバの証人はキリスト教の一宗派で、聖書の戒律を忠実に実践する教団である。エホバの証人の正式名は「ものみの塔聖書冊子協会」で、19世紀末に米ペンシルベニア州生まれのチャールス・T・ラッセルが「ものみの塔」誌を創刊したことから歴史が始まる。その教義はエホバの神を唯一の神とし、旧教、新教には属さず、キリスト教の一宗派ではあるが、キリストの神性を否定していた。ほかのキリスト教団からは批判的にみられ、マスコミはカルト教団のごとく扱うことが多かった。

 信者は世界に約225万人、日本の信者は約10万人で、エホバの証人は信仰する宗教の内容よりも、むしろ輸血を拒否する宗教集団として知られていた。エホバの証人が輸血を禁止しているのは、「神はノアにすべての生き物を食物として与えたが、血には命があるから、命のある血を食べてはならない」とする戒律(レビ記)を絶対的信条として守っていたからである。

 この事件は、「輸血をしなかったことと、少年の死との因果関係」が最大のポイントだった。因果関係があれば、両親の輸血拒否が「未必の故意の殺人罪」、自分たちの信仰を子供に押しつけた親権の乱用による「保護責任者遺棄罪」が適用されることになる。医師としては最善の治療を怠った「業務上過失致死罪」、輸血を行わなかった「不作為による殺人罪」、さらに「医師法違反」などが予想された。

 しかし警察は、<1>事故そのものによるけがが大きかった<2>急性腎不全を合併して容体が急変し、出血性ショック死につながった<3>従って輸血をしても命は助からなかったとした。つまり輸血拒否と死因に因果関係はないとして、両親や医師に刑事責任を問えないと判断、裁判には至らなかった。

 神奈川県警交通指導課と高津署は、ダンプカーの運転手を業務上過失致死容疑で書類送検としたが、信仰の自由と生命の尊厳をめぐる論争は、その入り口で閉ざされることになった。この「大ちゃん事件」は多くの教訓と検討課題を残しながら、単なる交通事故として処理されてしまったのである。

 この「大ちゃん事件」では、親の信仰を子供に押しつけることの是非をめぐり、信仰の自由、子供の人権、医の倫理が問題になった。少年の生きる権利と親の権利、子供への親の代諾権、信仰の自由と医師の裁量権などについて、法曹界、宗教界、医療界でさまざまな論争が展開された。

 エホバの証人をめぐる同種の事件は、昭和60年1月23日にも起きている。富山県で信者が交通事故で死亡。この際、加害者の運転手は輸血拒否の責任まで問えないと主張し、業務上過失致死ではなく業務上過失傷害罪として起訴されている。

 また大分県別府市では骨肉腫に冒されたエホバの証人の信者(35)に、信者ではない両親が輸血できるように大分地裁に医療行為委任の仮処分を申請したが、大分地裁は「本人は十分な判断能力がある」として両親の申請を却下して、患者本人の意思を尊重した。

 昭和61年11月1日、静岡市で交通事故に遭った女性信者(54)が、輸血を拒否して死亡。その信者はバイクに乗ってトラックと衝突、同市の社会保険桜ヶ丘総合病院に運ばれた。肋骨が内臓に突き刺さって切開手術が必要だった。しかし本人が信仰上の理由から輸血を拒否、病院側と警察が輸血するよう説得したが、夫も応じなかったため4日後に死亡した。

 警察署は、「通常の医療行為を施せば死亡しなかった」として、運転手の業務上過失致死は問わず、業務上過失傷害容疑で静岡地検に書類送検するにとどめた。また夫と病院側の責任も問われなかった。このように日本各地でエホバの証人による輸血問題が散発した。

 エホバの証人の輸血拒否は、輸血を担当とする麻酔科医師にとっても大きな問題であった。大阪大医学部の吉矢生人麻酔科教授は全国80の大学病院と191の病院にアンケート調査を行い。その結果、輸血拒否の経験のある病院は56%、輸血なしの手術に応じたのが50%、輸血なしの手術には応じられないと断った病院が13%、承諾を得られなかったが輸血を前提に手術をしたのが27病院だった。この調査の時点で、病院として輸血を行うと事前に決めていたのは40病院と極めて少なかった。

 エホバの証人事件は、「医療は誰のためにあるのか」という根本的な問い掛けを提起していた。エホバの証人による「大ちゃん事件」は、裁判にはならなかったが、それまでくすぶっていた医療の根本的問題を問い直すきっかけになった。東京都内の病院では、心臓手術に際して両親から、「輸血をするならもう自分の子供ではない。病院で引き取ってくれ」と迫られたことがあった。宗教を理由に輸血を断る患者、医師の本分として輸血で命を助けようとする医師。生命の重みと信仰の自由、さらに法的責任が絡んだ複雑な問題であった。

 その当時は、ちょうど患者の権利意識が次第に高まっていた時期と重なっていた。「医療の決定権が医師にあるのか、患者にあるのか」が問われていた。しかし、患者に決定権があるとしても、子供の決定権は子供にあるのか、親にあるかが問題であった。「大ちゃん事件」以前は、「医療の決定権は医師にある」とするのが一般的であった。

 それは病気の治療については専門的な知識を持つ医師に任せするべきとの考えに基づくもので、医師の父権主義と呼ばれるものであった。医師と患者の関係は「医師は子供を指導する父親」に例えられていた。しかし、時代とともに患者の権利意識が高まり、「患者自身の医療は患者が決定権を持つ」とする考えに変わろうとしていた。

 しかし患者が小児の場合、子供が自己決定権を持てるかどうかが議論された。親が子供にとって最善の利益を選択決定するのは当然であるが、親の決定が子供の死を招くものであれば、それは親権の乱用と解釈することができた。子供の自己決定権は何歳からあるのか、親の信仰を子供に押しつけてもよいのか。この点に関しては、まだ一般的な合意は得られていない。また子供が意思決定できない場合、親と医師のどちらが医療を判断するかについてもまだ解決していない。

 米国、英国、西ドイツでは、信者が子供への輸血を拒否した場合、病院は直ちに少年法廷を開き、親に代わる監督権者が任命され、監督権者の同意があれば治療ができる。日本では「大ちゃん事件」により、一時的な親権剥奪を認めよとの主張がなされたが、具体的な事例はまだ出ていない。

 「大ちゃん事件」は裁判にならなかったので、法的判断はなされなかった。「大ちゃん事件」のように子供が生きたいという意思を示し、親が反対した場合にどうするかは未解決の問題となっている。中学生以上の子供の場合には、本人と親の意思を尊重するものの、生命に危険が迫った場合には、輸血もやむを得ないとするのが多くの病院の方針となっている。

 このエホバの証人に関する輸血の問題は、別の裁判で争われることになる。平成4年、悪性の肝腫瘍と診断された女性(63)が東京大医科学研究所付属病院(医科研、東京都港区)に転院。エホバの証人の女性は信仰上の理由から無輸血の手術を希望。「いかなる事態に至ろうとも、医師の責任は追及しない」との免責証書を病院へ提出した。

 医師は「説明すれば女性が手術を拒否する」と考え、輸血の可能性について説明しなかった。しかし手術では、予想以上の出血から医師は患者の生命を守るため600ccの輸血を行った。この事実は本人や家族には知らされなかったが、数カ月後マスコミに漏れ、医科研もその事実を認めた。

 本人と遺族は精神的な苦痛を受けたとして、手術を行った医師3人と国に対し1200万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。医師は輸血の説明をすれば女性が手術を拒否すると考え、輸血の可能性について説明しなかったと主張。女性側は「医師が輸血をすると明言すれば、手術を拒否した」と医師を追及した。この事件は、「患者の意思に反するが、必要に迫られて輸血した」ことの是非が問われる初めての裁判となった。

 東京地裁は、医師には救命義務があり、輸血は違法とする訴えを棄却したが、患者と家族はすぐに東京高裁に控訴。平成10年2月10日、東京高裁は原告の請求を部分的に認める逆転判決を言い渡した。この裁判は、生命の危険にさらされても、輸血を拒否している患者への輸血をめぐり、医師の責任を問う初めての事例として注目された。医科研はこの判決を不服として上告したが、最高裁は病院に損害賠償を命じた二審判決を支持、医科研に約55万円の損害賠償を命じた。千種秀夫裁判長は判決の中で「輸血の可能性の説明を怠ったのは、手術を受けるかどうかの意思決定をする信者の権利を奪うもので、人格権の侵害になる。医師は輸血もあり得ることを説明した上で信者自身の意思決定に委ねるべきだった」と述べた。さらに、「患者が自分の宗教的信念に反するとして輸血を拒否した場合、その意思は尊重しなければならない」と指摘した。この判決は4人の裁判官全員の一致した考えであった。

 つまり医師が患者に無断で輸血した場合は、患者の人格権侵害に当たると判断したのである。医療上の自己決定権が、憲法で保障する人格権に含まれるとした。このことは、尊厳死を選択する自由を含め、自己の生命を自らが決定することを認めた点で画期的な判決であった。

 この判決は大きな意味を持っていた。それはエホバの証人の輸血問題だけでなく、「医療の決定権のすべてが医師から患者に移った」ことを意味していたからである。医療を決定するのは患者本人であり、医師が本人の望まない医療を行うことは違法であることを示していた。裁判長はまた、「人はいずれ死ぬべきもので、死ぬまでの生きざまは自らが決定できる。尊厳死を選択する自由も認められるべきだ」と異例の発言を行った。

 患者中心の医療が長い間にわたり議論されてきた、しかし医療の新しい流れをエホバの証人がつくり上げたのである。現場の医師にとっては「生命の尊厳と信教の自由」のどちらかを選択するかは大きな問題であるが、患者を説得しても患者が受け入れられない場合は、患者本人が希望する医療をする以外に方法がないことを裁判所が命じたのである。

 つまりエホバの証人事件によって、「医療の決定権は医師から患者へ移行した」のである。エホバの証人が最高裁で勝訴したことより、それまでの長々と議論されてきた医療の自己決定権の論議に終止符が打たれた。議論によるコンセンサスではなく、裁判所の判断によって「医師は患者が希望しない治療を行ってはならない」という新しい原則が出来上がった。

 信仰上の理由で輸血を拒む「エホバの証人事件」は、医療における自己決定権が患者側にあることを明確にした。この裁判により輸血だけではなく、がんの告知、終末期医療、遺伝子診断の在り方、新薬治験への参加、臓器移植、カルテ開示などの医療のさまざまな分野で、患者の自己決定権が尊重されることになった。そのために、医師によるインフォームドコンセント(十分な説明と同意)が常識となった。