韓国人女医殺害事件

【韓国人女医殺害事件】昭和54年 (1979年)

 昭和54年6月17日、沖縄の離島・北大東島の村立北大東島診療所で、韓国人女性医師・鄭宝玉さん(63)が殺害された。鄭さんは台所の奥の居間で顔面を殴られ、血まみれになって死んでいた。北大東島は那覇市の東約350キロの太平洋に浮かぶ孤島で、人口649人の小さな村である。医師は鄭さんだけで、北大東島での殺人事件は戦後初めてのことであった。

 鄭さんは昭和52年から2年契約で北大東島に単身赴任し、診察だけでなく、村民の相談にも乗ってくれた。優しい性格で、言動が上品なことから、村民に慕われていた。鄭さんは東京の医専を卒業し、日本語は流暢だった。村の会合には必ず出席して、村民との交流にも努めていた。鄭さんは医師であった夫と死別し、長男はソウルで医師をしていた。

 鄭さんは1年半で、延べ2000人の患者を診察し、そのうち18人をヘリコプターで沖縄本島に運んでいた。村人は鄭さんの殺害に大きな衝撃を受け、遺体が島を離れる際には300人の村民が見送った。村長、村議会議員全員、さらに多くの村民が遺体ともに船に同乗し、告別式が行われる那覇市へ渡った。島最大の行事である運動会は中止となった。

 沖縄は昭和47年に日本に返還されたが、沖縄の医師は人口1万人当たり6人で、全国平均の半分にすぎなかった。昭和40年頃から、僻地で働く医師は減り続け、日本の外国人医師は1514人(昭和52年)で、多くが僻地医療、特に離島で働いていた。

 北大東島でも無医村地区解消のため鄭さんに来てもらっていたが、再び無医村地区となった。鄭さんを殺害した犯人は中学3年生の男子生徒だった。男子生徒は自分の下着を残したまま逃走、何食わぬ顔で学校に通っていたが、6月26日に捕まった。農家の末っ子で、明るくスポーツ少年だったが、レイプの前科があった。