隣人訴訟

【隣人訴訟】昭和52年 (1977年)

 昭和52年5月8日、三重県鈴鹿市の団地に住む主婦Xが夕食の買い物に出かけるため、隣人の主婦Yに3歳児を預けた。2人の主婦は町内会が同じで、X、Yの子供たちは同じ幼稚園に通う仲良しだった。主婦Yは部屋の掃除をしながら、子供たちが自転車を乗り回しているのを見ていた。そして7〜8分後にYの子供が戻ってきて、Xの子供がため池に行くと言ったまま帰ってこないと告げた。

 駆けつけた隣人らがため池を探し、池の底に沈んでいるXの子供を発見、救急車で病院に運んだがすでに死亡していた。ため池は子供たちの遊び場であったが、水際から急に深くなっているのに防護柵はなかった。誤ってため池に落ちて水死したのだった。死亡した幼児の両親は子供の世話を頼んだ主婦Yと、池の所有者である三重県と鈴鹿市、土砂採取で池を深くした業者を相手に損害賠償請求訴訟を起こした。

 昭和58年2月25日、津地方裁判所は国、県、市、業者への請求を却下したが、幼児を預かった夫婦Y(隣人)には注意義務があるとして526万円の損害賠償の支払いを命じた。

 しかし判決の後、新聞やテレビが「人の好意につらい裁き」と大きく取り上げ、勝訴した幼児の両親にいやがらせの電話や手紙が殺到した。「人でなし」「金儲けのために子供を使うのか」と激しい抗議が連日続いた。父親は仕事を打ち切られ、長女は近所でいじめられ、親戚にまで被害が及び、そのため幼児の両親は訴えの取り下げに追い込まれた。一方、敗訴した主婦が控訴すると、今度はそれに対しても非難や中傷が起きた。

 結局、両家族が訴えを取り下げることになった。法律上、当然の権利(タテマエ)が、「世間」という情念・常識(ホンネ)によって阻止されたのである。この事件は、近隣社会の紛争解決の方法、裁判を受ける権利などの問題を提示した。

 すべての国民は裁判に訴える権利が保障されている。しかし赤の他人が原告や被告に対し、非難中傷を浴びせて訴訟を断念させたことは、日本国民の法意識の低さを露呈させた。法務省は「公平に裁判を受ける権利が、このような行為で侵害された」として異例の見解を表明した。しかし国民の多くが「隣人関係に法律が入り込み、善悪をつけることに違和感を持っていた」ことも事実であった。

 この事件は「法律というルール」と「隣人という伝統的関係」の対立といえる。隣人関係が時代とともに変わりつつあることを示した。

 「向こう3軒両隣」の意識が薄れ、昭和50年頃から隣人同士の争いが増えている。地域社会の意識が崩れ、日照権、騒音、境界線トラブル、ペット騒動、自宅前のゴミの集積場、このように日常的なことが隣人訴訟となり、さまざまなトラブルが裁判ざたになった。