予防接種、医師過失が争点に

【予防接種、医師の過失が争点に 】昭和51年 (1976年)


 昭和41年11月4日、保健所で1歳の幼児がインフルエンザの予防注射を受けた。A医師は両親に幼児の年齢を聞いただけで、問診や診察を行わずに予防接種をした。ところがその翌日、幼児は間質性肺炎で死亡した。

 幼児の両親は、A医師が適切な診察をしていれば、間質性肺炎の異常に気づき、予防注射を中止したはずと訴えた。予防接種実施規則では、医師は接種前に問診や聴打診などの予診を行って接種者の健康状態を調べてから接種を行うことになっている。A医師はこの予診を怠ったために幼児を死亡させたとして裁判で争われた。インフルエンザの予防接種における医師の過失が争点となった。

 第1審は、「A医師は保健所で多くの幼児の予防接種を行っていて、ほかの幼児と同じ程度の問診をしたと考えられる。さらに両親が幼児の異常に気付いていないのだから、A医師が幼児の身体異常に気付かないとしても無理はない」として、A医師の過失を認めなかった。第2審でも同様の判決で、死因と問診義務との間に因果関係はないとした。

 しかし、このインフルエンザ訴訟は最高裁まで争われ、最高裁で判決が逆転した。昭和51年9月3日、最高裁はインフルエンザ予防接種で医師の過失を認め、差し戻し判決を下した。最高裁の判決は、「予診で異常がある場合、あるいは判断が困難な場合、予防接種は行わない」という実施要項を根拠にしていた。

 この医師の過失判決に、愛知県医師会をはじめとした各医師会が反発した。当時、厚生省の通達では「予防接種は1時間に100人をめどに行う」とされていた。この人数基準は最低限度の基準で、実際には30秒に1人の割合で予防接種が行われていた。愛知県医師会はこの判決は厳しすぎ、現在の体制では予防接種は続けられないと抗議した。

 この判決をきっかけに予防接種をボイコットする動きが各地に広まった。最高裁の判断を、「予防接種の現場の実情とかけ離れた、理想を求める判決」とした。厚相は「判決によって現行の予診の方式が否定されるとは考えられない」との談話を発表。日本医師会はこれを受け、社会的責任を放棄できないとして予防接種の再開を決定した。